亡くなりましたが、大滝詠一さんはアメリカンポップスの大家でした。
大滝さんは名前を使いわけていて、ミュージシャンの時と音楽研究をするときは「おおたき」の「たき」の字を使い分けていたし。
ある時期に大滝詠一さんが「オレアメリカンポップスしならかった」と思って聞き直しています。
強力でした。
「ビーチボーイズまでたどり着けるのかな」とかいう感じがスゴイなあと思っていたのです。
大滝詠一さんと山下達郎さんがお正月に対談をしてして、それがある種のオタクのツボだったのですが。
ある時に「飢餓感」の話をお二人がしていたのです。
私の世代でも海外のロックとかに対する接し方がおかしいんです。
昔だから映画館が多いんですよ。
封切の映画をかける映画館のほかに、ちょっとおくれて安い値段でかける映画館が普通にあったのです。
そのちょっとおくれて安い値段でかける映画館で海外のミュージシャンの今でいうPVを観ています。
アバって昔いて、この人たちは北欧出身なのですが、ポップスです。
アバとブリティッシュハードロックのPVをわざわざ映画館で観ています。
おかしいでしょ。
大滝詠一さんがあれだけアメリカンポップスに入れ込んだのは「飢餓感」があったからだというのです。
達郎さんもそうなのでしょう。
今は「ビーマイベイビーがユーチューブで普通に聴くことが出来る時代だから飢餓感を持ちづらいのが問題だと思う」というのがお二人の共通見解でした。
私はオタク第一世代です。
オタクはテレビが大事です。
いわゆるオタクが愛する何かを私たちの世代は享受しています。
しかし、それがアイドルだろうとアニメだろうと特撮だろうとはまり込んでいたのはごく一部のひとたちです。
しかも「自分はいい年してアイドルとか好きなわけだし、ダメなひとだよね」と思っているのです。
対象がなんであれです。
一部のひとだけがオタクだったのです。
とても肩身が狭い思いをしていました。
もっと若い世代のひとは、そこがよくわかっていないようです。
高校生で「特撮」とか言っているヤツはダメなヤツでした。
それがたぶん伝わっていないと思うのですが。
いまだに覚えているのだから、よっぽど印象深かったのでしょう。
「ガンダム」がありますよね。
あの第一シリーズです。
熊本でネットしていなかったのです。
まだオタクという言葉はありませんが、オタク雑誌で話題になっていたので、私はどうしても「ガンダム」を観たいのです。
そんな高校生はダメなヤツです。
当時としては、そんなヤツはダメやヤツです。
「高校生でアニメってお前はバカでダメでしかないよね」ということなのですが、伝わるでしょうか。
その自覚はあるのですが、「ガンダム」をどうしても高校生の私は観たいのです。
しかしネットしていないから観ることが出来ない状況です。
まだDVDのレンタルなどない時代です。
ビデオもまだまだですから。
今はあまり残っていないようですが、「イデオン」とかなんとかいうアニメがはじまって、オタク雑誌によると「これがガンダムのあと番組らしいし面白いのだけれども、ガンダムが観たい」と田舎のオタク高校生は考えています。
そうすると「イデオン」のあとに「ガンダム」が始まったので、これを夢中になってみるのですが、これが一言でいえば「恥」です。
一部オタク仲間と話すのですが、一般のまっとうな高校の同級生には「ガンダム」とかいえない状況なのです。
「恥」でしかありませんから。
そうするとある日とてもまっとうな同級生がふと言ったのす。
「アムロ、行きます」と。
このセリフは「ガンダム」第一シリーズの決め台詞でした。
私は「日本は大丈夫なのか」と思いました。
私はオタクですよ。
でも「まっとうなひとはガンダムを観てはダメだ」と信じていたのです。
だから「日本は大丈夫なのか」くらいの衝撃を受けたのです。
それくらいの感じですね。
私よりも若い世代のかたで、私くらいの世代に生まれたかったというひとに時々出会うのです。
とても詳しいのです。
「特撮」だとか「アニメ」だとか。
私の世代は確かにそういうものを享受しています。
だけれども、今まで書いてきたような「環境」でした。
私たちの「孤立感」や「自己否定感」と若い世代の「飢餓感」がどこか重なるのでしょうが。
でも「飢餓感」は本当に大事です。