「ずるがしこさ」 私は結構いいひとだから
80年代に入り「サヨクとウヨク」の意味が変わりました。
そのあたりにセインシティブで語源にさかのぼったのは呉智英さんです。
あれが何年のなんというタイトルの本なのかは忘れていまいましたが。
これは今の日本の状況とどこか重なるのです。
呉智英さんによればサヨクとウヨクの語源はフランスにあるということでした。
「フランス革命のあと」です。
「あと」なんです。
フランスで国家が開かれたときに、たまたま議会の左側(つまりレフトウイング、左翼)に「急いで改革したい」という人たちが集まり、議会の右側(つまりライトウイング、右翼)に「急いで改革をするのはちょっと違うだろう、じんわり変えてゆこう」という人たちが集まったことから「左翼」、「右翼」という言葉が生まれたというのです。
つまり「全員改革なのです」が、改革のスピードというかテンポというかニュアンスの差だったと呉智英さんは指摘しているのです。
今の日本で、このままでいいと思っているひとはいるのでしょうが、圧倒的に少ないですし、それが大きいものであれ、小さいものであれ、なんらかの変革が必要だという点においては共通しているはずです。
ただ私自身としては、私の今の暮らしにそれほどの問題を抱え込んではいないと考えています。
ただ「圧倒的に現実を拒否したい感覚」もわからなくはありません。
私がもともとそういう資質なのか、それとも年を取っただけなのかは不明ですが、「圧倒的に現実を拒否したい感覚」に従うことが上策だとは今の私には思えません。
ある種の「ずるがしこさ」が必要だと考えるのです。
「ずるがしこい」という意味においてです、そういう意味において、今の日本の政治家の方には不満があります。
「良い人」があまりにも多いのです。
そこは私にはわからないところなのですが、「良い人」が政治家としてふさわしいのかどうかは多いに疑問があるところです。
別に金に汚いひとが良いという意味ではありません。
私がいっているのは「ある種のずるがしこさ」なのです。
私でも、そういう意味における「ずるがしこさ」はないです。
悪い意味で私はどこか「いいひと」だからです。
一方では、「夢のような理想をもち」、また一方では「死ぬほどずるがしこい」ひとが日本社会には必要とされています。
両方が必要です。
両方が必要なんです。
そういう局面です。