世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

タバコの害が「科学的に立証されたのかどうか実はまだ不明」なのです。 コペル君にまなべ

よくわからないサイトの記事は引用したくなかったので日本医師会の禁煙の勧めのウェブをコピペします。

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受動喫煙のリスク
誰かのたばこの煙を吸うだけで
喫煙者と同様のリスクがあります
他人のたばこの煙を吸うだけで、
喫煙者と同じ病気のリスクがある
たばこの煙は70種類以上の
発がん性物質を含む
分煙してもたばこの臭いを
嗅いだだけで健康被害を受ける
喫煙者が吸い込む煙と同じくらい
周囲の人が吸い込む煙は有害です
たばこの煙には三大有害物質であるニコチン、タール、一酸化炭素の他にも70種類以上の発がん性物質が含まれています。普段たばこを吸わない人は、たばこの煙に対する感受性が高く、他人の煙を吸うと、少しの量でも大きな健康被害を受けるという報告があります4)。また、2016年8月には国立がん研究センターより、受動喫煙による日本人の肺がんリスクは約1.3倍になることが発表されるなど、受動喫煙のリスクは科学的にも証明されています5)。
4)Barnoya J, et al. Circulation. 2005; 111: 2684-98. 5)Hori M, et al. Jpn J Clin Oncol. 2016; 46: 942-51.
たばこの三大有害物質
ニコチン
依存症にさせる作用があります。血管を収縮させ、血液の流れを悪くする作用もあり、動脈硬化を促進させます。
タール
たばこのヤニの成分。発がん性物質や発がんを促進する物質が数十種類以上含まれています。
一酸化炭素
酸素を運ぶ機能を阻害し、酸素不足を引き起こします。動脈硬化を促進させます。
「たばこ臭がする」と感じたら、
もう被害にあっています
飲食店などでは、分煙にするためガラスドアで仕切って密閉した喫煙室を設け、出入口にエアカーテンを設置している店がありますが、これでも煙を100%遮断することはできません6)。人が出入りする際には必ず、体にたばこの煙がまとわりついて移動し、有害物質を拡散させるからです。大げさではなく、服や髪の毛、カーテン、家具、壁などからたばこ臭を感じた時には、有害物質を体内に吸い込み、受動喫煙の被害にあっているのです。海外では受動喫煙防止条例の施行によって急性心筋梗塞の入院患者が減少したという事例も報告されています。
6)厚生労働省たばこ規制枠組条約第2回締約国会議の概要
受動喫煙防止の取り組みにより、
急性心筋梗塞の入院患者が減った事例

米国モンタナ州ヘレナ市では、受動喫煙防止条例を施行後6ヵ月間で急性心筋梗塞の入院患者が40%減少。その後、条例が廃止されると入院患者が増大した。
Sargent RP, et al. BMJ. 2004; 328: 977-80. より作成
加熱式電子たばこなら、害は少ない?
最近、煙が出ない新しいタイプのたばこが登場しています。その一つが加熱式電子たばこです。たばこの葉を電気で加熱して蒸気を発生させ、ニコチンを吸い込むものですが、日本禁煙学会によると、紙巻きたばこと同様に依存性があり、発がん性物質を含む有害物質を含んでいることが指摘されています7)。健康被害の評価もこれからであり、安全性が証明されたものではないことを知っておきましょう。
7)日本禁煙学会: いわゆる「新しいタバコ」に対する日本禁煙学会の見解. 2016
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理学的に実証されているのは「動脈硬化を促進する」ことだけです。ほかの害は理学的にはまだ実証されていません。

 

代表が「ガン」です。以下は国立ガン研究センターのウェブのコピペです。

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細胞ががん化する仕組み
更新日:2016年09月14日 [ 更新履歴 ]
1.がん細胞と正常細胞の違い

人間の体は細胞からできています。がんは、普通の細胞から発生した異常な細胞のかたまりです。

正常な細胞は、体や周囲の状態に応じて、ふえたり、ふえることをやめたりします。例えば皮膚の細胞は、けがをすれば増殖して傷口をふさぎますが、傷が治れば増殖を停止します。一方、がん細胞は、体からの命令を無視してふえ続けます。勝手にふえるので、周囲の大切な組織が壊れたり、本来がんのかたまりがあるはずがない組織で増殖したりします。

