世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

貧乏人の精神性とお金持ちの精神性 ある時期から日本の野菜に味がなくなりました。

私が長く貧乏な生活を送ったのでわかるのですが貧乏だとイベントがどうしても必要です。つまらないことでもいいのです。家族で外食するであるとかそういうレベルで良いのです。

 

普段ガマンして暮らしているのです。「ここ一番で発散したい」気持ちになるのです。若い人でサッカー観戦に行くであるとかされている方の一部にそういう人がいるのでしょう。そういうイベントがないと気持ちが持たないのです。

 

一方お金持ちはイベントが必要ありません。日常生活が満ち足りているのですから。

 

私は両方経験したのですが、同じ人でも変わるのです。

 

沢村貞子さんという明治生まれの女優さんがいらしたのです。沢村貞子さんの「わたしの献立日記」という本を読んでおんなじことを感じていた人が普通にたくさんいたんだと思って驚きました。

 

「わたしの献立日記」は1988年発行です。その記述が何年に行われたのかは不明です。でも1980年代なのだと想像しています。

 

沢村さんは「近頃の野菜の悲しいほどのまずさは、どういうことかしら」と書いています。本当にある時期に日本の野菜がまずくなったのです。まずいというか「味がない」んです。「味がない」野菜ばかりになりました。私はそれを覚えていてどう料理しても肝心の元の野菜の味がしなくなったのを覚えています。サラダとか野菜を切ってドレッシングなりマヨネーズをかけるだけです。おひたしにしてもゴマ醤油とかで仕上げるのですが、お漬物にしても塩分は足すのですが、そのもともとの野菜に味がしないことが私には気になっていたのです。どうしてもうまくならないので当時悩んでいたのです。見た目はキレイです。でも味がないのです。

 

和食の料理人の方はしょっちゅう包丁を研ぎます。私は気が付いていなかったのですが年長の女性が「良い包丁を買ったらお刺身が立つの」と驚いていたので私も良い包丁を買いました。熊本に川尻(かわしり)という町があって、そこは職人さんがいる町です。そこに川尻包丁というものがあって自分で研げなくても川尻の町にいけば職人さんが研いでくれるのです。川尻包丁を私は買ったのです。最初は切れすぎるので怖かったのですが。包丁の重さだけで切れるような良い包丁なんです。

 

でもある時期以降の野菜に「味がない」です。私も感じたんです。明確に覚えています。80年代だったと記憶していますが、野菜に本当に「味がなくなった」のです。あれは何なのでしょうか。

美人がホラー映画に必要なんですね  佐伯日菜子さん美人女優で頑張ってください 応援しています

私は知らなかったのですが木村佳乃さんがホラー映画で貞子役をされていたそうです。NAVERの記事が良かったです。歴代貞子役を超キレイな女優さんを演じています。

以下にコピペします。

 

matome.naver.jp

 

怖い貞子をキレイな女優さんたちが演じているのです。写真はすべてNAVERの記事よりです。

 

三浦綺音さん↓

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竹島由夏さん↓

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伊野尾理枝さん↓

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宮崎紀彦さん(女優さんではありません。撮影助手をされていたそうです)↓

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白井ちひろさん↓

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佐伯日菜子さん↓

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中谷美紀さん↓

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土田芽吹さん↓

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木村多江さん↓

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矢田亜希子さん↓

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及川麻衣さん

 

須藤理彩さん↓

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仲間由紀恵さん↓

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古谷千波さん

 

ペ・ドゥナさん

じゅよんさん↓

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デイヴィ・チェイスさん↓

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ケリー・ステイブルスさん↓

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橋本愛さん↓

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全員がキレイなんです。美人なんです。「貞子」役の女優さんが全員美人なんです。ホラー映画には美人女優が必要なのでしょう。

 

原作が好きだったので見たのですが「毎日が夏休み」という大島弓子さん原作の映画があります。

 

毎日が夏休み (あすかコミックス)

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毎日が夏休み デラックス版 [DVD]

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佐野史郎さんと娘役をやった女優さんがキレイだったのです。佐伯日菜子さんです。ウィキによれば佐伯日菜子さんはこの映画でデビューされたようです。

 

この話の設定がとても面白いのです。佐野史郎さんが演じるお父さんが一流企業に勤めていたのですが家族に内緒で会社を辞めているのです。佐伯日菜子さんが演じる娘さんは学校でイジメられて「もう学校にはいかない」と決めているのです。二人ともお弁当はもっているので、公園で二人ともお昼を食べるのですが、公園で二人が会うのです。

そして「お父さん何してるの?」「お前は何してるんだ」という事になって二人の夏休みが始まります。お父さんが頭が良いので娘さんの学校で学ぶことは教えます。夏休みを漫然と送るのも違うという話になって「じゃあ商売でもしよう」という展開になってゆきます。

 

