世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

あの発想はケガレだったもかもしれない 「暗闇祭り」

 

現代霊性論 (講談社文庫)

現代霊性論 (講談社文庫)

 

 

内田樹さんと釈徹宗さんの「現代霊性論」を再読しました。靖国神社の問題があります。稲田防衛相が参拝されたそうです。

 

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この問題は私ごときは解読できません。ただ靖国神社がなんらかの意思表示をしなければならないような状況に立ち至っているのです。靖国神社がなんらかの意思表示をしなければならないような事態になっていることこそが問題なのです。

 

そこは言及しません。

 

釈先生みたいな方におまかせします。

 

イヤな記憶なのですが1995年にオウム真理教地下鉄サリン事件がありました。イヤな記憶です。日本中がおかしかったのです。そういうことを普通にいう人がいくらでもいたようなのですが「アイツは麻原彰晃と対談しているから問題外だ」とかいうひとがいたのです。人がなくなっているような事件をそういう人は娯楽ととらえているとしか思えなくて心底不愉快でした。

 

釈徹宗先生の話を読んで「あれはケガレの発想だったのかもしれない」と考えるようになりました。

 

民俗学の研究だと思うのですが日本では「ハレ、ケ、ケガレ」の三種類の状況をあると考えるのです。

 

「ハレ」と「ケガレ」は非日常です。

 

「ケ」が日常です。

 

「晴れ着」というのは特別な日に着る服のことです。

 

「ケガレ」はもともとは気枯れというエネルギーな枯れた状態や毛枯れという農作物か枯れた状態だったらしいのです。

 

釈先生の話を聞いて「なるほど」と思ったのですが、日本では「ケガレ」はうつるのです。(概念上そうだということです)「蝕穢」(そくえ)という考え方があると釈先生は指摘されています。これは「触ると穢れがうつる」という考えかたです。

 

麻原彰晃と対談したからアイツはダメだ」という発言には「麻原彰晃はケガレていてあいつの側にいたアイツもケガレているんだ」という発想があったと想像しているのです。別に麻原彰晃と対談しかからといって本来格別の問題はないはずなのですが当時はそうではありませんでしたから。

 

ついでに書くとこれは保守とかリベラルとかはまったく関係ないのでぜひやって欲しいことがあります。「暗闇祭り」です。季節が良いことですから春と秋に一回ずつで年に二回です。計画停電です。夜の6時から翌朝の6時まで警察・消防・電話以外の電力を停めるのです。病院、医療機関は別です。日本中を真っ暗にします。危険なようですがドロボーしようと思っても真っ暗なのでできません。凶悪事件も真っ暗なのでできないくらいの「闇」を日本中に作るのです。これは「ハレ」の日です。そうとういろいろなことを許します。この「暗闇祭り」は日本全体にとってとてもいい祭りになります。犯罪は減るでしょう。これは「祭り」です。「祭り」なのです。昔の大晦日にそういう要素がありました。普段子供は早く寝るのですが大晦日は逆に子供が起きていても良いし、むしろ起きているものなのだと考えられていたのです。そういう日を作ることにはそれほどのお金は必要ありません。しかもワールドカップなみの盛り上がりを見せるはずでう。なおかつ日本中が平和になるのです。ぜひやって欲しいのですが。

 

「暗闇祭り」を実施しましょう。日本中あかるすぎます。