がん細胞を実験動物に注射すると勝手に増殖を開始し、大きなかたまりをつくります。正常な細胞ではこのようなことはありません。

2.多段階発がん

がん細胞は、正常な細胞の遺伝子に2個から10個程度の傷がつくことにより、発生します。これらの遺伝子の傷は一度に誘発されるわけではなく、長い間に徐々に誘発されるということもわかっています。正常からがんに向かってだんだんと進むことから、「多段階発がん」といわれています。

傷がつく遺伝子の種類として、細胞を増殖させるアクセルの役割をする遺伝子が、必要ではないときにも踏まれたままになるような場合(がん遺伝子の活性化)と、細胞増殖を停止させるブレーキとなる遺伝子がかからなくなる場合(がん抑制遺伝子の不活化)があることもわかっています。

傷の種類として、DNAの暗号に異常が生じる突然変異と、暗号自体は変わらなくても使われ方が変わってしまう、エピジェネティック変異とがあることがわかってきています。

正常な細胞に決まった異常が起こると、その細胞は増殖します。そこに第二の異常が起こると、さらに早く増殖するようになります。この異常の積み重ねにより、がん細胞が完成すると考えられます。

3.がん遺伝子

ある遺伝子に傷がついたときに、細胞増殖のアクセルが踏まれたままの状態になる場合があることが知られています。このような遺伝子は、がん遺伝子と呼ばれています。多くの場合、がん遺伝子によってつくられるタンパク質は、正常細胞も増殖をコントロールしていますが、その働きが異常に強くなることにより、細胞増殖のアクセルが踏まれたままの状態になります。

例えば、「myc」と呼ばれるがん遺伝子の場合、1個の細胞あたりの遺伝子の数が増えることにより、「myc遺伝子」によりつくられるタンパク質が増えすぎて、際限ない細胞増殖を引き起こすことがわかっています。また、「ras」と呼ばれる一群のがん遺伝子は、特定の場所に傷がつくと働きが過剰な状態になり、やはり際限ない細胞増殖を引き起こすと考えられています。

このようにがん遺伝子の変化は、特定のタンパク質の働きを異常に強めることにより、がんにつながる増殖異常を引き起こします。したがって、そのタンパク質の作用をうまく抑えるような薬を見つければ、細胞ががん化することを防いだり、すでにできているがんの増殖を抑えたりすることができます。

4.がん抑制遺伝子

がん遺伝子が車のアクセルとすると、そのブレーキにあたる遺伝子が、がん抑制遺伝子です。がん抑制遺伝子は細胞の増殖を抑制したり、細胞のDNAに生じた傷を修復したり、細胞にアポトーシス(細胞死)を誘導したりする働きをします。DNAの傷が蓄積するとがん化に結びつくので、修復が必要です。異常細胞が無限に増殖しないように、異常を感知して、その細胞に細胞死を誘導することも必要です。このように、がん抑制遺伝子はブレーキの働きをしていると考えられます。

これまでの研究から、いくつかのがん抑制遺伝子が発見されましたが、代表的なものは「p53遺伝子」、「RB遺伝子」、「MLH1遺伝子」等が知られています。それぞれ細胞死の誘導、細胞増殖の抑制、DNAの修復に重要な働きを持つことがわかっています。

5.遺伝子突然変異

遺伝子の傷はDNAの傷を意味します。ヒトの細胞の中にはDNAが存在し、そこにわれわれの遺伝子が暗号として記録されています。遺伝子突然変異とは、この遺伝子の暗号に間違いが生じることを意味しています。タバコ、食物の焦げ、紫外線等、さまざまな外的要因(発がん要因)が遺伝子突然変異を引き起こすことがわかっています。

