いまさらいうのも恥ずかしいのですが 時代はロングテールです
ロングテールというのは長い尻尾という意味です。
どのジャンルに関しても勉強した方がいいです。私はTBSラジオがポッドキャストを辞めてそうとうホッとしています。荻上チキのセッション22のポッドキャストを聞くいう義務から解放されたという気分だからです。あの番組は放送する方も長くて大変なのでしょうが聞く方も長くて大変だったのです。
今は「大竹まことのゴールデラジオ」とニッポン放送の「そこまで言うか!」のポッドキャストを聞いています。
私は朝型で夜は早ければ6時とか7時には寝てしまうし「クローズアップ現代」が終わってテレビ報道には関心がなくなっているのでもっぱらラジオなのです。
(余計な話ですが大新聞の一部の偏向ぶりはヒドイですよ。それは右であれ左であれ同じです)
今さら増刷もないのでここにリンクを張っていても私はもうからないのですが「ロングテールのニュアンス」を説明するために自書のリンクをはっておきます。
私はコラムニストでもあるのですが全コラムニストは自分のコラムの出版がどこかイヤなのです。
理由は「あの記事を書いた時とはもう考えが変わっているから」なのです。でもコラムの出版には時代の気分の記録という意味があるので「てにをは」は直しても趣旨な治さないのが筋です。
「時代がロングテール」だからそういう指摘が成立するのですが私が大変尊敬している先輩ブロガーのポジ熊さんのアドバイスを私は原則守っています。
そのアドバイスとは「腐るワードはつかわないほうがいいです」というものです。
これはあえて今使うのですが一頃でいえば「ベッキー」という単語(彼女には申し訳ないのですが世間で当時騒がれていたという意味で彼女の名前を出しました)あるいは今なら「松居一代」という単語(松居さんの騒動について私は知識がありませんし私は松居さんに何の悪気もありません。ただむやみやたらと世間が騒いでいるという意味で名前を出させてもらいました)は完全に「腐るワード」です。
時代はロングテールでないのであれば現行のテレビや週刊誌のありようは問題ありません。
でも時代はロングテールなのです。
これを週刊誌でいうと一つの記事(それは芸能人のスキャンダルであろうとも)10年20年商売する時代なのです。
あるいは私のようなコラムニストどうようテレビでコメントしているひとたちは苦しい目にあいます。
テレビはもっと簡単です。ワイドショーやニュース番組の再放送がありうるのです。
ある場面でのコメントはその時の時代の気分の中のコメントであって10年後20年後にはコメンテーターの考えは変わっているのです。
そしてテレビや週刊誌が「腐るワード」で埋め尽くされていることはテレビや週刊誌に時代が読めていないことを意味しています。
「時代はロングテール」と書くことが私には2017年の今はずかしくてしかないのに。
テレビや週刊誌が時代を読めないでどうするのですか。