世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

宗教ってそうとう大きいですよ 誰にとっても 「死」とか考えようか

原始キリスト教がそうであったのかどうかは不明です。

 

ただキリスト教のある種の原理として「子をなさないセックスはすべてダメだ」という考えがあるのです。

 

この原理に従うと

 

マスターベーション

・避妊

・人工中絶

・同性愛

 

はダメになります。

 

バチカンはいわばキリスト教の総本山なのでそういうところは「どうしても押し通さなくてはならない部分」と「時代とともに変化していくことを受けいる部分」の両方が必要です。

 

現実問題としてマスターベーションも避妊も人工中絶もダメだという主張には今の世界においてはそうとう無理があります。

 

確かにバチカンの法王の判断には人道的見地も含まれていたはずです。

 

ですが「子をなさないセックスはすべてダメだ」という原理原則にあまりに固執することの方が現代社会では危険性があるのかもしれないという判断もあったはずです。

 

ジェレド・ダイアモンドさんが(こういう言い方に私は抵抗があるのですが)未開社会の女性について書こうとされたことがあったらしいのですがあまりに女性の地位が低いので辞めたという件があったらしいのです。

 

ある集団を維持するためには女性の数が重要になります。

 

男の浮気はどこか許されるのに女の浮気に世間が厳しいのもこの理由によるものだと私は考えています。

 

日本には世界史上類をみない一夫多妻のシステムがあります。「大奥」です。

 

そういう漫画も映画(?)もあったのですが逆大奥が存在しません。

 

男性が複数の女性と関係を持つと出産の可能性が上がります。

 

しかし女性が複数の男性と関係をもっても出産の可能性はたいしてあがらないのです。

 

人類学の研究で女性が「贈与」の対象になっていたことが明らかにされています。

 

これが男ではダメなのです。

 

女性の絶対数があればその集団に子供が産まれる可能性が上がるのですが男性の絶対数が増えても子供が生まれる可能性はたいしてあがらないのですから。

 

というようなことを書くと女性たちが激怒されると思うので(これは杉浦日名子さんがテレビでおっしゃっていたことの引用なのですが)江戸の長屋の未婚女性のあり方にも言及しておきます。

 

江戸という街は圧倒的に男あまりの街でした。そういう街だから遊郭も盛んだったのです。

 

そして江戸の長屋に未婚女性がいる場合にはそういうひとは複数の男性と関係を持つことが普通だったようです。

 

江戸という街には女性の絶対数が少ないのですから。

 

そしてそういう女性が子供を産むと(当時は当然DNA鑑定などありませんから)彼女と関係を持ったすべての男性が「あの子はオレの子かもしれない」と思って周囲の大人連中からとてもかわいがられてよく育っていたそうなのです。

 

データ主義という言い方があるのですが印象には残るのだが事実とは異なる数字のイメージが一人歩きしている例があまりにも多いのです。ですから「普通にデータを知って事実を知りましょう」という意味がデータ主義という言い方の背景にはあるのです。

 

これは総務省統計局の人口のデータのコピペです。

第1表   男女別人口 (各年10月1日現在) - 総人口(大正9年~平成12年),日本人人口(昭和25年~平成12年)
                 
Table 1.    Population by Sex (as of October 1 of Each Year) - Total population (from 1920 to 2000), Japanese population (from1950 to 2000)
                 
(単位 千人)             (Thousand persons)
                 
      総 人 口        Total population 日本人人口       Japanese population
 年  次   男女計 男女計
Year    Both sexes Male Female Both sexes Male Female
                 
大正9年 1920 1) 55,963 28,044 27,919           -           -           -
  10年 1921   56,666 28,412 28,254           -           -           -
  11年 1922   57,390 28,800 28,590           -           -           -
  12年 1923   58,119 29,177 28,942           -           -           -
  13年 1924   58,876 29,569 29,307           -           -           -
  14年 1925 1) 59,737 30,013 29,724           -           -           -
  15年 1926   60,741 30,521 30,220           -           -           -
昭和2年 1927   61,659 30,982 30,678           -           -           -
  3年 1928   62,595 31,449 31,146           -           -           -
  4年 1929   63,461 31,891 31,570           -           -           -
  5年 1930 1) 64,450 32,390 32,060           -           -           -
  6年 1931   65,457 32,899 32,559           -           -           -
  7年 1932   66,434 33,355 33,079           -           -           -
  8年 1933   67,432 33,845 33,587           -           -           -
  9年 1934   68,309 34,294 34,015           -           -           -
  10年 1935 1) 69,254 34,734 34,520           -           -           -
  11年 1936   70,114 35,103 35,011           -           -           -
  12年 1937   70,630 35,128 35,503           -           -           -
  13年 1938   71,013 35,125 35,888           -           -           -
  14年 1939   71,380 35,226 36,154           -           -           -
  15年 1940 2) 71,933 35,387 36,546           -           -           -
  16年 1941   72,218           -           -           -           -           -
  17年 1942   72,880           -           -           -           -           -
  18年 1943   73,903           -           -           -           -           -
  19年 1944   74,433           -           -           -           -           -
  20年 1945 3) 72,147           -           -           -           -           -
  21年 1946   75,750           -           -           -           -           -
  22年 1947 4) 78,101 38,129 39,972           -           -           -
  23年 1948   80,002 39,130 40,873           -           -           -
  24年 1949   81,773 40,063 41,710           -           -           -
  25年 1950 1) 83,200 40,812 42,388 82,672 40,514 42,158
  26年 1951   84,541 41,489 43,052 83,997 41,184 42,814
  27年 1952   85,808 42,128 43,680 85,247 41,815 43,432
  28年 1953   86,981 42,721 44,260 86,406 42,402 44,004
  29年 1954   88,239 43,344 44,895 87,652 43,020 44,632
  30年 1955 1) 89,276 43,861 45,415 88,678 43,533 45,145
  31年 1956   90,172 44,301 45,871 89,573 43,974 45,599
  32年 1957   90,928 44,671 46,258 90,327 44,342 45,985
  33年 1958   91,767 45,078 46,689 91,162 44,749 46,413
  34年 1959   92,641 45,504 47,137 92,033 45,174 46,858
  35年 1960 1) 93,419 45,878 47,541 92,841 45,566 47,275
  36年 1961   94,287 46,300 47,987 93,724 45,998 47,727
  37年 1962   95,181 46,733 48,447 94,613 46,430 48,183
  38年 1963   96,156 47,208 48,947 95,580 46,901 48,679
  39年 1964   97,182 47,710 49,471 96,597 47,399 49,199
  40年 1965 1) 98,275 48,244 50,031 97,681 47,928 49,753
  41年 1966   99,036 48,611 50,425 98,443 48,297 50,147
  42年 1967   100,196 49,180 51,016 99,603 48,866 50,737
  43年 1968   101,331 49,739 51,592 100,737 49,425 51,312

