世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

小田和正さんの歌詞はわかりずらいのかな 私は小田さんが怖いので会いません

オフコース解散後だったのかな。おもに小田和正さんの歌詞だったと思うのですが、それを集めた本がありました。私はオフコース自体を聞いていたので買わなかったのです。ただ秋元康さんが文庫本で解説を書いていたらしいのです。しかも秋元康さんは小田和正さんの歌詞にちょっと皮肉めいたことを書いていたらしいのです。(これは曖昧です。裏は取っていません)

 

 

「Yes No」というオフコースのヒット曲があります。イントロから歌に入るときに半音上がるのが特徴的な歌です。問題は歌詞なのです。歌詞が全篇モノローグなのです。独り言をそのまま歌詞にしているのです。その独り言が実際に言葉として発せられたものなのか、それとも内面の言葉なのかは不明ですが、とにかくモノローグだけの歌詞です。

 

また「秋の気配」という歌があります。これは男が勝手に心変わりをして、自分の勝手な心変わりをしてしまった自分をどこかせめている歌です。女性はまったく悪くないのです。ただ男が勝手に心変わりをしてしまった情景なのです。

 

この二つの歌詞は私にはとてもわかりやすい歌詞です。若い頃に聞いてすぐわかったのですから。

 

ただ、これを今更持ちだすのも申し訳ないのですが、「Yes No」の歌詞を糸井重里さんは評価していなかったのです。また「秋の気配」を歌手の白鳥英美子さんが「よくわからない」とラジオで発言していました。

 

秋元康さんが小田さんの歌詞に皮肉めいたことを書いていたのは、私の想像では「小田和正の歌詞はわかりずらい」と秋元さんが考えていたからだと思うのです。「わかりずらい」ということは「一般性(ポピュラリティ)にかける」という意味です。「小田和正はポップミュージックをやっているのにポピュラリティにかけるではないか」と秋元さんが考えたということはありうることです。

 

テクニカル(技術的)な問題なのかどうかは私には不明です。ただある種のわかりづらさが小田さんの歌詞にはあるようなのです。これは小田さんの「歌に対する姿勢」のよなものの問題なのかもしれません。

 

とにかくある種のオリジナリティを求める方で、誰かのマネを嫌うひとですから。音楽的にも、その時のトレンド(傾向)は入れるのですが、明解に「これは誰かの影響だ」ということを基本見せないタイプのミュージシャンですから。

 

一頃矢野顕子さんがオフコースが好きだったのですが、それは矢野顕子さんにはない何かがオフコースにはあったからなのでしょう。オフコースってある種バカにされるようなところがあったのです。ロックファンからは「あんな軟弱な音楽」と評価されていましたし、「あまりにセンチメンタル過ぎる」という評価もあったバンドです。

 

簡単にいうと矢野さんは「動いている音楽」を作るひとですが、オフコースは「どこか止まっているような音楽」を作っていたのです。

 

小田さんの自分のセンチメタリズムに対する向き合いかたは、ある時期以降にブレス(息継ぎ)に表れています。とにかくブレス(息継ぎ)が多くなるのです。ブレス(息継ぎ)をいれると「情感が切れます」。あれのブレス(息継ぎ)の多さはワザを「情感を切れされて」いるのです。「濡れた情感を乾かせる」というか、そういうことです。

 

でも私には小田さんの歌詞がわかりずらいとはどうしても思えないのです。でも事実わからないひとも多数いるようなのです。そこが私には不明なのです。

 

小田和正さんの歌詞はわかりずらいのかな。

 

私が小田さんが怖いことには理由があります。そこが変わっていて欲しいのですが小田さんは合理主義者でした。

 

さだまさしさんがラジオで発言しているのを聞いて笑ったのですが、昔はコンサートツアースタイルがまだ日本に存在していなかったので、基本一つの会場で一回コンサートをする形が多かったらしいのです。そこからコンサートツアースタイルに以降する途中の事なのでしょう。複数のミュージシャンが組んである地域を回るスタイルが存在したそうなのです。いわゆる「フォーク」のミュージシャンが、このスタイルの先駆けだったのでしょう。そこでさだまさしさんが在籍していたグレープとオフコースが一緒のコンサートを開いていた時期があったらしいのです。にもかかわらず小田和正さんが結婚したことをさださんはまったく知らなかったし、披露宴にも呼ばれていないことに関して「小田さんらしいな」と笑っていたのです。

 

またこの本は山際純司さんが書いたノンフィクションなのですが、ある一節を読んで当時「小田さんらしい」と思ったのも覚えています。

 

Give up―オフコース・ストーリー (1982年)

Give up―オフコース・ストーリー (1982年)

 

 

コンサートにはアンコールがつきものです。ファンが熱狂した言いコンサートならアンコールが多くなります。アンコールは本来はファンが良かったという意味で拍手や声援をおくった場合に開いていたもののはずなのですが、いつの間にかアンコールをミュージシャンがつけるのも、ファンはアンコールを求めるのも「定型」になってしまっています。これが「定型」なので、私はローリングストーンズのファンではありませんし、ストーンズのファンのかたに申し訳ないのでコンサートに行くこともないのでしょうが、もしストーンズのコンサートにいったらアンコールの一曲目は「サティスファクション」であった欲しいのです。本来のアンコールの意味合いからするとこういう私の希望はおかしいのですが、いつのまにかそうなっています。

 

オフコース全盛期ですから、ファンの熱狂ぶりは大変なものでした。ですからアンコールの数を決める必要があったらしいのです。二回のアンコールをツーコールと呼ぶのですが、「ツーコールまでしかしない」と決めていたらツーコールが終わってファンが会場で熱狂していても、当時はもうすごい状況なのでハイヤーなのでしょうか、にのってホテルに帰っていたのです。当時のオフコースの人気は大変なものでしたら、そういうことを決めるのは当然だったのでしょう。しかし会場でファンが熱狂しているので、ハイヤーに乗ってホテルに帰るという行為の「合理性」が私には怖いのです。

 

ただ今年は見過ごしましたが、TBSの「クリスマスの約束」で直筆で手紙を複数のミュージシャンに小田さん自身が書いて送ったという話も聞きました。

 

それからアリーナツアーで熊本に来てもらったので観にいったのですが、小田さんが「あそこは遠いから」と言って会場に降りてきてくれたのです。

 

ついで書いておくて熊本レベルの田舎に小田和正レベルのミュージシャンが来ることは基本ないのです。そしてアリーナでのコンサートは大変なんだということがわかりました。バスで私はアリーナに行ったのですが、バスの本数が足りなかったのです。だからバス会社が急きょ路線を変更していました。アリーナというのは和製英語です。ミュージシャンの人気によって「ライブハウス」、「ホール」、「アリーナ」、「ドーム」という風にホールの大きさを変えるで、アリーナはコンサートホールではあるのですが、1万人規模のコンサートホールをアリーナを呼ぶ習慣がいつの間にかついてしまったのです。ただ元祖アリーナは武道館なので、武道館は本来の意味でのアリーナに近いのかもしれません。ドームコンサートなら5万人を動員することになるので宿泊施設等が大変なことになるはずです。余計なことを書きました。

 

クリスマスの約束」での直筆の手紙であるとか、コンサートで会場に降りてきてくれたあたりをみると小田さんの「合理性」が変わった気もするのですが、私はまだ小田さんの「合理性」が怖いので、小田さんとはお目にかかりません。