サザンオールスターズや桑田佳祐さんが作る音楽が私には長年わかりませんでした。
今もわからないのですが。
何故か拒絶したいような気分になるのがサザンオールスターズであり、桑田佳祐さんが作る音楽だったのです。
桑田さんがラジオでやっていることを聴いてもやはり拒絶したいとずっと思っていたのです。
サザンオールスターズも桑田佳祐さんも好きなのですが。
私がアルバイトで最初に買ったものはアイワのヘッドフォンステレオでした。
本当はソニーのウォークマンがほしかったのですが、高くて買えなかったのです。
今でもそうだと思うのですが、自分で働いて、お金を稼ぎ、初めて買ったものには思いいれがあり、覚えていることが普通にあるようです。
私より若い友人はGショックだったといっていました。
腕時計ですね。
私の音楽の聴き方の中にサザンオールスターズや桑田佳祐の作る音楽がはいる余地がありませんでした。
もう少し説明します。
たとえばヘッドフォンステレオで音楽を聴きながら歩く場面、車を運転しているときにカーステレオで音楽を聴く場面、部屋に一人でいて音楽を聴く場面、友達と一緒になんか音楽でも聴こうかと思う場面、彼女と一緒にいるときに音楽を聴く場面。
どの場面にはサザンオールスターズや桑田佳祐さんの音楽が妙になじまないのです。
ヘッドフォンステレオに一番似合っていると感じていたはユーミンでした。
松任谷由実さん(荒井由実)さんは絵画の世界でいう「印象派」を音楽でやろうと試みた方です。
「印象派」の説明も難しいのですが、「あきらかにこれって赤ですよね」というものを「いや、私の印象ではなんか点の集合にしか見えないんですよね」という「印象」を受けたから「点の集合体」として書くという当時の前衛です。
私はドビュッシーの「月の光」は死ぬまで忘れないほどに印象に残りました。
今も好きです。
もともと好きだったのですが、熊本地震が起き、私も被災し、地元のラジオ局をつけっぱなしにしていたときに繰り返し流れていたのがドビュッシーの「月の光」だったからです。
そうとう切羽詰まった状況です。
ラジオ局としても、「こういう場面でどういう音楽を流すべきなのかの判断がつかなかった」のです。
それで「まあこれならいいだろう」ということだったと思うのですが、繰り返し「月の光」が流れていました。
そうとうの覚悟をもってあるパーソナリティの方が、ある場面でかけたのは「アンパンマンのマーチ」です。
それはそうとうの覚悟でした。
熊本全体が切羽詰まっているのです。
その場面で例えば恋愛に関する歌や若者らしい歌や昔のフォークソングを流しても誰かが傷ついてしまうかもしれないのです。
そういう切羽詰まった状況なのです。
江越哲也さんという方なのですが、「アンパンマンのマーチ」をかけますと、相当の覚悟で言い、ラジオで流しました。
しょせん音楽だとしても状況(シチュエーション)によっては流せないという場合もあるということです。
音楽の印象派のありようをある言い回しで言っていたのはサティだと思います。
彼は「家具としての音楽」と言っているのです。
これを私が解釈すると、それ以前の音楽はコンサートホールに着飾って行って、聴くものだったのだが、あるいはお金持ちやえらいひとが自分がパトロンをやっている音楽家に自分の家で演奏させて、場合によっては批評し、楽しむものだったのだけれども、それはもうやめましょうということです。
普通に生活していて、「自分はこのカーテンが好きかな」と思うとそのカーテンを選んで、そのカーテンを部屋があるような感覚で「音楽」に接してほしいのですということになります。
ユーミンの音楽にはどこか、そういうところがあり、悪口ではまったくないのですが、ユーミンの音楽とともに生活すると心地いいのです。
それがヘッドフォンステレオにはユーミンは似合っているということです。
でもサザンオールスターズや桑田佳祐さんの音楽は「家具としての音楽」では、少なくとも私にとってはありえないものでした。
桑田さん、これってどういう状況(シチュエーション)で聴けばいいんですか?
