私は長々貧乏したので、自分が基準だったんです。
そういう基準でしかなかったので、貧乏が普通だったのです。
でも普通はやはり違っていました。事情がある人たちとはいえ働かないで食べている人たちが死ぬほどいます。
本人たちは事情があるからと思っているのですが「働いていません」。
お金になる、ならないは別問題です。
お金になる、ならない以前に働いていない人たちが死ぬほどいます。
まったく悪くありません。
でも働いていなし、働いた経験もほぼない人たちです。
普通に「仕事がない」とかいうのですが職安に行ったことはほぼないような人たちです。
山のようにいます。
あるひとは店をやっているのです。
でも赤字です。
赤字の店を開けるくらいなら店をたたんでボーッとしていた方がましです。
でも親御さんのお金がある家なので平気なのです。
家族で商売をしているといっても本人は何もしていなかったりします。
小遣い程度稼いでいるだけなのに結婚したりするような人たちです。
本当に暇つぶしで必死なひともいますし。
そういうひとが死ぬほどいます。
あの人たちは生活の下支えみたいなものが強靭なんです。くずれない「下支え」がある人たちです。
あれだけ強靭な生活の下支えがあれば生活保護は必要ないのでしょう。
うらやましい限りです。
不労所得は普通にあります。
ウチは本当にカネがなくて、一頃生活保護を受けていたのですが、セーフティーネットが本当にない状態でした。
実際コッチはなんとかなっているんだけれども実家がまわってないと思って生活保護費の中から金を工面して実家に仕送りしていました。
ある友人はヒドクて生活保護うけてながら実家から小遣いをもらってパチンコを打っていたんです。
でもこの二人は今普通に働いて税金を納めています。
これが私にはわからないところです。生活保護者が多いのはもちろん問題です。
しかし生活保護を一定期間受けて普通に働きだすひともいます。
でも生活の下支えが強靭なのであんまり働く必要性がないので事情があるせよ働かないひともいます。
国の収支上どちらが好ましいのでしょうか。
仕事をして来ても、良い年金に入っている人であれば何等かの問題が発生しても普通に暮らせます。でも良い年金と縁がないと現代日本ではすぐ生活保護を受けるほかないのです。
もちろん家族や親せきが面倒を見てくれることもあるでしょう。でもそういうケースがどんどん減っているはずです。私自身も家族がお金の面であまりにも重かったのです。私が言う家族とは私の両親のことです。変な話し両親がもっと早くに亡くなっていればお金の面で私はずっと楽でした。でもオヤに早く死んで欲しいとも思えなかったのです。介護離職も他人事ではありませんでした。母親に問題がおきたときにもケアマネジャーと二人で走り回ってなんとかしましたし。たまたま私に介護の知識や人脈があったからできたことです。介護の知識や人脈がなかったらお手上げ状態に陥るほかなかったはずです。
こういうことを情とかそういう事ではなくて、国の収支上どうなのかという冷めきった視線で考えてほしいのです。
もちろんそんな冷めきった視線だけではダメです。一つはそういう冷めきった視線が欲しいのです。私にはそんな冷めきった視線は持ちえませんから。