 

この数値の最小単位は千人です。このデータによると日本の人口が一億人を突破したのは1967年か1968年です。

 

以下のデータは栗本慎一郎さんの「幻想としての経済」からの引用です。(アマゾンのリンクを張っておきます)

 

 

 

栗本先生の大学院時代の師速水融先生の研究をこの本で栗本先生が引用されています。

 

江戸前期(ということは1600年頃から1720年くらいまでの間)に日本の人口は4倍に増えている可能性があるのです。江戸前期の日本の人口は500万人から1800万人の間だと考えられているようです。

 

8代将軍吉宗が3千万人程度でその後明治6年の3千4百万人という人口統計に至るまでほぼ横ばいです。

 

栗本先生は慎重にこの謎の日本の人口増加については結論は出されていないのですがその後の研究でこの謎がとけているのです。

 

 

はじめたばかりの浄土真宗 (角川ソフィア文庫)

はじめたばかりの浄土真宗 (角川ソフィア文庫)

 

 

この日本史上異常な日本の人口増大は宗教上の理由です。

 

代表が浄土真宗の影響です。昔は避妊の技術も人工中絶の技術もなかったので産まれた赤ちゃんを「間引く」ことは普通に行われていたらしいのですが浄土真宗の倫理観を持った人々が「間引く」ことをしなくなったことが大きな理由なのです。

 

明治にはいって海外に移民している人たちがいます。私の親戚もブラジルに移民していますし前に知り合いだったひとの親戚もカナダに移民しています。

 

一番有名なのがハワイに行った今の広島の人たちなのですが。

 

広島は浄土真宗が盛んなのです。あるいは今の大阪で商売をしていた人たちの中に「近江商人」がいます。彼らは浄土真宗の倫理観で商売をしていたのです。

 

データ主義に話をもどしますが日本の総人口が1億人をこえているのは1960年代以降の数十年間だけです。

 

もし本気で日本の人口を1億人以下にしたくないのなら「移民」を入れるのが最適解だと私は考えています。

 

移民国家アメリカでは普通のことなのですが移民一世は地位の低い仕事につくのが普通なのです。そして二世はそういうところから抜け出すために頑張るのです。

 

これは東京や大阪のような大都会に出て行った地方出身者を思い浮かべればわかりやすいと私は考えています。

 

ただ日本人が外国人に日本語を教えることに慣れていません。移民を受けいるのであれば日本語教育が絶対必要です。

 

そして日本の社会規範のようなものを伝えるためにはこの本が良いと私は考えています。新渡戸稲造の「武士道」です。

 

 

武士道 (岩波文庫 青118-1)

武士道 (岩波文庫 青118-1)

 

 

私はまだこの本は読みかけです。ただこの本を私がずっと読まないでいたのには理由があります。この本のタイトルがイヤだったのです。私が武士道と聞いてイメージするのはハリウッド映画の「ラストサムライ」だったのです。

 

映画「ラストサムライ」も日本人が見るととても面白いのです。どこがかというと映画「ラストサムライ」では渡辺謙さん演じる頼りがいのある重臣をまだ若き天皇陛下が重大な決断を下す時に頼る場面があるのですが「天皇」は「皇帝」や「王」ではないということがわかっている日本人にはその描写に違和感を覚えるはずです。

 

同じハリウッド映画なのですが「ラストエンペラー」は今でいう中国とアメリカやヨーロッパで「皇帝」や「国王」という概念conceptが共通しているためにそこまでの違和感を今の中国のひとが観ても抱かないはずです。

 

話がそれましたが「武士道」という本は新渡戸稲造がベルギーの法学者から「日本では宗教教育を行わないと聞いたのだが宗教教育を行わないでどうやって社会規範やモラルは成立するのかわからない」と聞かれてその答えとして書いた本なのです。

 

新渡戸の答えは正しいかどうか私には判断がつきません。ただこの本にある社会規範やモラルが「宗教によるものではないこと」が重要なのです。

 

余計な話ですが「日本人が宗教に寛容だ」というのは間違いです。これは日本人の宗教論理によるものなのです。

 

これは本居宣長の「神」の定義を今の若者言葉を使って私が勝手に現代語訳したものなのですが日本語でいう「神」とは「やばい存在すべて」です。

 

それが「良い存在であるとか悪い存在であるとかは無関係」なのです。

 

たとえば「七福神」というめでたいとされるう7つの神様がいますがこの中には外国の神様もいます。

 

日本人の宗教論理を使うとこれを「12福伸」にしてお釈迦様もイエスさまもムハムマッド氏も法華経阿弥陀様にも入っていただくことが可能なのです。

 

そういうことは日本人は日本人の宗教論理上可能なのです。こういう宗教論理を持っているので日本人が宗教に寛容だと勘違いされているだけなのです。

 

事実創価学会が非創価学会員には死ぬほど嫌われています。学会員の友達が宗教上の理由で結婚できなかったと前にいっていたのを覚えています。

 

