マクルーハンはカナダの文明批評家です。
彼はメディアは「熱いメディア」と「冷たいメディア」に分類してみせました。
まだインターネットの前でしたから、ネットに関する言及はありません。
ラジオは「熱いメディア」です。
あのかたの感覚はやはりとびぬけていると思うのです。
ウッチャンナンチャンの南原清隆さんです。
だいたいあの人の昼の帯の番組での司会が本当に見事です。
「いるだけ」なんです。
タイプはあるのですが、一流の司会者が「いるだけ」ということは多々あります。
ここはビートたけしさんと書くべきなのでしょうか、たけしさんも基本いるだけです。
所ジョージさんも「いるだけ」です。
黒柳徹子さんや明石家さんまさんは違いますが、一流の司会者が「いるだけ」だということは多々あります。
南原清隆さんが「自分はいるだけだ」ということを「している」ということは南原さんがやはり「一流の司会者である」ということを実証しているのだと私は思うのです。
ウッチャンナンチャンがラジオの深夜放送をしていた頃の南原さんのコメントがとても面白かったのです。
「いろんなところにいくでしょ。『リスナーなんですよ』って言われるんだよね。そうするとコッチもなんか『リスナーなんですか』とかいうんだけど、アイツ等ただのファンじゃない。なんだろう、ああいうの」と言っていたのです。
マクルーハンは「ラジオは熱いメディア」だといっています。
別のラジオ番組でも、友人と同じラジオ番組を聴いているとういだけで、とてもうれしくなります。
「ラジオは熱いメディア」なんです。
「テレビが冷たいメディアだ」ということは二段階に分けて説明したほうが良いと思います。
まず「こういうテレビ番組は面白い」というところからはじめましょう。
「どういうテレビ番組が面白いのか」です。
「熱いテレビ番組」です。
黒柳徹子さんや明石家さんまさんに私は長年内心ダメ出しをしていました。
その内容は「あなたはその人が嫌いですよね。それはそうです。誰だって嫌いなひとはいますから。だからってね、そんなテレビみたいな所でこのひとはキライでしかたないっていうのを視聴者に見せるのは違うと思うな」とういうものです。
逆もあります。
「あなたにはそりゃそれは面白くないんでしょう。私には大して面白くありませんし。でも愛想でとりあえず笑うってあるじゃないですか。私だって死ぬほどつまらない話で苦しいこともありますよ。でもとりあえず笑っている場面があります。それをあなたは全然しないでしょ。それはどうかと思うわ」ということです。
ここがあのお二人はまったく同じです。
お二人の番組は「感情の表現が露骨すぎて『熱い』」んですよ。
あるいは「朝まで生テレビ」は討論番組です。
中身があるのかないのか不明なのですが、「熱い」です。
あるいは、最近観ていませんが「TVタックル」も「熱い」です。
面白いテレビ番組は「出演者が熱い」んです。
気が付かなかったのですが、「紅白歌合戦」(書いてみて、この番組のタイトルはなんかスゴイとおもいましたが)も「出演者が熱い」のです。
あの方はいわばエリート街道を進まれた方ですが、坂本冬美さんがある時期に無期限休業にはいっています。
ほぼデビュー以来突っ走ってきた方ですから「休む」時期が必要だったのでしょう。
紅白もほぼ常連で、トリまで務めています。
トリについて若干説明します。
トリって最後に「歌う」あるいは「演奏する」、「歌手」、「ミュージシャン」のことである種のステイタスです。
これは当然です。
「好きな歌手の歌が終わったな」と思ってコンサートから帰るであるとかテレビのチャンネルを変えるということが普通にあるからです。
「この人が歌い終わるまではコンサートから帰らない」であるとか「テレビのチャンネルを変えない」という「歌手」、「ミュージシャン」が最後に「歌う」あるいは「演奏する」のは当然ですから。。
「名誉」にあたるポジションです。
坂本冬美さんは石川さゆりさんが「津軽海峡冬景色」を歌うのをテレビで観て「歌手になる」と決意されたようなのです。
そして紅白のトリを取った時に、その石川さゆりさんからポンと背中を押されて「いってらっしゃい」といわれて歌ったそうです。
坂本さんとしてはある種の限界状況で歌っていたのです。
私はまったく気がついていませんでしたが。
その坂本冬美さんが無期限休業にはいってウチで紅白を観ていたそうなのです。
大晦日ですし、家事をやったり、片付けものをしたして、坂本さんは限界状況で歌ったこともある紅白を観ていて「あれ皆こんな感じで紅白を観ているんだ」と思ったと、これはTBSラジオの「たまむすび」で浅草キッドのタマさんにおっしゃっていたと記憶しているのですが。
(私はポッドキャストで聞きました)
敬意がないので、敬称略なのですが、ナンシー関に代表されるテレビエッセイは「冷めて」います。
「冷たい」んです。
だいたい私だってテレビを観るときは「ツッコミながら」観ていますし。
「この番組バカかも」とか「このひとがいっている意味がわからない」とか、「ツッコミながら」観るのです。
「面白いテレビ」には「落差」があります。
「テレビ出演者は限りなく熱く」、そして「それを観ている視聴者は限りなく冷たい」のです。
この落差があればあるほど「面白いテレビ番組」です。
「テレビ出演者が熱く、それにつられて視聴者まで熱く」なってしまうようでは「面白いテレビ」とはいえません。
また「そもそもテレビ出演者が冷たい(つまり冷静)なテレビ番組はつまらない」のです。
最近NHKのラジオでのご活躍しかしりませんが、ある時に山田邦子さんの土曜日の夜のテレビを観ていて、私は笑っていまいました。
「この番組を観ているあなたはマニアです」とおっしゃっていたのです。
つまり「低視聴率番組」だったのです。
余計な話ですが、テレビエッセイで、「なぎら健壱がどうせ誰も観ていないと思って、好きに番組をやっている」というものを読みました。
その番組を私も観ていたのです。
ほぼ同感でした。
「冷たいテレビ番組」も「マニアには面白い」んですよ。
でも一般的には厳しいです。
そうですよね、なぎら健壱さん、山田邦子さん、ついでに大竹まことさんも。
あれ、3人とも東京人だ。
東京人ってなんかあるんでしょうね。
ただテレビ制作者の一部に、このことが半ばわかっているひとがいます。
そういう人たちは「とりあえずテレビ出演者が無意味に感情的になればいいんでしょ」と思っているとしか考えられない番組作りをしています。
私はそれは違うと思うのです。
それは違います。
あれが典型なのですが、ニュースステーションの久米宏さんです。
久米さんは別に感情的になりたくて、感情的になっていたわけではありません。
あんまり腹が立つニュースだから、怒ってしまうとか、そういうことだったと私はみています。
「朝まで生テレビ」だって、「結果感情的になっている」のです。
表情や発言にでなくても「きょうの出来事」の櫻井よし子さんは(櫻が旧字なのが素敵ですが)、「きょうの出来事」がニュースキャスターが自分の考えや意見は一切いわないタイプのニュースだったので、「ここは言いたい」であるとか「これは大問題だ」とか「これは問題外だ」とは思うのだけれども、自分のキャスターとしてのスタイル上それはそれは一切しないというところを視聴者がわかっていたのだと私は信じています。
だから「きょうの出来事」も「熱い番組」でした。
「結果」です。
今あげた番組は「結果熱い」んです。
しかも「視聴者は冷めている(冷たい)」のです。
それがテレビの面白さでしょ。