もう少し詳しく説明すると、DNAはG、A、T、Cの4種類の文字の組み合わせでできています。さまざまな発がん要因により、これらの文字に間違いが生じると突然変異が起こります。がん遺伝子やがん抑制遺伝子を記録したDNAに間違いが生じた場合、がん遺伝子の活性化やがん抑制遺伝子の不活性化が起こります。

図6では、一塩基置換型、一塩基欠失型、染色体欠失による遺伝子突然変異の例を示します。通常DNAの暗号は、G、A、T、Cの中の3文字の組み合わせで決まります。したがって、赤字で示した「C」という文字が、ほかの文字に置き換わったり、失われたりした場合、まったく意味不明な暗号が伝達されることになります。また、染色体欠失がおきた場合には、暗号自体がなくなってしまうことになります。

6.遺伝子のエピジェネティックな変異

遺伝子の傷は、その突然変異によるものばかりであると思われてきました。しかし、遺伝子突然変異以外にも、細胞が分裂しても薄まることなく、新しくできた細胞に伝達される異常があることがわかってきました。それがエピジェネティックな変異で、具体的には、「DNAメチル化」と「ヒストン修飾」の変化です。特に、DNAメチル化の変化はヒトがんの多くで認められ、多段階発がんのステップとして関与している場合もあることが知られています。

遺伝子の暗号のもとであるG、A、T、Cの4つの文字は、細胞が分裂するときには、その通りに新しい細胞に受け継がれます。DNAメチル化(図7のうち、ピンク色の丸印)も、塩基配列と同じように、もとの通りに受け継がれます。

7.遺伝子異常の診断

遺伝子の異常は、正常細胞をがん細胞へと変化させる大変都合の悪い現象ですが、別の見方をすれば、正常細胞とがん細胞を見分けるための決定的な証拠にもなります。したがって、遺伝子異常を応用して、がんの診断や治療ができないかという研究が進んでいます。

例えば大腸がんの早期発見のために、便中に存在する微量のがん細胞の異常DNAや、血中を流れている微量のがん細胞の異常DNAを検出する試みです。がん細胞である決定的証拠の遺伝子突然変異やエピジェネティックな変異を検出することで、がん細胞を見つけようとするものです。
8.遺伝子異常の治療への応用

がん細胞に生じた遺伝子異常によってがん細胞の表面にでき上がる異常タンパク質を標的とした治療法の開発も進んでいます。異常タンパク質のみを認識したり抑制したりすることで、正常細胞に影響を及ぼさず、がん細胞だけを攻撃できる薬(分子標的薬)の開発が行われています。

例えば、イマチニブ(グリベック)という薬は、がん細胞に生じた異常タンパク質のみを抑制することで、白血病を治療することができます(図8)。また、トラスツズマブ(ハーセプチン)は、がん細胞の表面にできる異常タンパク質であるHER2受容体のみを阻害することで、がん細胞の増殖を抑制します。そのため、HER2受容体が過剰に発現するタイプの乳がんにおいて治療に使われます。

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国立ガン研究所の研究によればガンは遺伝子の問題なのです。

 

事実統計学上で「喫煙」「受動喫煙」と「ガンの発生率の上昇」は認められています。

 

発がん性物質」の代表の一つはタバコです。ですが一つは「統計学上有意な結果が出たこと」と学説上の可能性を示すだけにとどまっています。

 

理系の学者は「ネイチャー」に自分の論文が掲載されると喜びますが世界中でいろいろな研究が行われていてその研究に意味や価値があるということを意味することが「ネイチャー」に掲載されることだからです。つまり世界各地にいろいろな(その研究に意味や価値や信憑性が)あるのかどうか不明な研究が山のように行われているということです。

 

私はいわゆる「嫌煙運動が嫌い」です。

 

私はタバコを吸うのですが「たばこの匂い」にはとても大きな問題があるとは思っています。私自身喫煙者にもかからわず「たばこの匂い」がとてもイヤなことがありますから。

 

私が「嫌煙運動が嫌いな理由」は「あまりにも正しい運動」だからです。

 

漫画 君たちはどう生きるか

漫画 君たちはどう生きるか

 

 

 