創価学会は「12福神」になりづらい宗教体系を持っているから多くの日本人から差別をうけています。

 

まだ霊感商法をやっているのか不明ですが統一教会は私が勝手にいっている「12福神」にいれやすい宗教体系ですし幸福の科学の宗教体系も「12福神」に入れやすいのです。

 

日本人の宗教論理に当てはまりやすい宗教体系には日本人が寛容なのだということに過ぎないのです。

 

話を元に戻しますがもし日本が移民を受け入れるのなら徹底した日本語教育新渡戸稲造の「武士道」のモラルの教育が重要になるはずです。「武士道」は非宗教の倫理を説いた本なのですから。

 

 

定本 葉隠〔全訳注〕 上 (ちくま学芸文庫)

定本 葉隠〔全訳注〕 上 (ちくま学芸文庫)

 

 

これは「葉隠」なのですがこの本の中で一番有名な言葉は「武士道というは死ぬことみつけたり」という言葉です。

 

これは私の曲解である可能性がとても高いのですが若い頃に何かの本で読んだ内容に私が影響を受けてしまっているので普通に読めないのです。

 

私の曲解は「人間は誰もが明日死ぬ可能性があるのだから一瞬一瞬をおおきな喜びとともに生きるのは筋なのだ」という意味で「武士道というは死ぬこととみつけたり」と書いているというものです。

 

そういう曲解を長年続けている私にはある本の内容が衝撃的でした。孫引きなので元の文章とは大幅に違う可能性がありますが。

 

あした死ぬかもよ?

あした死ぬかもよ?

 
あした死んでも後悔しないためのノート

あした死んでも後悔しないためのノート

 

 

その本には「あなたは病院のベッドで横になっています。点滴のチューブが手に突き刺さっています。あなたはもうすぐ死ぬのです。あなたはこういう時に何を考えて何を後悔するのでしょうか」

 

私はこの本からの引用を読んで「これって一つの現代の葉隠だ」と思って驚いたのです。

 

今の日本社会は「死を隠蔽している社会」です。立ち合い出産で「誕生」の瞬間に立ち会うひとがそうとういるのに「死」の瞬間に立ち会ったひとも「死」の瞬間に立ち会う仕組み作りもなされていない社会ですから。

 

当然ですが人間誰でも死にます。でも「老けない方法」に関する情報は山のようにあるのに「キレイに死ぬ方法(自殺という意味ではありませんん)」に関する情報は極めて少ないのです。

 

「キレイに死ぬ方法」というと「自殺」という風に話が飛んでしまうのです。ヘンな言い方ですがあなたも私も自殺しなくてもいづれ死にます。当然でしょう。

 

これは当然でしかないのですが「自殺志願者にあなたは自殺しなくても死にますから」ということを言ったひとがいるという話を私は聞いたことがありません。

 

今の日本社会は「死を隠蔽している社会」なのです。

(これは悪口ではありません)組織って仕組みづくりが大事だから テレビ報道の行き詰まり 時代はメジャーチェンジ

私はテレビを見なくなっています。ある時に夕方のニュースを観ていて「このニュースキャスターは安定感があっていいな」と思っていました。

 

彼はジャーニーズ事務所のアイドルでした。私は「だから髪型がちょっと変わってたんだ」と思いはしたものの彼のニュースキャスターとしての安定感はとてもいいと思ったのです。

 

筑紫哲也さんがニュース23をやっていた頃に話題になっていたことがあったのです。

 

「筑紫さんに編集権を持たせてあの番組の編集長をやらせるのが筋なんじゃないかな」と。

 

今の日本は保守系のメディアとリベラル系のメディアに別れています。

 

いろいろ話題になった後に終わった「クローズアップ現代」(今はクローズアップ現代プラス)はとてもニュートラルな番組でした。

 

民主党政権の時に当時の民主党政権の要職についていたひとがゲストで出演されていたのですが国分裕子さんの普通の質問に何度も困っていたのです。こたられなかったのです。

 

だから国分さんの質問への答えは「そんな仮定の質問には答えられない」というものでした。

 

職場で上のポジションにいるひとは職場のシフト作りがとても重要な仕事になります。あるひとがクローズアップ現代にコメンテーターとして出演された時の話を書いていました。

 

若いディレクターが半年かけて取材したVTRの編集に立ち会ったというのです。

 

国分裕子さんは文字通り「アンカーウーマン」だったのです。リレーの最終走者を「アンカー」といいますよね。「アンカーウーマン」というのはやはり番組の最終走者なのです。

 

多くの人々の取材等を最後に引き継ぐひとだという意味で「アンカーウーマン」だったといえるのです。

 

でもいくら優秀なスタッフでも「この話題一日で取材して来い」といわれてしまってはまともな取材ができるはずがないのです。

 

元地方紙の記者がいっていたのですがもちろん日々のニュースも追いかけるのだけれども自分が興味を持っていることの取材もしていたということでした。

 

今のテレビ報道の行き詰まりは「良いシフトが組めないこと」に問題があります。

 

いくら予算がなくても「空いている時間には好きな取材をしていい」というシフトが組めるのなら現状のテレビ報道の体たらくはないはずです。

 

若いひとであっても「そのひとに裁量を持たせて好きな取材をさせる」という発想がいつの間にか今のテレビ報道にはなくなっています。

 

たとえば大規模災害があったとします。現実問題としてニュースキャスター本人が現地に入ったからといってそのニュースキャスターには「現実はこうだったのか」ということが分かるという意味以外の意味はほぼないのです。

 

もちろん皮膚感覚として「現実はこうだったのか」とわかることも重要です。

 

だけれどもニュース番組が伝えるべき事柄は「現実はこうだったのか」というような抽象的なことではありません。

 

大昔にオウムの事件が起きた時に私は「この事件は20年30年かけて取材するような事件だ」とおもいましたし東日本大震災の時には「50年は取材しなきゃ」と思っています。

 

現実にいわゆるニュース番組はそうしたでしょうか。私にはそうは思えません。

 

