あなたが職場で無茶ぶりをさせるということは仕事ができるということなのですが 「侮辱」
若い頃にバイトをしていて、よく「社員になれ」とか「もうちょっとがんばれ」とか言われなくて「わかった」とだけ言ってやめさせてくれたなと思って今だに感謝しているところが数軒あります。そういうことでもめることもあります。私は経験していませんが、社長や店長が家に押し掛けたという話も聞きます。
東アジアはどこかウェット(湿気のある)社会です。人間関係もウェットです。昔からそういうこともあったのでしょうが、ある社長があまり悩んで円形脱毛症が出来たという話がありました。
ある社員が出来ない人だったのです、会社も経営も厳しいしこの人に辞めてほしいのだけれどもウチでもこんなにできないひとがよそで通用しないだろうと思うと「やめてくれ」という訳にもいかないという事で悩んで円形脱毛症が出来たのです。昔の話ですが。
私が知っている話だとある職場での人間関係にそのひとは本当に悩んでいました。問題のあるひとがいたのです。そういうひとはどこにでもいます。ただそのひとの相手を上のひとはしません、そのひとにほとんど任せた状態だったそうです。そのひとが上にそのひとの事を言っても「あの人には事情がある」とか「そんな人を悪くいわなくて」とか言われていたそうなのです。それはもちろんそうです。でもその人のあいてを上の人はしていないで、そのひとに押し付けていました。そんなことを言うのであれば上のひとが問題のある人のケアをするのが筋だと私には思えるのですが、それはしないのです。そしてその人も何を言っても一緒だからと思って辞職して家にいると「辞めないでほしい」と上のひとが押し付けてきたのです。そのひとが言っていることはただのグチや悪口だと思っていたのでしょう。問題のあるひとはどこの職場にもいます。でも上のひとはそういう人のケアをするのが筋なのではないでしょうか。私がきいた話では、そういう事は全くしていなかったそうです。その挙句に「辞めないでくれ」と家に押し掛けているのです。言語道断です。管理職という名前はたまたまついている名称ではないのです。そんなに下に何もかも押し付けるのが管理職だといえるのでしょうか。私には到底そうは思えません。
私も正直言って「使いものにならないから来なくていいよ」と言われたこともあるのですが、そこは仕事ができないと私の命にかかわるような職場だったので、そういう理由があったのです。そういうことは一回だけですが。
バイトをずっとしていて「指示待ち」になってしまったまま年を重ねてしまって周囲が困るというケースがあると聞きます。ある職場での私の言ったことや言われたことからすればそういう事があることは想像に難くありません。
その職場で私は社長に「指示を出してください。やりますから」といったのです。そうすると社長は「そうじゃないんだよ。考えるんだよ」と言ってくれました。
私もある種無茶ぶりをします。でもそれは基本若くて優秀なひとです。無茶ぶりをしながら「もう訳ない。ただココでコレをするのはあなたしかいないでしょう。あなたも不本意だと思うし、本当に申し訳ないとは思っているんだけれども、他にそのコトをしてくれるひとはいないし、それができるのはあなただけだから。あなたの資質や能力からすればもったいないし、それは私にもわかってはいるんだけれどもしばらく辛抱してほしい。その代わりにあなたはココを辞めるとかいうときには慰留などしないし、場合によっては先々の応援もするから」と思いながらです。
業務上の無茶ぶりはそういう前提があってするものです。
そうじゃない無茶ぶりをされたこともあります。
そういう事も私はまったく不満でも不本意でもありませんでした。事実「コンビニ社員で頑張ります」と言っていました。コンビニエントという言葉を直訳すると「便利な」です。だから私は「自分を好きなように便利に使ってください」と言っていたのです。
ただそういうところやそういうひとと、その後連絡を取ったり、仲良くしたり、感謝をしたりということは基本ありません。当然私もお世話になっていますが、私なりにはお返しし終わっていると考え、感じているからです。
私が何十年経った今でも感謝している職場や社長や店長には「愛情」というより、ある種の「共通認識」があったのです。もちろん若い頃にはわからずにいましたが。ある種「見込んで」もらっていたのだと想像しています。
もしあなたが社長や管理職の場合に部下が「やめたい」といったとします。「今の若いもんはすぐ辞める」という話も聞きます。そこはとても難しいところなのですが、あなたはその「若いもん」をちょっとでも「見込んで」いますか。ポイントはそこです。変な言い方かもしれませんが、「ひととして見込みがある」と思っていますか。コンビニエント(便利や)ヤツで済ませてはいませんか。もしあなたが管理職で若いひとをただ「便利(コンビニエント)」くらいにしか思えていないのであれば、若いひとが職場を去ることは普通だと私には思えるのです。「若者はモノではなくヒトです」。これは基本中の基本のはずです。しかし「道具」くらいにしか思っていないある年齢以降のひとが一部いると私は想像しているのです。その若者が「自分はモノだと思われている」であるとか「道具だと思われている」と感じ取ったら「職場を去る」決意をすることは普通のことです。それは侮辱でしかないのです。それは職場がどういう環境であるとか給与がどうであるとかいう以前にしてはいけないことです。「侮辱」です。
若い人の多くが仕事が続かないことには何らかの理由があると私は想像しています。そんなひどい「侮辱」をうけたら職場を去ることはとても普通のことでしかありませんし、今の日本社会にはそういうこともあるのだろうと想像しています。