君たちはどう生きるか (ポプラポケット文庫 日本の名作)

君たちはどう生きるか (ポプラポケット文庫 日本の名作)

 

この小説と漫画は主人公は「コペル君」というのです。コペルニクスからきています。

 

コペルニクスは天動説を否定して地動説を唱えたひとです。

 

天動説的な発想では「自分は絶対で自分の周囲にいろいろなものが動いている」ということになりますが地動説的な発想では「自分も含めて多くのものが動いている」ということになるのです。

 

嫌煙運動家」の発想は「天動説的発想」です。

 

これはタバコの害を否定するものではありません。彼らの発想を非難しているのです。

 

「自分たちは絶対だ!お前らは俺たちに従え!」と要求しているのです。

 

コペル君とは真逆です。

 

違う言い方をしましょう。「正義」という存在は誰にとってもとてもやっかいなものです。

 

かつては「共産主義」も「ナチズム」も「ファシズム」も「正義」でした。

 

これもタバコの害を否定するものではありません。可能性の問題です。

 

私はこういう言い方をします「正義っていうのは安酒だから悪酔いするから気をつけようね」。

 

私が嫌煙運動が嫌いなのが彼らはコペル君とは真逆の傲慢な発想をしていますし「正義という安酒によっぱらっているみっともない酔漢だから」なのです。

 

街にいますよね。みっともないよっぱらい連中。ああいう嫌煙運動家はああいう見苦しいよっぱらいなのです。

 

しかも本当によっぱらいで筋道が立った議論ができないほどに「正義という安酒に飲まれている見苦しい連中」であるという理由で私が彼らが大嫌いなのです。

私は結構「おとな」みたいですよ

私は今(2017年)に53歳なのですが「結構おとなみたい」です。

 

いうと自慢話になるのですがたいていことには対応できるようになっているのです。今も私は問題を抱えていますが(たぶんではあるのですが)なんとかなるのでしょう。

 

ただそうなるためにはやはり実体験として一定程度の経験も必要だったのだろうし自分の中では「思い決断」を下す経験も必要だったのでしょうし「知識」も必要だったと考えています。

 

あれは40歳くらいの時なのですが「二日何も食べてない」という友達の世話をしたことがあります。私は「このひとの胃は空っぽだからいきなり重いものを食べると戻すかもしれない」と思ってそれなりの対応をしました。

 

とか彼にはずいぶんあっていませんが彼のお父さんが失敗して彼に家になくなるということが起きたので他に方法も思いつかなかったのでしばらく居候をしていてもらったこともあります。

 

彼らの状況はともにヒドイ状況だったのかもしれません。でもそもそも誰が不幸で誰がしあわせだと誰かに決める権利などないとも私は思うのです。

 

あるいは私の母が他界した次の年に年賀状をもらったこともあります。私はただ寒中見舞いを返しました。「この方はご存知なかったんだ」と思ったからです。

 

あるいは自分の個人的な話をしてもかまわないような状況の時に私が自分の話を始めると相手のひとが「わかる」といって相手の話を始めたので黙って聞いていたこともあります。

 

別のひとは「自分の自慢話」ばかりをするひとで私に話をするスキがなかったので黙ってそのひとの話をその場では聞いて「こういうひととはつきあえないな」と思ってそういう関係だと思っていたのですが別の場所でそのひとにあったらそのひとが懐かしそうに話しかけてきたので私はもうそのひとはひとの話は聞かないひとだとわかっていたのですが一応挨拶だけはしておきました。

 

こういうことを書くと「ストレスたまるでしょう」とあなたは思ったかもしれません。ストレスは事実長年溜まっています。

 

だけれどもいろんなことがあった(イヤなことも含めて)しそういう時にそれなりの対応ってどういうものなんだろうと考えながら対応して来た歴史が私を「おとな」にしてくれたようです。

 

ただイヤな言い方になりますがもう「面倒くさいことはたくさんです」。そういうことはもう十分してきたと思っていますし。

 

これからは楽しく暮らしていきますしつきあう相手も選ばせてもらいます。

 

 