この件は単にテレビ報道だけの問題ではありません。

 

今の日本の大企業では良いシフトがくめていないはずです。

 

日本企業がよかった頃には三つのものがあったといいます。

 

「ブラブラおじさん」「喫煙所トーク」「闇研」の三つです。

 

「ブラブラオジサン」には知識も経験もあるので「あそこの部署でこういう研究をしてるんだってさ」とある部署と違う部署の仕事を組み合わるような世間話をうまくしていいたのです。

 

タバコは体に悪いのですが「喫煙所でウチこんなことやってんですよね」というようなことをいうのが組織の潤滑油になっていたようですね。

 

そして研究しようと思うと研究施設が必要なので自分が研究したいことを企業の研究施設を使ってやるのが闇研です。

 

変革には「小さな変革(つまりマイナーチェンジ)」と「大きな変革(つまりメジャーチェンジ)」があります。

 

カローラカローラですよ。でも毎年モデルチェンジをしますよね。あれがマイナーチェンジです。

 

でもトヨタトヨタブランドの力はつかわないで高級車であるレクサスを作り上げました。

 

レクサスは単に自動車だけの問題ではありません。世界中に(トヨタのディーラー網はすでにあったのに)ゼロからレクサスのディーラー網を作る必要もありまたしやそれまでなかった(存在しなかった)レクサスという高級車を世界中に認知させるための努力も必要だったのです。

 

余計な話ですがソニーのエクスペニアがサムスンのギャラクシーに負けたというような報道がやめて欲しいのです。

 

スペック上ソニーのエクスペニアはいわばクラウンです。サムスンのギャラクシーはいわばカローラです。

 

ソニーのエクスペリアがサムスンのギャラクシーに負けたという発想は「シェア」を問題にしています。

 

カローラとクラウンのどちらののシェアが大きいでしょうか。もちろんカローラです。

 

カローラは大衆車ですから。

 

この件については稿を改めますが。

 

ただ時代はメジャーチェンジを求めています。

 

大企業は自社ビルをもっていると思うのですが大企業の自社ビルはどこも似たようなビルですよね。

 

そのこと自体が問題です。しかもたいてい港区にあるでしょう。それも問題です。

 

よくわからない場所によくわからない建物であるような自社オフィスビル(もう今の時代であれはビルとも呼べないような)を絶てるくらいのメジャーチェンジが必要になっています。

 

そういう変革を可能にするのは「一芸入社」で入って来た社員のはずです。

 

その比率は不明ですが一芸入社で入って来たひとのほとんどは鳴かず飛ばずで終わるはずです。ただ1000人に一人か1万人に一人かという割合で大ヒットを飛ばすひとが現れるのです。その人がいわば御社の救世主になります。

 

「一芸入社」で何人か取ったけどダメだったと思うのは考えが違っています。

 

1万人取って一人が大当たりするのが「一芸入社」でひとを雇う意味なのです。

ドラッカーがいう「スペシャリストであって同時にジェネラリストであるひと」 上沼恵美子さんのご主人、あなたが友達だったら説教しますよ

ある年齢以降私は「頼むからオレをムダに疲れさせないで」と願っていました。「この疲れって明らかにムダな疲れでしょ。そういうがオレは死ぬほどイヤな訳よ」と。

 

これはスペシャリストの発想です。

 

一方やはりある年齢以降「ひとの仕切りや段取り」が私にはどうしても気に食わなくなってきたのです。

 

昔から「段取り八分」といってはためにはぼーっとしているように見えている場面でジェネラリストは「段取りをため」に強力に考えているのです。

 

古典落語にこういうエピソードがあります。私が30歳の時にはその「感じ」がわかっていました。

 

植木職人の親方がいうのです。「あたしがこうやってタバコをくゆらせながら庭をぼーっと眺めていると遊んでいるみたいに見えるでしょう。でもこうやっている時があたしは一番働いているんですよ」と。

 

ある年齢までは遠慮していましたがある年齢以降「もういい」と思って「その場の段取り」を始めるようになっていて周囲からも感謝されるようになっています。

 

もう少し具体的に書きます。

 

上沼さんのご主人が定期的に上沼さんを言い負かすらしいのですが私が(事実言い負かすことが簡単だったとしても)53年間生きてきて誰かを言い負かしたことは一回だけです。

 

誰かを言い負かしたとしても「言い負かした方も気分が悪いし言い負かされた方も気分が悪い」のです。

 

そういうことをしていることで上沼さんのご主人は私の説教の対象です。

 

上沼さんのご主人に関して上沼さんが驚いていてテレビで紹介されていたのですがヒドイ絵しか描けなかった上沼さんのご主人がすごい良い絵が書けるようになっていたのです。

 

もう一例あげます。その話を聞いて「オレもそういうことしてるかも」と思って私はとても反省したのですが上沼さんご夫婦はハワイに別荘かコンドミニアムを持っているらしいのです。

 

そして上沼さんより先にハワイにいって上沼さんを車で空港まで迎えに行くらしいのです。そしてご主人が空港で上沼さんが笑顔で手をふると黙って駐車場に向かうらしいのです。当然上沼さんは気に食わないのです。

 

このご主人の「感覚」や「思考」が私に丸わかりなのです。

 

スペシャリストって「これってムダだよね」ということは死んでもしたくないのです。そして逆に「これには意味があるよね」ということはバカみたいに頑張るのです。

 

上沼さんのご主人は「絵」に関しては「意味」や「価値」を感じたのです。だからあっという間にうまくなったのです。

 

普通に考えると上沼さんが手を振ったらやはりご主人も笑顔を作って手を振ってもいいし「飛行機疲れただろう」とか優しいコトバを書けてもいいしコロコロも持ってあげてもいいのです。

 

