世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

師匠の皆さん こんな不肖の弟子で申し訳ありません。

私は子供の頃から速読です。小学校の低学年の時に朝学校の図書室で本を借りて休み時間に読み終えて昼休み本を返しにいったのですが上級生の女の子から怒られました。

 

「あんたまだ読み終えていないでしょ。返しちゃダメでしょ」と。

 

しかし私はその時すでに読み終えていたのです。

 

最近は仕事があるので本を読んでいませんが中学時代は毎日小説を3,4冊毎日読んでいました。当然学校の図書室で借りていたのですが。

 

最近図書館で5冊くらい普通に借りていました。そしてそれを一日で読み終えていたのです。

 

そういう読み方は「乱読」であり「速読」なので本を何冊ということには意味が基本ありません。

 

逆に私は精読もします。「この本気にいったな」とか「このコラム気にいったな」と思うと普通に100回は読むのです。

 

昔昭和軽薄体という文体がはやったのですがそういう本でいまでも覚えている書き手では糸井重里さんの本を100回くらいは普通に読んでいました。

 

普通は100回も読めば飽きてしまうのですが私は速読なのです。

 

一回一回の読書では読み飛ばしてしまうのです。

 

だから「ここは読んでいなかった」という発見がありうるし私はとても長い間記憶障害に悩んでいたので読んだ内容を忘れてしまうのです。

 

だから同じ本を100回読めるのです。

 

糸井さんをはじめとして多くの方には本当に申し訳ないのですが私が精読してしまった皆さんの影響を受けているというで私は皆さんに弟子なのです。

 

正直文章の書き手としての面白味は感じないのですが渋谷陽一さんとか橋本治さんとか(前記した)糸井重里さんとか近田春夫さんとか一世代上になるのですが小林信彦さんとかそういうみなさんの不肖の弟子らしいのです。

 

実際中野翠さんがサンデー毎日に(今となっては記憶があいまいなのですが)「コント55号マルクス兄弟だと思う。これは我が師の小林信彦さんも書いてはいないだろう」と(この内容は本当に不確かですが)記述されていたのです。それを読んだ私は「それは小林さんがすでに書いているのだけれども中野さんはご存知ないのかな」と思っていたのです。すると次週のサンデー毎日で中野さんが小林さんからお便りがきてその件は書いていますという内容だったと記されていたのです。

 

そうとう昔のことではあるのですがその時にはもう私は小林信彦さんの不肖の弟子であったのでしょう。だから中野さんの知らない小林信彦さんの記述まで覚えていたとしか思えません。

 

余計な話ですが「リスペクト(敬意)」とある時期以降よく日本で言います。

 

この本はもう増刷もありませんしこの本が今更うれても私はもうからないのですが一応リンクを張っておきます。

 

世の中と私

世の中と私

 

 

文章を書く時は当然私は書き手です。だけれども自分で書いた文章だとしても校正作業をしながら呼んでいる時には読み手なのです。

 

私はこの本の校正をしながら「なんで自分はこういう本を書いたんだろう」と考えていました。出た結論は「小林信彦さんの影響だ」というものでした。

 

この本は多くの方に寄贈したのですが小林信彦さんには送りませんでした。

 

理由は「こんなものは小林さんのお目汚しだ」と思った(考えた感じた)から」です。

 

リスペクト(敬意)というものはそういうものです。

 

私が初めて橋本治さんにファンレターを出したのは橋本さんのことを知った時から30年後です。

 

私の中学時代の恩師には数十間会っていません。

 

それなりの自分になってからでないと恥ずかしくてお目にかかれないと信じているからです。

 

大学時代の恩師も同様です。

 

日本文化は「恥の文化」なので「今の自分では恥ずかしくてお目にかかれない」と思う(あるいはファンレターを書くレベルに自分は達してないと思うと恥ずかしいと思う)ので会わないしファンレターを差し上げないものです。

 

同時に「だから私はシンドかったのだ」と最近納得したのですが弟子につくということは師匠とことを目標にするという意味があるのです。

 

私程度の音楽等に対する興味や知識があれば渋谷さんの出している雑誌「ロッキンオン」からライターデビューしてもおかしくなかったのです。

 

あの方はいわば兄弟弟子(とはいえ一面識もありませんが)中森明夫さんが雑誌をだしていました。(今は不明ですが)

 

それは中森さんがある雑誌(たとえばまだあるのでしょうか漫画評論誌ぱふ)のライターになるのを潔しとしなかったからだと私はみているのです。

 

私はむやみやたらとシンドイと思っていたのは複数の師匠にそうとは知らずついてしまったからであったようです。

 

橋本治の弟子(ということは自分の目標を橋本治レベルに設定すること)だけで死ぬほど大変なのです。

 

今の日本で小説を読むということではNo.1の高橋源一郎さんでも橋本さんに会うと思うとちょっと緊張するというほどのひとなのです。

 

おまけに皆さんが多才で「マルチな才能をお持ちの」という紹介が死ぬほどイヤだったらしいのです。

 

小林さんと渋谷さんはとても若い頃に編集長を経験されています。

 

糸井さんもウェブで「ほぼ日刊イトイ新聞」をある年齢ではじめています。

 

師匠泣き言を言ってもいいでしょうか。私は(そうとは知らず皆さんの不肖の弟子になったばっかりに)相当大変だったのですよ。

 

おまけに20代前半に異常な恐怖に襲われているのです。

 

その恐怖とか「自分がなくなってしまう」という恐怖なのです。師匠たちの影響をあまりに受けたのでそういう恐怖を私は味わっていたのです。

 

自分がそういうことを仕事にすることはないのでしょうが安い通信の歌詞講座を受講していたことがあります。

 

その時に私が書いた歌詞に「微熱」という単語があったのです。私はその歌詞の添削をお願いしたのですが注として「微熱」という単語は松本隆さんの「微熱少年」からもらいましたと書き添削者から「微熱」は一般名詞なのでそういう注釈は必要ありませんと添削のコトバに添えてもらったのです。

 

小説 微熱少年 (立東舎文庫)

小説 微熱少年 (立東舎文庫)

 

 

でも私の中では明らかに「微熱」という単語は松本隆さんの影響だということがわかっていたのです。

 

ユーミンが自分の初期の仕事について「あまりに影響を受けすぎていてどこまでが自分でどこまで

 

悲しみよこんにちは (新潮文庫)

悲しみよこんにちは (新潮文庫)

 

 がサガンなのか自分でよくわからない」とラジオで語っていました。

 

松任谷由実さんにも私はそうとう影響を受けているで私は「どこまでが自分でどこまでがユーミンなのかが自分でよくわからない」のです。

 

師匠の皆さん本当にこんな不肖の弟子で本当に申し訳ありません。