さだまさしさんのポップミュージックにおける位置

ちょっとウィキってイヤな思いをしたのですが今だにどの作曲家がWW2に協力的だったとかいう記述があったのです。

 

(そうとうあいまいな記憶ですが)服部克久さんが「オヤジ(服部良一さん)の作風に軍歌があってなかったといっていた」とおっしゃっています。

 

作曲家は芸術家なのでかならずしも(今の日本でもそうですが)その時の国策に賛成とか反対とかそういうことで仕事をするものではないはずです。

 

今の日本は「クールジャパン」を押していて「クールジャパン」の代表はアニメなのでしょうがだからといって日本のアニメ監督やアニメ業界が今の日本の国策に賛成しているとはいえません。

 

だからたとえば「軍歌を作ったから戦争に協力的だった」などという発想はあまりにも愚かです。そういうことで芸術家を批判するようなことはもうやめていただきたいと私は思っています。

 

一般には「ジャズの服部良一演歌の古賀政男」という言い方をしてこの二人はいわば日本のある時期のポップミュージックの二大巨頭ではあります。

 

私の世代のひとは嫌いな言葉であったのですがほかにいいようがなかったので「ニューミュージック」という言葉を使っていました。

 

「フォーク」でもなく「ロック」でもなく「歌謡曲」でもなく「演歌」でもないような音楽で今なら「Jポップ」「Jロック」を呼ぶのでしょうが当時は言いようがなかったのです。

 

「ニューミュージック」を始めたのはユーミンです。彼女の音楽はフォークでもありませんでしたしロックでもありませんでしたしだからといってアメリカンポップスでもありませんでしたし歌謡曲でもなかったのです。

 

ただ「ニューミュージック」という言葉はしばらくの間は使われることになりました。

 

やはり「ニューミュージックなのだ」とされていたのが「さだまさし」さんなのです。

 

さださんもやはり「フォーク」でもなく「ロック」でもなく「アメリカンポップス」でもなく「歌謡曲」とも違っていたのです。

 

私はさだまさいしさんは山田耕作の系譜ではないかと考えています。

 

これはウィキからのコピペですが。

野薔薇(作詞:三木露風
唄(作詞:三木露風
歌曲集「AIYANの歌」(作詞:北原白秋) - 「NOSKAI」「かきつばた」「AIYANの歌」「曼珠沙華」「気まぐれ」の全5曲からなる。
からたちの花(作詞:北原白秋
蟹味噌(作詞:北原白秋
この道(作詞:北原白秋
かやの木山の(作詞:北原白秋
六騎(作詞:北原白秋
鐘が鳴ります(作詞:北原白秋
松島音頭(作詞:北原白秋
中国地方の子守謡(編曲)
ロシア人形の歌(全5曲、作詞:北原白秋
愛する人に(An die Geliebte、作詞:エドゥアルト・メーリケ)
漁師の娘(Das Fischermädchen、作詞:テオドール・フォンターネ)
紫(作詞:深尾須磨子)
童謡[編集]
赤とんぼ(作詞:三木露風
兎のダンス(作詞:野口雨情)
お山の大将(作詞:西條八十
七夕(作詞:川路柳虹
砂山(作詞:北原白秋
かえろかえろと(作詞:北原白秋
酢模の咲くころ(作詞:北原白秋
ペチカ(作詞:北原白秋
待ちぼうけ(作詞:北原白秋
あわて床屋(作詞:北原白秋

 

さださんの音楽は「童謡唱歌」の世界を引き継いでいるもので「抒情的」なのです。

 

余計な話ですが山口百恵さんにさださんは「秋桜(こすもす)」という曲を書いています。私が勝手に当時そう思っていただけなのですが百恵さんは「秋桜(こすもす)」あが当時気にいっていなかった気がします。

 

当時の百恵さんは谷村新司さんの影響があってシャンソンを聴いていたらしいのです。シャンソンが好きなひとたちに「シャンソンの汚さがいい」という人たちがいます。

 