でもスペシャリストは「嫁を飛行場に迎えに行くことは意味も価値もあるからするが嫁が空港で手を振ったということはオレのことが分かったってことだよね。当然彼女はこれから駐車場に向かうってわかる訳だしコロコロくらい彼女にも持てるから(そしてそういうことでムダに疲れるのは死んでもイヤだから)無表情で駐車場に向かう」という感情や思考の流れをもってしまうのです。

 

私は若い人から何回か叱られています。意味は「あんたは傲慢だ」というものです。「あんたができるのかどうか知らないがあなたは世間のひとをバカにしている」という説教を食らっているのです。

 

私は一方で「段取る」ひとでもあるのです。

 

すべての段取るひとが内心思っているのはずです。「ひとの良い段取りで何にも考えないでただ働きたいんだけれども結局ひとの段取りだと自分は気に食わないから自分って疲れまくることをしてしまうんだよね」と。

 

上沼さんのご主人は年長者ではありますがもし友達になったら「あんたの考えはわかるけどそういうことをしているようでは人というレベルでダメですよ」と私は説教します。

 

そして私はどうもドラッカーがいうこれからの世界に必要な人材である「スペシャリストであって同時にジェネラリストであるひと」であるようです。

発達障害についての研究にカネとヒトを使って欲しいのですよ

発達障害という名称自体もおそらく変更されるのでしょう。「障害」という日本語はどこか発達障害にはなじみませんから。

 

発達障害を抱えているひとの多くは「得意分野」と「不得意分野」が発達障害を抱えていないひとと違うだけである場合がとても多いだけですから。

 

ただ発達障害の勉強を始めて今私の中で強力にいろいろな過去や今の出来事が解け始めています。

 

「あれもこれも自分のせいじゃなかったんだ」と納得できているからです。

 

私が発達障害を抱えているとすると納得できることがとても多いのです。

 

ある時に私は「これってあっているよね」と思ってあることをいっているのですが相手が許してくれたからよかったもののそのひとはそうとう怒っていました。

 

あるいは小学校にあがって私は毎朝罵倒されていました。自分でも不思議だったのですがその日学校に持っていく持ち物がどうしても見当たらないのです。当時自分でも謎だったのです。毎朝毎朝普通に学校に持っていくものを自分は失くしてしまうんだろうと思って。

 

あるいは片づけです。子供の頃からどうしても片づけられないのです。

 

もしドラ」で有名になったのかもしれませんが私はドラッカー発達障害を抱えていたのではないかと疑っています。

 

ドラッカーの「感じ」がわかるのです。

 

これはドラッカーがフィールドワークをしていた時の有名なエピソードです。ドラッカーがある機械の前で何時間もただ立っている女性工員に質問しています。

 

「あなたは何をしているんですか」と。

 

そうすると女性行員は「私はこの機械のオペレーターなんですよ。私はこの機械が動かないと仕事ができないんです。私ずっと機械の修理係に来てくれるように頼んでいるだけれども来てくれないんですよ」と答えたのです。

 

この「感じ」が私にはわかるのです。

 

ずいぶん私が年を取ってドラッカーを読んだ時に私はそうとう驚いています。

 

私が小学校高学年で「こうするものだ」と決めていたことをドラッカーがより詳細にかいていたのです。

 

私は小学校高学年の時に「問題はいつも複数あるのだけれども体が一つしかないので問題に優先順位をつける。そして優先順位一位のことだけをする。それが終わるまでは他の問題には手をつけない。優先順位一位の問題が終わってからほかの問題に手をつける」と考えていたのです。

 

ドラッカーは「優先順位一位の問題は終わった後にまた問題をあぶりだしてまた優先順位を付け直す。そして優先順位一位の問題だけをまたやる」と書いていたのです。

 

ある種の発達障害を抱えているひとはシングルタスク(一度に一つの問題しかできない)のです。発達障害を抱えていないひとはマルチタスク(一度に複数の問題に取り組める)なのです。

 

ドラッカーがそういうことを書いているということはドラッカー発達障害を抱えていた可能性があります。

 

ただ私は小学校高学年の時にすべてがスムーズに行き始めたのですがそのスムーズさに私はあり得ないほどの恐怖を感じたのです。

 

そして40年以上の間「わだかまっていて」「こんがらがっていて」「混乱して」「混濁し続けて」きました。

 

そしてごくごく最近やっと数十年ぶりに何もかもスムーズに行き始めて来ています。

 

考えも本当に混乱していたのですがその混乱混濁から50歳を越えて抜け出しつつあるようです。

 

私は本当に発達障害の研究にカネをヒトを使って欲しいのです。そういう人たちの中から次の日本を作り出すひとが出てきます(それが私だと本当にいいのですが)

 

この全員が発達障害を抱えていたといわれているのですよ。

 

漱石の「坊ちゃん」の主人公(そういう登場人物を書いたということは漱石にも発達障害の疑いがあります)、野口英世坂本龍馬、ジョンFケネディ大統領、発明王エジソン、スティーブンジョブスとビルゲイツ(この二人は可能性のレベルですが)、哲学者ヴィトゲンシュタイン

 

ひとによっては人類の進歩は発達障害を抱えているひとによってなされたといえるというほどなのです。

 

日本人に多数の発達障害を抱えているひとがいるというのは日本の大きな可能性なのです。

 

 

「ら抜き言葉」について九州の田舎者が物申す

まだお名前を覚えていますが高校時代に担任までお世話になった恩師に高橋先生という方がいました。

 

私は高橋先生に評価されていました。たぶんキッカケは古語を現代語訳した時に私の現代語訳がキッカケだったと私は考えています。

 

古語で「思わるる」というのを私は現代語訳する時に何故か「思われる」と訳すのがとてもイヤだったので「思うことができる」と現代語訳していたのです。

 

私には(たぶん)もってうまれた障害があって私は日本語のネイティブスピーカーなのですが日本語の文法や日本語単語の語釈がわかっていないとどこかうまく日本語を使えない小学生だったのです。

 

そういう私は熊本の方言の日本語文法を小学生の時から解析していました。

 