と聞きたくなるような音楽です。
サザンオールスターズや桑田佳祐さんの音楽に接せる態度もまったく私にはわからないのです。
名盤「ロングバケーション」を大瀧詠一さんがリリースしたときに、渋谷陽一さんがラジオでコメントし、書いてもいました。
「長年みんな大瀧さんはこれをやればいいと思っていたんだよ。音頭物とか、ああいうことをやっても売れるはずがないのにやるから貧乏してて。あなたは日本のフィルスペスターなんだから、これを早くやればよかったでしょ」。
というような内容です。
フィルスペクターはアメリカの音楽家で、私ごときが言及できるひとではないので、ググるなりして、調べてみてください。
そして渋谷さんの「ロングバケーション」の話はまだ続くのです。
「このアルバムはすごく質も高いし、いいアルバムなんだけど、なんかこれって正座して聞かなきゃいけないようなアルバムなんだよね」
それは「音楽に対するときの態度」の話です。
実際正座をしないとしても「正座をするようなかしこまった気持ちで聴く」という「態度」の話なのです。
昔のロック喫茶ってそうだったんだとチャーさんのラジオでの発言を聞いて思いました。
チャーさんは日本を代表するロックギタリストで、「アイドル」までやっていた方です。
チャーさんはサザンオールスターズや桑田佳祐の直系の先輩なのかもしれません。
チャーさんのラジオでの発言内容は、ロック喫茶で世間話とか始めると怒られたという内容です。
「お前ら真剣にロックを聴け!」ということらしいのです。
今から思うと奇妙だとしても、それも一つの態度としてありえます。
チャーさんがサザンオールスターズや桑田佳祐さんの直系の先輩かもしれないと私が思うのはチャーさんが「アイドル」をやっていたときの「独特の感じ」があったからなのです。
今は違うのかもしれませんが、アイドルは音楽の知識もなく、かわいかったり、かっこよかったりするだけのひとがやるものみたいな「時代の気分」が長年存在し続けました。
ですから音楽に関する知識があり、それなりの真剣さで音楽に向き合っているひとが「アイドル」をやることはあるのですが、どういう「感じ」で「アイドル」をやればいいのかがわからないのが普通だったのです。
チャーさんは半笑いでした。
「オレなんかアイドルやってるし」という感じで「アイドル」をやっていたました。
その「感じ」がカッコよかったのです。
「原田真二君とか友達なんだよね」とかいうのも、なんか今の言葉でいえば「ウケル」ような「感じ」で超カッコいいのです。
チャーさんの半笑い感は、あの方が東京人だということと関連しているのかもしれません。
元ロック少女の松任谷由実さんがチャーさんのスリーピースバンド・ピンククラウドが私好きで発言していたのですが、それはもちろん音楽のことです。
チャーさんの「感じ」もよかったのではないかも思います。
とにかく多面的で重層的だし、私が言及できる存在ではないのですが、ビートルズがいます。
ビートルズはロックバンドです。
それはそうです。
でも「女の子たちからキャーキャー言われる存在」でもあったのです。
時代のアイコンという意味もあるでしょうし、「音楽家」という意味もあるのでしょうが、でも同時に
「女の子たちからキャーキャーいわれる存在」でもありました。
もちろんビートルズは偉大ですが、同時に「女の子たちからキャーキャー言われる存在」でもあったのです。
女のひとは、いくつになっても、どんなにえらくなっても
「私なんかキャーキャー言いたい」という気持ちがあるのではないかと私は想像しています。
松任谷由実さんにとってピンククラウドは「キャーキャーいれるバンド」だったのではないかも想像するのです。
もちろん松任谷由実さんが納得できるくらいの音楽の質は絶対必要なんですが。
チャーさんが「女の子たちからキャーキャーいわれているときにコレウケルと思えるような方」だったからではないのでしょうか。
そのチャーさんの、この場合でいうと「アイドル」への態度が、音楽の聴き手としての松任谷由実さんの態度を、決定づけてくれるから、音楽の質だけではなく、「ピンククラウド」の存在が松任谷由実にとって非常に好ましかったと私には思えるのです。
私はチャーさんのおそらくファンです。
しかしコンサートに言ったことは一度もありません。
私のようなどこかマニアックなオヤジがチャーさんのコンサートに行くのはどこか違うと感じているからです。
それくらいカッコ良いんです。アマゾンとユーチューブをはっておきますからぜひ聴いてください。
「気絶するほど悩ましい」が一般には代表曲なのですが、「スモーキー」という英語詞のうたがマニアックなオッサンにはツボなのですが。
「スモーキー」は普通にとんでもなくカッコいいので、マニアックな「態度」で接する必要性がないような歌です。
普通に聴いて、普通にカッコいいと思うという「態度」で聴くような歌です。