秋桜(こすもす)は母と娘の物語なのですが抒情的で「キレイ」なのです。百恵さんは当然女性ですし「母と娘がこんなにキレイな訳がない」という不満を抱いていても不思議はないのです。さらにシャンソンも聴いていた訳ですし。

 

ただ長い年月を経て百恵さんは「やっぱり秋桜(こすもす)は良い歌だった」と思うようになったようです。

 

もちろん服部良一古賀政男もいい曲をたくさん作っていますが山田耕作もやはりいい歌をたくさん残しています。

 

さださんの日本のポップミュージックの世界での位置の不明確さはさださんが山田耕作のラインの音楽家だからなのだと私はずっと考えているのです。

日本本土のリズム 

私は貧しい家の育ちなので音楽教育を受けられませんでした。

 

コンピューターミュージックも好きなのですが昔はPCが高価だったのでそれもできずにいたのです。

 

ですが最近になってその方がよかったと思うようになりました。

 

というのは私には何でも音楽に聞こえるのです。さっき洗濯機を回していたのですが洗濯機の回る音を聞いて「これって何拍子かな」とか考えていたのです。

 

子供の頃から私には普通なのに世間の常識とされていることが間違っているとしか思えない子供だったのです。

 

たとえば日本本土は「前打ち(オンビート)」だというのが定説なのですが私はダンスミュージックに関して日本本土は「「前打ち(オンビート)と後打ち(オフビート)が混在している」のだとずっと考えているのです。

 

たしかソラリゼーションというのだと記憶していますがこれは「口三味線」です。

 

「チャンカ」が私は日本本土のダンスビートの基調だとずっと信じています。

 

「チャン」はオンビートです。「チャン、チャン、チャン、チャン」とオンビートです。でも「カ」はオフビートです。「(ん)カ、(ん)カ、(ん)カ、(ん)カ」とオフビートなのです。

 

「チャンカチャンカチャンカチャンカ」となると当然オンオフの両方を取るはずです。

 

あるいは3拍子です。

 

私はお念仏もお題目もやはり音楽にしか聞こえていなかったし今も音楽にしか聞こえないのです。

 

ウチは浄土真宗なのでお念仏なのですがお念仏には節回しがあってこれが3拍子なのです。わかりやい例が「ナン、マイ、ダー」です。「ナンマイダーナンマイダー」ということは3拍子です。

 

お題目も音楽的には3拍子です。「南無(1)妙(2)法(3)蓮(1)華(2)経(3)」を繰り返すのですから当然3拍子です。

 

お題目を早くいうのが私は昔から大好きでした。「南無妙法(123)蓮華経(123)」とこれは3連(つまり4分音符を三つに分けているもの)です。

 

私が音楽教育を受けて絶対音感でも身に着けて居たらとてつもない苦しみを味わっていたはずですし私は譜面を書くことも読むこともできませんがそういうことができていたら一日中頭の中が譜面だらけになってしまってやはりとても苦しかったはずです。

 

それに音楽教育を受けていなかったから概念はしらなかったのですがクラッシック音楽では近代音楽(ドュビッシーとかラベルとかムソルグスキーとかストラビンスキー)が子供のころから好きでした。

 

多分コード感(和音の感じ)が原因だったと考えています。

 

事昔の歌謡曲も好きだったのですが「なんか音の響きが物足りない」と思っていたのです。

 

モーツァルトが好きになったのは最近です。

 

ローコードといういう3つの音で構成されたコード(和音)があるのですが子供のころの私はローコードよりもテンションコードが好きだったようです。

 

あるいは「急に変わる音楽」が子供のころから好きだったのです。「雪の降る街を」という童謡は音楽も歌詞も両方子供のころから好きだったのです。

 

あるいは小学生の時にユーミンを聴いていて(その頃概念は知らないのですが)普通はポップミュージックはAのメロディからサビに行く前に「つなぎのメロディ」をいれるんだけれどもユーミンはAからサビにいきなり飛ぶなと思っていました。

 

これは「転調」です。

 

中村八大さんが私は好きで「八代さんは変な音をつかうから好きだ」と思っていたのですがこれは「半音ブルーノート」でした。

 

