命がけの作家 森永卓郎と時代の転換
森永卓郎がすごい。私の表現力ではすごいとしかいえない。
なぜにこんなに森永卓郎がすごいのかだ。ガンにかかって自分の死期がわかっていらしゃるのだ。
ザイム真理教という思い切ったタイトルもそういうことが影響しているようだ。つまり森永卓郎は命がけなのだ。
昔三島由紀夫は自決した。この件を私は覚えていない。吉本隆明の記述によれば三島由紀夫は死ぬ気だったようだ。つまり命がけで自衛隊の決起をうながした。だが自衛隊は決起しなかった。これは命がけが効果を表さなかったということだ。
そして橋本治の記述によれば自衛隊員からのヤジがひどかったのだそうだ。
これは仮設だが自衛隊員にとっては自衛隊や自衛隊員というのは現実であり仕事だ。だが三島由紀夫の話は観念だった。もっと露骨に書くと彼らは作家や思想家(あるいは「自衛隊へ入ろう」という歌を歌うようなフォークシンガー)になれるくらいなら自衛隊員にはなっとらんわいという気持ちがあったと思うのだ。
「オレはそういう観念(ひどい言い方をすれば遊びで)自衛隊員をやってるわけじゃないんだよ。仕事でやってるだけなんだよ」という怒りがあったと思う。
これは長年不幸で下げ止まっている私が右も左の大嫌いなことからの類推にしかすぎない。右も左もさっぱり役に立たないのだ。私はヤクタタズだという理由で右の左も大嫌いなのだ。
そしてこういうことをセンチメントに語るインテリもまた大嫌いなのだ。私はセンチメントに長年不幸で下げ止まっているわけないのだ。これははただの現実だ。
こういう連中はどこかの孤島で永遠にケンカしてろよ!ヤクタタズなのはみんな一緒だ。
ただ三島由紀夫の死は1970年だった。三島は時代の転換期になくなった。
野坂昭如原作のアニメ「火垂るの墓」は影響が大きい。野坂は小説「火垂るの墓」を1967年にオール読物で発表している。火垂るの墓のお兄ちゃんは野坂だ。あの話でお兄ちゃんは亡くなっている。この意味は「あの時自分は死ぬべきだ」という野坂の悔恨だ。いわば野坂はあの小説で自決している。
話を戻す。三島由紀夫の命がけは効果がなかった。野坂の自決は作品いチカラを与えた。、そして森永卓郎の命がけだ。この命がけには効果がでている。
ひとの命に効果云々というのは不道徳な話だ。だが三島由紀夫の命がけには事実効果がなかったのだ。これが大きく変わっている。