世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

多分「学歴」には意味はありますが・・・

私が知っているひとで、そのひとのことのことを当時私はある理由で尊敬していました。

 

誰も対応できないようなひとと普通に話していたからです。

 

その誰も対応できないひとの相手が出来る「あのひとはすごい」と思っていたのです。

 

でも似たようもんだったから話があっていたらしいのです。

 

そのひとがいい年して「大学」の話をするのですが、その話題に私はかかわりたくありませんでした。

 

「大学」であるとか「学歴」であるとかの話はちょっと難しいでしょ。

 

誰の気に障ることがあるじゃないですか。

 

だから私はかかわりたくなかったのです。

 

もちろん、正直言って「このひとはあの大学出たとか、入った」ということでなんとか自分を持たせているひともいますし、そういうひとには「学歴」が異常に大事なのでしょう。

 

東京大学に入ったひとが、東京大学時代の話をしていても、こまかいところは私たちにはわかりませんから。

 

それ以前に「そういうことでなんとか気位をもたせているだけすよね」とか思うのですが、言えないでしょ、そういうことを。

 

こっちは気を使いますし。

 

超つまんない話を聞かなきゃいけないから、疲れるし。

 

立花隆さんが東大の仏文だったらしいのですが、そんな話を立花さんは普段しないでしょ。

 

気持ちがわかるだけにコッチは黙って聞くしないかないのですよ。

 

超つまんない話を。

 

東大でも、そういうことですよ。

 

海外の優秀な大学でもそうだし。

 

東京大学でも明らかに「含羞」があるのが普通ですよ。

 

東大卒でも「含羞」がありますよ。

 

昔の早稲田大学は誰でもはいれる大学だったらしく、そのころの早稲田はたぶんよかったのでしょう。

 

自由律俳句の山頭火は私が中退した大学が旧制高校だった時代に、その旧制高校に落ちて、早稲田の前身の学校に入学したほどです。

 

小林信彦さんが早稲田大学の出身なのですが、「早稲田大学が難しくなっている」ことにある時期驚いています。

 

吉村作治先生をなかなか教授にしないとか、世間で騒ぎになってその真相はわかりませんが、ある女性が話題でしたよね、彼女が早稲田でしょ。

 

私が知っている早稲田大学を普通に卒業しているひとが、そういうことを話題にすることはありません。

 

私も中退したということもあって、大学とか触れないです。

 

でも、いるでしょ、そういうひと。

 

コッチが死ぬほど気を使わないといけないひとたち。

 

もちろん、そういうことでプライドをなんとか維持させているんでしょ。

 

でもあなたは疲れていますよね、そういう人たちに。