そしてたとえば「アクセント」がそもそも違うともどこかわかっていたのです。日本語のアクセントは基本イントネーションアクセント(音程の上下によるアクセント)なのですが熊本のアクセントはストレス(強弱)アクセントなんだとわかっていた小学生だったようです。

 

さらに「この活用は古語の活用だよね」とかもわかっていたようです。

 

発音しやすいように発音を変化されることを「音便変化」というのですが。「お母さん」を「おっかさん」というのがたとえば音便変化です。

 

熊本のアクセントがストレスアクセントなのでイントネーションでは「平板化」していて音程の高い低いはほぼありません。そして強弱のアクセントをつけるのです。

 

そうすると「食パン」という単語は発音しづらいのです。

 

そして音便変化して「しょっぱん」と発音するひとも多数います。

 

このケースでは「しょ」にアクセントがあります。「しょ」を強く発音すると「しょく」とは言いづらいので「しょっぱん」になるのです。

 

敬語表現も(この言い方に今はほぼ敬意はないのですが)「行かる」「見らる」「さる」という表現があります。

 

これよりも一段高い敬意をしめす場合は「行かす」「見らす」「さす」といいます。

 

この二つは古語です。「る」「す」という尊敬の助動詞が今も熊本では使われているのです。

 

「行かるる」「見らるる」「さるる」というと可能の意味になるのですがこれは可能の助動詞「るる」が残っているのです。

 

福岡方面で「知っとお」というのは「知っとる」が音便変化しています。活用が「知ってる」ではないのです。「知っとる」なのです。

 

そしてストレス(強弱アクセント)で「し」を強く発音するので「知っとる」と発音しづらいので「知っとお」になります。

 

熊本では今も(おそらく古語なのでしょう)「考えがられる」とは言わないのです。「考えらるる」と言います。「見られる」ではなくて「見らるる」なのです。音便変化して「考えらるっ」とか「考えらるう」とか「見らるっ」とか「見らるう」と日常的には使うのですが。

 

こういう語感で育っているひとにとっては「思わるる」や「見らるる」が基調なので「かんがえられる」や「見られる」が生理的に受けつけないのです。

 

ただ「思われる」や「見られる」という言い方が現代日本では支配的です。そうなると「ら抜き言葉」の「考えれる」や「見れる」の方が好ましい響きなのです。

 

まとめますが現代日本語に「見らるる」と「見られる」がもともと混在していたことが「ら抜き言葉」を発生させたはずです。

 

私は今でもどうしても「見られる」であるとか「考えられる」というのは生理的にうけつけません。

 

「見れる」や「考えれる」のような「ら抜き言葉」の方がまだましなのです。

 

熊本出身の国文学者は何十年も何をしてきたのでしょうか。

 

自慢話ですが私は高校生の時にはこれくらいことはわかっていたのですが(ということは35年くらい前には私には普通のことでしかなかったのですが)。

 

小沢一郎さんには自覚があるはずです。

小沢一郎さんは極めて優秀な政治家です。

 

でも本人が一番わかっているはずです。小沢さんは誰か組むことがとても多い人ですから。

 

面倒なのでググりませんが小沢一郎さんがキングメーカーになったことがあったのです。相手は先輩政治家の皆さんでした。そういう先輩政治家相手に面談をして(しかもその様子はテレビで中継されていた)のです。そういうことは配慮してテレビ中継させないのが筋なのですがその様子はテレビ中継されていました。

 

そういうことを「普通にやってしまうところがおそらく小沢さんの一番の欠点」です。

 

事実小沢さんは誰かと組むことがとても多いのです。

 

小沢さんほどの政治家であれば自分が総理になるのが本来のあり方なのですがどこかそれを避けていらっしゃいます。

 

「欠落」というと失礼なのですが小沢さん自身「自分は総理の器じゃない」という感覚はお持ちだと思うのです。

 

「黒幕の方が自分には向いているんだ」という感覚があるのでしょう。

 

私はあのひとも「良い人」だとも「とても勉強されている人」だとも思っているので応援していますが山本太郎さんと今は組んでいます。

 

小沢さん自身に「自分には欠落がある」という感覚があるので「誰かと組む」のだと思うのです。

 

小沢さんは確実に優秀な政治家です。

 

でも失礼なのですがどこかに欠落があるとしか思えないのです。

タバコの害が「科学的に立証されたのかどうか実はまだ不明」なのです。 コペル君にまなべ

よくわからないサイトの記事は引用したくなかったので日本医師会の禁煙の勧めのウェブをコピペします。

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受動喫煙のリスク
誰かのたばこの煙を吸うだけで
喫煙者と同様のリスクがあります
他人のたばこの煙を吸うだけで、
喫煙者と同じ病気のリスクがある
たばこの煙は70種類以上の
発がん性物質を含む
分煙してもたばこの臭いを
嗅いだだけで健康被害を受ける
喫煙者が吸い込む煙と同じくらい
周囲の人が吸い込む煙は有害です
たばこの煙には三大有害物質であるニコチン、タール、一酸化炭素の他にも70種類以上の発がん性物質が含まれています。普段たばこを吸わない人は、たばこの煙に対する感受性が高く、他人の煙を吸うと、少しの量でも大きな健康被害を受けるという報告があります4)。また、2016年8月には国立がん研究センターより、受動喫煙による日本人の肺がんリスクは約1.3倍になることが発表されるなど、受動喫煙のリスクは科学的にも証明されています5)。
4)Barnoya J, et al. Circulation. 2005; 111: 2684-98. 5)Hori M, et al. Jpn J Clin Oncol. 2016; 46: 942-51.
たばこの三大有害物質
ニコチン
依存症にさせる作用があります。血管を収縮させ、血液の流れを悪くする作用もあり、動脈硬化を促進させます。
タール
たばこのヤニの成分。発がん性物質や発がんを促進する物質が数十種類以上含まれています。
一酸化炭素
酸素を運ぶ機能を阻害し、酸素不足を引き起こします。動脈硬化を促進させます。
「たばこ臭がする」と感じたら、
もう被害にあっています
飲食店などでは、分煙にするためガラスドアで仕切って密閉した喫煙室を設け、出入口にエアカーテンを設置している店がありますが、これでも煙を100%遮断することはできません6)。人が出入りする際には必ず、体にたばこの煙がまとわりついて移動し、有害物質を拡散させるからです。大げさではなく、服や髪の毛、カーテン、家具、壁などからたばこ臭を感じた時には、有害物質を体内に吸い込み、受動喫煙の被害にあっているのです。海外では受動喫煙防止条例の施行によって急性心筋梗塞の入院患者が減少したという事例も報告されています。
6)厚生労働省たばこ規制枠組条約第2回締約国会議の概要
受動喫煙防止の取り組みにより、
急性心筋梗塞の入院患者が減った事例

