今週はほぼブログと仕事で私はバタバタしています。
月曜日に友人のTさんから電話がかかってきました。
ちょっと用があったのです。
私は電話に出て「今ちょっとバタバタしているし、木曜日に会うから、その時にその用を済ますから」と答えました。
そういう状況でした。
木曜日にKさんにあって、彼が言うのです。
「あれって朝だったでしょ。あそこで切れられる一日ブルーだし、ちょっとそれは厳しいと思ってたんですよね。バタバタ感が伝わってきたし」と。
私はいったんは
「そういうことを察してくれないひとたちがいるでしょ。あれなによ。こっちは明らかにバタバタしてるってわからないのかな、ああいうひとたちって」
と言いました。
でもしばらくKさんと話をしているうちに私の対応がおかしかったということに気がつきました。
「そうだよね、だいたいそういうときにワザワザ電話にでて切れるのはおかしいわ。最初からでなければいいんだ」と気がついたのです。
実際ほぼこの一週間はメールはほぼ全部無視しています。
ただ「電話」は緊急なのかなと思って、ワザワザでて、私のバタバタ感を伝えていたのです。
でも電話だって着信履歴が残っているのですから、コッチからかけなおせばよいだけのことでしょ。
私がそもそも電話に出たことが間違いだったのです。
そういうことは「情報化社会」においてはいくらでもあるのだと私は思うのです。
たとえばテレビです。
わざわざテレビを観て怒る必要性がありますか。
ありませんよね。
テレビを消すか、チャンネルを変えればいいだけでしょ。
メールだって、件名をみて「これは読まない」と自分で決めればいいのです。
そういう「対応」が現代日本では必要とされています。
そういうことをしないと本当に切れますから。