世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

こざかしいのと「知的」なのはまったく違いますから

失礼なのですが、「こざかしい」だけのひとが「自分は知的だ」と思い込んでいて、私はイラっとしています。

 

そのひとと会う機会ももうないと思うので書くのですが、私がある時に「人間的な成熟」といったのです。そうするとそのひとはワザワザ「成長」と言い直しました。つまり私の発言にダメ出しをしたのです。そのひとがいうには「死ぬまで人間は成長」なのだそうです。当然私はスルーしましたが、内心「このひとはホントに頭が悪いな」と思っていました。「人間的な成熟」とは大人になるということです。「成熟した後も当然成長は可能です」。あなたには簡単なことですよね。そのひとはそういう簡単なことがわかりもしないひとです。死ぬまでわからないのでしょう。みずからの愚かさにはまったく気がつきもしないまま、私にダメ出しをするような失礼でしかないことをしておいて、「自分は知的だ」と思っているひとでした。もう縁を切ったのですが。私がそういうひとと縁を切るのは当然だと思います。

 

やはり同じひとなのですが、私がある文章を書いてまとめようかなという話をしたのです。そのひとは「5年後に読みます」といいました。当然そのひとはそういう言い方をする自分は「知的」だと思っています。でもそのひとは知性であるとか、そういうものとはあまり縁がないひとなんです。ただ「こういう言い回しが出来る自分は知的だ」と思っているらしいのです。私からみれば「愚か」極まりないひとでしかなかったのですが。

 

前にも書いたのですが、「バカ」というは「態度」のことです。

 

「自分自身に何らかの変化や変容や進歩を受け入れない態度」が「バカ」です。

 

そのひとは自分を変えるつもりはもうとうありません。ひとに失礼極まりないことを普通にしておいて、何も感じないほどに愚かなのですが。そのあまり愚鈍さに私は言葉も出ませんでした。

 

そのひとはバカなだけではなく、ひどく鈍いのです。ひとにとてもイヤな思いをさえておいて何も感じないような鈍い、「感性」すらあるのかどうは疑わしいような下劣なひとだと今でも私は思っています。

 

バカな上にあまりに鈍くて、私は死ぬほどイヤでした。

 

そういうどうでもいい「言い回し」は「言葉遊び」にしか過ぎないのです。そしてそういうひとは「つまらない言葉遊びを知的で素敵だ」と思い込んだまま死んでいくのでしょう。私はもうそういうひととはかかわりを持たないで暮らします。