ジャズの響きがずっとわからなかったのですがテレビで大江千里さんが説明しているのを聴いて納得しました。

 

ジャズでは3つの和音の一番下の音をルート(根っこ)の音と呼ぶのですがルート(根っこ)の音を一オクターブ上げるらしいのです。

 

私は音楽教育を受けていませんから概念はしらないでしたのです。

 

でも子供のころからわかっていたのです。

死刑論議ってまだやってたんだ 「終身刑の導入と死刑廃止の議論はパックのはず」

死刑を存続するのか廃止するのかという議論をまだやっているようです。

 

私は「死刑廃止」と「終身刑導入」はパックで考えるのが筋だと考えています。

 

確か杉浦日名子さんがテレビで発言されていたのですが時代劇で「遠島3年の刑に処す」というは間違いなのだそうです。

 

というのは「遠島(つまり島流し)」は終身刑であったからです。

 

終身刑以外の「遠島(つまり島流し)」はなかったのだそうです。

 

ある場所でストーカーの果てに凶悪犯罪をおかして幸い被害者の命は無事だった事件があったのですがその犯罪者の法廷での様子をみると(すくなくとも私には)「コイツが反省することはない」としか思えませんでした。

 

もちろんそういう凶悪犯罪者であったとしても「反省して罪を悔いる」可能性は否定できません。

 

ただ「反省して本当に罪を悔いる」ことはあくまでも可能性としてしか存在しません。

 

私は今(2017年)に生きる日本人なのですが私の「感覚」では「死刑」よりも「終身刑」の方が重いとしか感じられないのです。

 

そういう日本語のいいまわしがあります。「いっそ一思いに」というやつです。

 

少なくとも現代日本を生きる私にはやはり「死刑」よりも「終身刑」が重いとしか感じられないのです。

 

私の議論のよりどころは不明なのですが多分「凶悪犯罪者が本当に反省して罪を悔いる可能性」が一つの論点になっているようです。

 

その可能性はゼロではありません。

 

でもさっき上げた凶悪犯罪の被害にあわれた女性は心底おびえておいででした。

 

一部マスコミが殺人事件の遺族の方から「死刑にしてほしい」というコメントを取ってくることに私は怒りを禁じえません。

 

お身内をなくされた直後のご遺族の方の心情がそんなに簡単なものであるはずがないからです。

 

もちろん「犯人を死刑にしてほしい」というお気持ちもあるでしょう。だけれども(それがどんな一言であったとしても)身内が殺された方が「一言」でお気持ちをおっしゃることはもとより不可能であるはずです。

 

こういうコメントを取ったマスコミはそういうコメントを取ったという責任があるのですからご遺族の方に10年20年いやもっと長く寄り添うべきでしょう。

 

そしてもう一つの論点は「冤罪」です。

 

警察関係者であれば「冤罪」の可能性は否定できないと感じていらっしゃるはずです。

 

「犯人の反省の可能性」と「冤罪の可能性」をかんがみるとやはり(すくなくとも私には終身刑の方が死刑よりも重いとか感じられませんが)「終身刑」の導入を進めるとともに「死刑」の廃止を進めるのが筋だとしか私には思えないのです。

見た目に出ていたのかもしれません 自分のインテリぶりが

周囲の反応で「今の自分って超頭良いひとがちょっとおかしくなっているだという風に見えているんだ」と思ったことが昔ありました。

 

昔の精神科では患者の扱いは基本悪かったですし結構厳しい男性看護師がいたのですがそのひとが私に対してだけは敬語を使っていましたしとてもいい扱いをしてくれたのです。

 

ある時に入院した時に自分で自分の姿が変わってゆくのがわかったのですがその時私は自分で自分の姿を見たくない気分だったので鏡も見てはいませんでした。ただ周囲から話しかけれることがほぼないとは思っていました。

 

ある時に前から知っているスタッフから「坂本さんはもちろんインテリなんですが今ものすごいインテリの姿になっています。私たちは坂本さんがいるとインテリから監視されているみたいな気分になって緊張しているんです」と言われて驚いたのを覚えています。