米国モンタナ州ヘレナ市では、受動喫煙防止条例を施行後6ヵ月間で急性心筋梗塞の入院患者が40%減少。その後、条例が廃止されると入院患者が増大した。
Sargent RP, et al. BMJ. 2004; 328: 977-80. より作成
加熱式電子たばこなら、害は少ない?
最近、煙が出ない新しいタイプのたばこが登場しています。その一つが加熱式電子たばこです。たばこの葉を電気で加熱して蒸気を発生させ、ニコチンを吸い込むものですが、日本禁煙学会によると、紙巻きたばこと同様に依存性があり、発がん性物質を含む有害物質を含んでいることが指摘されています7)。健康被害の評価もこれからであり、安全性が証明されたものではないことを知っておきましょう。
7)日本禁煙学会: いわゆる「新しいタバコ」に対する日本禁煙学会の見解. 2016
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理学的に実証されているのは「動脈硬化を促進する」ことだけです。ほかの害は理学的にはまだ実証されていません。

 

代表が「ガン」です。以下は国立ガン研究センターのウェブのコピペです。

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細胞ががん化する仕組み
更新日:2016年09月14日 [ 更新履歴 ]
1.がん細胞と正常細胞の違い

人間の体は細胞からできています。がんは、普通の細胞から発生した異常な細胞のかたまりです。

正常な細胞は、体や周囲の状態に応じて、ふえたり、ふえることをやめたりします。例えば皮膚の細胞は、けがをすれば増殖して傷口をふさぎますが、傷が治れば増殖を停止します。一方、がん細胞は、体からの命令を無視してふえ続けます。勝手にふえるので、周囲の大切な組織が壊れたり、本来がんのかたまりがあるはずがない組織で増殖したりします。

がん細胞を実験動物に注射すると勝手に増殖を開始し、大きなかたまりをつくります。正常な細胞ではこのようなことはありません。

2.多段階発がん

がん細胞は、正常な細胞の遺伝子に2個から10個程度の傷がつくことにより、発生します。これらの遺伝子の傷は一度に誘発されるわけではなく、長い間に徐々に誘発されるということもわかっています。正常からがんに向かってだんだんと進むことから、「多段階発がん」といわれています。

傷がつく遺伝子の種類として、細胞を増殖させるアクセルの役割をする遺伝子が、必要ではないときにも踏まれたままになるような場合(がん遺伝子の活性化)と、細胞増殖を停止させるブレーキとなる遺伝子がかからなくなる場合(がん抑制遺伝子の不活化)があることもわかっています。

傷の種類として、DNAの暗号に異常が生じる突然変異と、暗号自体は変わらなくても使われ方が変わってしまう、エピジェネティック変異とがあることがわかってきています。

正常な細胞に決まった異常が起こると、その細胞は増殖します。そこに第二の異常が起こると、さらに早く増殖するようになります。この異常の積み重ねにより、がん細胞が完成すると考えられます。

3.がん遺伝子

ある遺伝子に傷がついたときに、細胞増殖のアクセルが踏まれたままの状態になる場合があることが知られています。このような遺伝子は、がん遺伝子と呼ばれています。多くの場合、がん遺伝子によってつくられるタンパク質は、正常細胞も増殖をコントロールしていますが、その働きが異常に強くなることにより、細胞増殖のアクセルが踏まれたままの状態になります。

例えば、「myc」と呼ばれるがん遺伝子の場合、1個の細胞あたりの遺伝子の数が増えることにより、「myc遺伝子」によりつくられるタンパク質が増えすぎて、際限ない細胞増殖を引き起こすことがわかっています。また、「ras」と呼ばれる一群のがん遺伝子は、特定の場所に傷がつくと働きが過剰な状態になり、やはり際限ない細胞増殖を引き起こすと考えられています。

このようにがん遺伝子の変化は、特定のタンパク質の働きを異常に強めることにより、がんにつながる増殖異常を引き起こします。したがって、そのタンパク質の作用をうまく抑えるような薬を見つければ、細胞ががん化することを防いだり、すでにできているがんの増殖を抑えたりすることができます。

4.がん抑制遺伝子

がん遺伝子が車のアクセルとすると、そのブレーキにあたる遺伝子が、がん抑制遺伝子です。がん抑制遺伝子は細胞の増殖を抑制したり、細胞のDNAに生じた傷を修復したり、細胞にアポトーシス(細胞死)を誘導したりする働きをします。DNAの傷が蓄積するとがん化に結びつくので、修復が必要です。異常細胞が無限に増殖しないように、異常を感知して、その細胞に細胞死を誘導することも必要です。このように、がん抑制遺伝子はブレーキの働きをしていると考えられます。

これまでの研究から、いくつかのがん抑制遺伝子が発見されましたが、代表的なものは「p53遺伝子」、「RB遺伝子」、「MLH1遺伝子」等が知られています。それぞれ細胞死の誘導、細胞増殖の抑制、DNAの修復に重要な働きを持つことがわかっています。

