読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

処世術

 

「問い」

私は生活していく上で重要な問いは二つあると考えています。

5W1Hという言葉は聞いたことがあると思います。

Who 誰が?
Where どこで?
When いつ?
Why なぜ?
What なにを?
How どうやって?

この6個の問いの答えを業務上、日常生活の質問等に答えるときに入れると良い答えだといえます。

例えば
「私が(Who)明日午後3時に(When)○○社の会議室で(Where)○○社の値下げ依頼に対応するために(Why)出向いて適切な商品の値段(What)を交渉して決めてきます(How)」

「佐藤さんが(Who)昨日の夜(When)維新という居酒屋で(Where)つきあいがあったみたいで(Why)酒を飲んで(What)夜更かしした(How)みたいですよ」

という発言には6個の問いの答えが入っています。

5W1Hは昔から言われていることでもありますし、何気ない会話の中にも入っている問いなのです。

そしてこの6個の内容を入れ込むと話がとても分かりやすくなります。ですから良い答え、良い発言だといえます。

 


ここではこのような問いと答えのもっと前の段階での問いと答えの発想を問題にします。

たとえばあなたがカフェを開いているとします。

お客さんが少ないこともあるでしょう。顧客を増やしたいと思った場合に必要な問いはなにでしょうか。

まずダメな問いから言います。

「なんで(Why)お客さんが来ないんだろう」

こんなことを考えていても、当然顧客は増えません。

適切な問いが以下です。

「どうやれば(How)お客さんは来てくれるのかな」

「それじゃあ店頭に手書きのメッセージが書けるようなボードを買ってみようかな」
「それじゃあ業者さんにポスティングお願いしようかな」
「もしかしたら今の料金設定は違うのかもしれない。もっと値段を下げてみようかな」
「店が目立たないのかしれないな。お金はかかるけど看板をかけなおそうかな」

このようにHowがとても有効ですし、最初のHowからたくさんの問題解決策(ソリューション)が自分の中で浮かびます。

人間関係で悩んでいるときもどうようです。

「このひと苦手だな」と思ったとします。

「なんで(Why)僕はこのひとが苦手なんだろう」と思ったとしても問題は解決しません。

「どうやれば(How)このひととなんとかやっていけるだろう」という問いが問題の解決につながってゆきます。

話がずれますが、苦手な問題、苦手なひととの対応の一つの方法としてパターンで処理するというものがあります。

「一切考えない」という方法です。

このひとはいつもこういうから、そういう時は相槌を打って「そうですね」という。しかも話を聞くのはイヤだから話は聞かないという方法です。

パターンで処理しないと苦しい場面も多々あるでしょう。

クレーマーの存在もあるでしょう。

「とにかく頭を下げて、あいての話をひたすら聞いてクレーマーの怒りが収まるのを待とう」という発想も有効だと思います。

訳のわからないことを言う顧客がいるから反論はしないで、顧客のニーズを探ろうという「あいてが言っていることとはまったく別のことを考えながら話を聞く」という方法も有効です。

ストレスという言葉が日本で使われ始めて長いのですが、ストレスという言葉についてちょっと考えてみましょう。

ストレスはストレッサーとストレッサーから受ける精神の反応の二つでできています。

ストレッサーはストレスの元です。

ですから職場にイヤなひとがいる場合、そのひとはストレッサーといえるでしょう。

同じストレッサーから受ける精神の反応はひとそれぞれです。

あきらかにイヤなひとでもたいして答えないどころかストレッサーでしかないひとの存在やそのひととのコミュニケーションを楽しんでいるひともいます。

逆に、「このひと消えてくれないかなあ」と思うくらいストレッサーから精神的ダメージを受けているひともいます。

ですからストレスの問題を考えるうえで重要なのは、一方ではストレッサーの存在をなんとかする。

それはセクシャルハラスメントパワーハラスメントをなくしてゆくということです。

しかしそれだけではダメです。

ストレッサーから受ける精神の反応を考えていく必要がありますし、私の専門領域はこちらの方です。

「考える必要がない相手」もいるのです。

そういう相手には一切考えないで先ほども書いたようにパターンで処理してゆくという方法も有効ですし、あいてが言っていることとはまったく別にことを考えながらあいてをする方法も有効です。

実際に私が経験したエピソードでいうとおそらく50代の男性で悪いひとがいました。

何かとからんでみたり、すぐいちゃもんをつけるようなひとです。

私はこのひとのあいてをして困ったことはありませんでした。

そのひとと出会った頃にはもう接客業に従事して長くもあったので、本当に失礼な話ですが、

「このひとどうせバカだし。内心どうせこのひとは敬語使って、頭下げていれば満足する程度のひとでしかない訳だし、そういう対応だ」

と思っていたのです。

もちろんそれではすまないひともいます。

そういうひとに対してはホンキの対応が必要です。

気持ちもそうですし、重要なのはカタチです。

よく「本当に感謝しています」とかいうひとがいます。

事実そのひとは感謝しているのかもしれません。

しかしその感謝をカタチにすることがとても重要なのです。

年賀状を書くであるとか、失礼のないタチイフルマイをすることがとても重要なのです。

そんなことに対してお金が必要な訳でもありませんし、カタチにならない感謝は感謝とはいえないと私は考えています。

「口先だけのひと」でしかないという意味です。

話をもとに戻しますが、ストレッサーから受ける精神の反応というよりダメージを回避する方法がとても重要です。

これはさきほど書いた方法が有効だと私は考えています。

パターンで処理するであるとか、あいてが言っている内容とかまったく別のことを考えながら聞くであるとかです。

繰り返しになるので、書きませんが。

話をもとに戻します。

Howが日常生活を送る上ではとても有効な問いです。

これは間違いありません。

ではWhyには意味がないのでしょうか。

私は違うと思います。

例えばあなたが予備校の営業や事務の仕事をしているとします。

もしあなたが一流大学を卒業して、そのような仕事をしているとしたら、仕事に身が入りません。

何故ならあなたはあなた自身もあなたの友人も一流大学に入学して、卒業しているのに大したことないひとだと知っているからです。

ですから「受験にせいを出したって、そんなことで人生なんか決まらないよ。受験って意味あるのかな」などと考えているからです。

「受験って意味あるのかな」という内心のつぶやきはWhyです。

「なんで受験なんてものがこの世にあるんだろう」という問いに直結してるからです。

一方Whyを持たないひともいます。

若いころに思うWhyは邪魔になることの方が多いです。

仕事へのモチベーションを下げてしまうです。

しかしWhyはやはり重要です。

そのメカニズムは私にはわかりません。

しかし若い時期にWhyをもてなかったひとは30代中盤で失速して仕事ができないひとになっていきます。

一方若い時期にWhyをもてて、それゆえに仕事ができなかったひとは30代中盤で伸びてきて、仕事ができるひとになってゆくのです。

私が最近よく言う「ちょっとは考えましょう」ということもあながち暇人のたわごとだとはいえないようです。

結論としてHowを日常的に使うようにしながら、Whyという面倒な問いを自分の中にとどめ置く生き方が適切な生き方だということになります。