 

そういう時の自分が「インテリにしか見えない姿」だったのだとすれば納得できる(というかそう自分で思わないと納得できない)ことが数回あったのです。

 

当時私は病状が重く疲れていたのですがカウンセリングを受けていたのです。そのカウンセラーがなぜか私に議論をふっかけてきたのです。その議論を一蹴することは(実は)簡単だったのですがなにしろ病気で疲れてもいましたしカウンセリング中に議論する意味などないと思って流していたのですが。

 

今から思うとあの時の私は「見た目がインテリだった」のかもしれません。

 

ほかにもヘンに私に知識をひけらかす女性がいてオカシイと思っていたのですが彼女にも「このひとってインテリだ」という風に見えていたのかもしれません。

 

私はそうとう見た目が変わるらしいのです。

 

激やせを私は何回かしていますが激やせしている時に初めて会ったひとが私の体重が普通に戻った時に「今はもう別人です」といっていましたし。

 

厄年の時に長崎で修行らしきものをしてのですがその時に友達になった男性から「坂本さんがどんどんカッコよくなっていく」といわれているのです。

 

その時に「坂本さんは何ですか」とも別のひとから効かれてその時に私は質問の意味がわからずに黙って流していたのですが。

 

その質問をしたひとは和食の板前さんだったので後で「あのひとはオレを板前だと思ってどのジャンルの料理が専門なんですか」という意味で「坂本さんは何ですか」と聞いたのだとわかりました。

 

私は本当に見た目が変わるらしいのです。

 

ちょっと私をバカにした対応をしていたひととしばらく経って喫煙所で同席した時に向こうは声をかけなかったのです。今から思うと声をかけられないくらい私の見た目が変わっていたのかもしれません。

 

私は本当に見た目が変わるようで時々「超インテリ」に見えているらしいのですよ。

「妄想」は症状だから「妄想だけを問題にしないでください」

岡田尊司さんの「統合失調症」という本のある部分を読んで「それはそうなるだろう」と統合失調症である私は思っています。

 

ある女性患者の例がこの本の中で紹介されているのです。アマゾンのリンクを張っておきます。

 

統合失調症 (PHP新書)

統合失調症 (PHP新書)

 

 

具体的には書きませんがあきらかに妄想があった女性の妄想が取れていったそうなのです。ですが彼女はその妄想がほぼなくなるとともに自殺しているのです。

 

私は勝手にブレーカー理論といっているのですが本人の中で「精神のキャパシティー(容量)では受け入れらないような事柄に出くわすと本人の意志とは無関係に精神のブレーカーが上がってしまう」のです。

 

結果ある記憶が思い出せなくなったり妄想が発生してしまうのです。

 

それはなんともいえないところなのですが「同じ事柄に遭遇したとしても原因に妄想が発生する訳ではない」ようです。

 

ただ事実妄想が取れて自殺した女性がいるということの意味を考えてみましょう。

 

彼女は「妄想を作り出すことで自分を守っていたのにその妄想がなくなることでもう自分を守ることができなくなって自殺したのだ」と私は考えています。

 

幻聴も統合失調症の代表的な症状ですし私も幻聴が聞こえていた時期があります。

 

ただほとんどの幻聴持ちは「この幻聴は事実ではない」と認識しています。

 

そのひとのことはよく知らないのですがあるひとが「あのひとは自分のことを霊能者が超能力者だと思っているのだけれどもそれはただ幻聴が聞こえているだけで病気なんだというかどうか迷っている」といっていました。

 

これは妄想であっても同じことです。ほとんどの妄想を持っているひとは「これは事実ではない」ということがわかっています。

 

しかも妄想の内容は恥ずかしいものですし(たとえ相手が主治医であっても)「自分には妄想があるのだ」ということは言わないのが普通なのです。

 

妄想はいわばリエスクヘッジとして存在しているのであるから妄想だけを問題にして妄想を取りたいという医師の気持ちはわかりますがそういう行為はとてもリスキーだということは抑えていて欲しいものです。