5.遺伝子突然変異

遺伝子の傷はDNAの傷を意味します。ヒトの細胞の中にはDNAが存在し、そこにわれわれの遺伝子が暗号として記録されています。遺伝子突然変異とは、この遺伝子の暗号に間違いが生じることを意味しています。タバコ、食物の焦げ、紫外線等、さまざまな外的要因(発がん要因)が遺伝子突然変異を引き起こすことがわかっています。

もう少し詳しく説明すると、DNAはG、A、T、Cの4種類の文字の組み合わせでできています。さまざまな発がん要因により、これらの文字に間違いが生じると突然変異が起こります。がん遺伝子やがん抑制遺伝子を記録したDNAに間違いが生じた場合、がん遺伝子の活性化やがん抑制遺伝子の不活性化が起こります。

図6では、一塩基置換型、一塩基欠失型、染色体欠失による遺伝子突然変異の例を示します。通常DNAの暗号は、G、A、T、Cの中の3文字の組み合わせで決まります。したがって、赤字で示した「C」という文字が、ほかの文字に置き換わったり、失われたりした場合、まったく意味不明な暗号が伝達されることになります。また、染色体欠失がおきた場合には、暗号自体がなくなってしまうことになります。

6.遺伝子のエピジェネティックな変異

遺伝子の傷は、その突然変異によるものばかりであると思われてきました。しかし、遺伝子突然変異以外にも、細胞が分裂しても薄まることなく、新しくできた細胞に伝達される異常があることがわかってきました。それがエピジェネティックな変異で、具体的には、「DNAメチル化」と「ヒストン修飾」の変化です。特に、DNAメチル化の変化はヒトがんの多くで認められ、多段階発がんのステップとして関与している場合もあることが知られています。

遺伝子の暗号のもとであるG、A、T、Cの4つの文字は、細胞が分裂するときには、その通りに新しい細胞に受け継がれます。DNAメチル化(図7のうち、ピンク色の丸印)も、塩基配列と同じように、もとの通りに受け継がれます。

7.遺伝子異常の診断

遺伝子の異常は、正常細胞をがん細胞へと変化させる大変都合の悪い現象ですが、別の見方をすれば、正常細胞とがん細胞を見分けるための決定的な証拠にもなります。したがって、遺伝子異常を応用して、がんの診断や治療ができないかという研究が進んでいます。

例えば大腸がんの早期発見のために、便中に存在する微量のがん細胞の異常DNAや、血中を流れている微量のがん細胞の異常DNAを検出する試みです。がん細胞である決定的証拠の遺伝子突然変異やエピジェネティックな変異を検出することで、がん細胞を見つけようとするものです。
8.遺伝子異常の治療への応用

がん細胞に生じた遺伝子異常によってがん細胞の表面にでき上がる異常タンパク質を標的とした治療法の開発も進んでいます。異常タンパク質のみを認識したり抑制したりすることで、正常細胞に影響を及ぼさず、がん細胞だけを攻撃できる薬(分子標的薬)の開発が行われています。

例えば、イマチニブ(グリベック)という薬は、がん細胞に生じた異常タンパク質のみを抑制することで、白血病を治療することができます(図8)。また、トラスツズマブ(ハーセプチン)は、がん細胞の表面にできる異常タンパク質であるHER2受容体のみを阻害することで、がん細胞の増殖を抑制します。そのため、HER2受容体が過剰に発現するタイプの乳がんにおいて治療に使われます。

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国立ガン研究所の研究によればガンは遺伝子の問題なのです。

 

事実統計学上で「喫煙」「受動喫煙」と「ガンの発生率の上昇」は認められています。

 

発がん性物質」の代表の一つはタバコです。ですが一つは「統計学上有意な結果が出たこと」と学説上の可能性を示すだけにとどまっています。

 

理系の学者は「ネイチャー」に自分の論文が掲載されると喜びますが世界中でいろいろな研究が行われていてその研究に意味や価値があるということを意味することが「ネイチャー」に掲載されることだからです。つまり世界各地にいろいろな(その研究に意味や価値や信憑性が)あるのかどうか不明な研究が山のように行われているということです。

 

私はいわゆる「嫌煙運動が嫌い」です。

 

私はタバコを吸うのですが「たばこの匂い」にはとても大きな問題があるとは思っています。私自身喫煙者にもかからわず「たばこの匂い」がとてもイヤなことがありますから。

 

私が「嫌煙運動が嫌いな理由」は「あまりにも正しい運動」だからです。

 

漫画 君たちはどう生きるか

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君たちはどう生きるか (ポプラポケット文庫 日本の名作)

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この小説と漫画は主人公は「コペル君」というのです。コペルニクスからきています。

 

コペルニクスは天動説を否定して地動説を唱えたひとです。

 

天動説的な発想では「自分は絶対で自分の周囲にいろいろなものが動いている」ということになりますが地動説的な発想では「自分も含めて多くのものが動いている」ということになるのです。

 

嫌煙運動家」の発想は「天動説的発想」です。

 

これはタバコの害を否定するものではありません。彼らの発想を非難しているのです。

 

「自分たちは絶対だ!お前らは俺たちに従え!」と要求しているのです。

 

コペル君とは真逆です。

 

違う言い方をしましょう。「正義」という存在は誰にとってもとてもやっかいなものです。

 

かつては「共産主義」も「ナチズム」も「ファシズム」も「正義」でした。

 

これもタバコの害を否定するものではありません。可能性の問題です。

 

私はこういう言い方をします「正義っていうのは安酒だから悪酔いするから気をつけようね」。

 

私が嫌煙運動が嫌いなのが彼らはコペル君とは真逆の傲慢な発想をしていますし「正義という安酒によっぱらっているみっともない酔漢だから」なのです。

 

街にいますよね。みっともないよっぱらい連中。ああいう嫌煙運動家はああいう見苦しいよっぱらいなのです。

 

しかも本当によっぱらいで筋道が立った議論ができないほどに「正義という安酒に飲まれている見苦しい連中」であるという理由で私が彼らが大嫌いなのです。