ある通販での広告文が「日本製ですよウチは」みたいなものでした。でもその商品は正直ダメでした。
日本製の信頼は先人たちが少しずつ積み上げて来たものです。大昔は「made in Japan」というと「質が悪い」という意味だったのです。
それを先人たちが「内容contents」によって変えて来たのです。
今でも事実商品が良いだけれども「売り方がなあ」という商品もあります。
でもある種の人たちが"made in Japan"を理容して商売をしています。
このままではやがて"made in Japan"は質が悪いことのシンボルになってしまいます。
私が言いたいのはタイトルの通りです。
私は通販でランニングシューズを買うつもりです。私は安くてデザインが良いものをアマゾンで探しているところではあるのですが。
たとえばナイキとかアシックスは当然高価ですがその分「信頼」が置けるのです。
でも私はあえてまだ無名なメーカーのランニングシューズを買うつもりです。
「安くて品ないいのであれば消費者である私は安くて品な良いものを買う」のは当然です。
あるルールウェアの注意書きを読んで私は「今ってそういう時代なんだ」と思っています。
その注意書きには「この商品は外国製なので普段のサイズよりも2サイズ大きいものを選んでください」と書いてあったのです。
そのルームウェアのデザインがよかったのです。
"made in Japan"というのは今となってはもはや「看板」です。
しかも先人たちがたゆまぬ努力で作った「看板」なのです。それを「食いつぶす」ような商売はやめて欲しいのです。
私の予測では10年後には"made in Japan"は粗悪品としての「看板」に成り下がっているはずです。
問題は「看板」ではなく「中身contents」なのです。
そして同じ日本人の先輩が作り上げた"made in Japan”の看板を食いつぶしている道楽者が多数いるようですから。
日本は恥の文化なのです。恥を知りましょうか。