ただ私は当然オッサンですし、日本のロックの歴史を若干知っているので、「スモーキー」を聴くときに、ちょっと力が入ってしまうのです。
そういう必要性はないのです。
「ただこれいいな」と思って聴けばいいのです。
本当に普通に超カッコいいのですから。
ただ自分がチャーさんのコンサートに行くとなんか変にりきんで「スモーキー聴きたい」という「態度」になるなと思うと、「それちょっと違うんだろうな」と思うので、好きなのですが、「チャーさんのコンサートには行ったことがない」のです。
チャーさんが、カンタンにいうとそんなには売れないままで、でも現役でずっとやっているのは、もちろんミュージシャンとして一流だからなのではあるのですが、東京人独特のカッコよさや「半笑い感」が原因としてあるのではないかと想像しています。
名十周年かで武道館コンサートができるのですが。
あまりのかっこよさや「半笑い感」にみんなついていけないのだが、やっぱり音楽もチャーさんも良いということでしょう。
だいたい私は「チャーさん」と書いているのですが、そこも本来「チャー」のほうがいいんです。
「チャー」って普通に言えるひとのほうが、あの方のコンサートには似合うんです。
でも行きます。四の五の考えてないでコンサートに行きますよ。
アルバム聴きますよ。
もう考えませんから。
サザンオールスターズや桑田佳祐さんの話にやっと戻るんですが。
桑田さんが長年ラジオ番組をやっていて、
「それ良いんですけれど、正直いって迷惑なんですが」と思ったことがあります。
その件があったので桑田さんのラジオも聞いていないのです。
桑田さんがラジオでアコースティックギターを弾きながら普通に歌んです。
その時は中島みゆきさんの「わかれ歌」をボンジョビでやりますという回でした。
ボンジョビだから(ボンジョビファンの方申し訳ありません、私には悪意はまったくありません)
ウホウホウホウホで良いんです。
「ウホウホウホウホ、道に倒れて、ウホウホウホウホ、誰かの名を、ウホウホウホウホ」なんですよ、桑田さんがやっていたことは。
ボンジョビで「わかれ歌」をやればそうなるし、すごくいいのですが。
今という時代があるのです。
今や大御所ミスチルの桜井さんが、トリセツの西野カナさんはすごいという時代です。
「西野カナさんは普通にコンサートで歌っても、歌がCDのクオリティーだ。あれはすごい」という時代なのです。
一流ミュージシャンが自分のラジオ番組で、アコースティックギターを弾きながら生歌を歌うような時代ではないのです。
サザンオールスターズや桑田佳祐さんの音楽どういう「状況」で聴けばいいのか、どういう「態度」で聴けばいいのかが私にはさっぱりわかりません。
でもようは「聴けば」いいんでしょ、サザンなんてしょせんただのポップロックなわけでしょ。
余計な話をつけくわておきますが、私がまあいかなと思って、中古でサザンをアルバムを買ったことがありました。
そのアルバムのなかで「これは本当によかった」と思う出会いがありました。
長年音楽的に相思相愛だった、宮川奏先生がオーケストレーションをしている曲があったのです。
宮沢奏先生はザ・ピーナッツの育ての親ですし、クレイジーキャッツの音楽やテレビのいろいろな音楽、「宇宙戦艦ヤマト」の音楽の作曲者です。
長くラジオ番組もやっていらっしゃました。
宮川先生が「桑田君のメロディの展開がおもしろい。サビで音程がさがるんだよね。あれってR&Bの影響なのかな」と書いていたんだと思うのですが。
私もイヤなガキだったので、そのときは「桑田さんはマービン・ゲイやりかったんじゃないのな」と思っていたした。
これはマービン・ゲイの歌のすごさなのですが、あのひとは普通に最初から最後まで、「オクターブユニゾン」で歌っていたりするのです。
ユニゾンというのは、同じメロディを複数のひとが歌うことなのですが、オクターブユニゾンというのは、一オクターブ上か下で同じメロディを歌うことです。
男性と女性であれば普通です。
しかしマービン・ゲイはひとりでそれをやっているのです。
その歌は忘れたのですが、その時私は「本当は桑田さんはオクターブユニゾンで最初から最後まで歌いかったんだろうけれども音域上そうはいかなかったのでサビで低い方にいったのではないか」と思っていて、それイヤなガキでしょ。
ただ桑田さんのメロディは
「ここは盛り上がるところだから普通あげますよね」
というところで下がっていたりしますし。
そこもさっぱり私にはわかりません。
でもただ聴けばいいんですよ。
サザンなんてしょせんただのポップロックなんだから。
四の五のいわないで聴けばいいのに。
桑田さん、この件に関しては僕は自分自身が悪いとはこれっぽっちも思えないんですよ。
あなたが変なことをしているから、僕が変に悩んだっていうことなんでしょ。
別に桑田さんが悪いとは思いませんよ。
でも僕だって悪くないでしょ。
そうですよね、桑田さん。