今この記事を読んでいる人で何らか理由で働いていなくて、なおかつ余裕があるのなら「今は夏休みなんだ」と思って気楽に過ごしたほうが良いです。生活するためにはお金が必要なので「会社員になる」とか「働きに出る」とかではなくて「お金さえ稼げたらいい」と思いきることが出来ればなんとかなるものです。「お前が言っていることはあまりに気楽すぎる」と思ったと想像します。でも要は「お金さえ稼げればいいのです」。それが「商売」でもアルバイトでも必要なのは「おかね」ですよ。

 

ある時にこの映画と佐伯さんのことを説明するときに「あの人はキレイすぎてホラーにいった」という話をしたことがあります。

 

映画「らせん」で佐伯さんが山村貞子を演じているのです。佐伯さんも貞子を演じています。

 

 

らせん

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らせん (Blu-ray)

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「らせん」は本当に怖い映画でした。でも佐伯日菜子さんは本当にきれいなんです。今でもおきれいです。結婚して離婚されたようなのですが。私は佐伯さんはまた美人女優で頑張って欲しいのです。影ながら応援しています。

 

昔のハリウッド映画なのでしょうか。今のオジサンオバサンは知っているのですが、怖いシーンで美人女優が「キャー」っと叫ぶシーンがパターンとしてあったのです。あまりにもパターンすぎて笑うくらいパターンだったのですが、その女優さんが決まって美人なのです。

 

私には理由がわからないのですが美人がホラーには必要なのでしょう。全員美人ですから。

 

佐伯日菜子さん、私は応援しています。美人ですから。今でもおきれいです。

今ただ無料ブログをやっているだけなのですが バズる バカの定義

バズるとは

 

検索結果

バズる 特定の単語や物事がインターネット上で爆発的に多くの人に取り上げられることを意味する語。 TwitterFacebookなどのSNSで急に話題となった時に用いられることが多い。「 口コミ」という意味のマーケティング用語「Buzz」を動詞化したものと思われる。
バズるとは - 日本語表現辞典 Weblio辞書
www.weblio.jp/content/バズる

 

著名人のSNS上等での発言が炎上することがあります。もちろん非難です。だとしてもあれはバズったといえると思うのです。私は無名ですが、ある日このブログはバズる気がします。

 

最初は全員ド素人

最初からできる人は一人もいません。私も無料ブログを書きつつ先輩方の記事を読んで「ここはこうするんだ」と一つ一つ覚えて、それを自分の記事に反映させています。こういうことが出来るひとは当然伸びるはずです。「どうすれば読みやすくなるんだろう」とか考えているからです。そして諸先輩の記事を読んで「これって見出しを使ってあるから読みやすいんだ」と覚えていくのです。私がブログの書き手ではなかったら覚えられなかったと想像しています。でも自分でブログを運営しているので、「この記事の書き方の方が読みやすい」ということがわかりますし、それを自分のブログに反映させているのです。だから最初の方の記事は今から思うとお恥ずかしいものです。

 

やりながら覚えてゆく

 

実践」がやはり重要です。「十分勉強してから始めよう」と思うといつまでたっても始めることはできません。「やりながら」覚えてゆくのが一番いいと思います。前に和食の料理人と話をしていて、「なるほど」と思ったことがあります。彼は経験的にたいていの和食の基本はわかっているのです。そこの料理学校を卒業して意気揚々と来るひとが迷惑だと言っていました。例えばお吸い物の塩分は1%なのです。それを言葉にして言われるととても不愉快だったと語っていたのです。こういうことをされると先輩は不愉快なのです。彼が「経験的にわかっていること」でしかないのですから。

 

たとえばレイアウト

 

この記事のレイアウトは諸先輩方が記事を読んで「見出しがあった方が読みやすいな」と私が思った(感じた、考えた)から見出しをいれたレイアウトにしています。あるいは「色を入れると記事がうるさくならないかな」と思いながら色をいれています。こういうことを繰り返して物事を覚えてゆくのが普通だと想像するのです。ある日「そこはどうするんですか」と聞かれた場合に私が答えられない可能性があります。それはその時にはその事があまりに当たり前すぎて考えていない状況である可能性が高いからです。たとえば「どうやって歩くんですか」と聞かれると答えられないですよね。あまりに当たり前にしていることのやり方を質問されても答えられないですよね。でもそういう風になっていることを「覚えたこと」と呼ぶはずです。

 

バカとはフィードバックできないひとのことです

 

バカというとても失礼な言葉を使います。フィードバックのウィキをコピペします。

 

フィードバック(feedback)とは、「帰還」を意味し、ある系の出力(結果)を入力(原因)側に戻す操作のこと。古くは調速機(ガバナ)の仕組み[1が、意識的な利用は1927年のw:Harold Stephen Blackによる負帰還増幅回路の発明に始まり、サイバネティックスによって広められた。システムの振る舞いを説明する為の基本原理として、エレクトロニクスの分野で増幅器の特性の改善、発振・演算回路及び自動制御回路などに広く利用されているのみならず、制御システムのような機械分野や生物分野、経済分野などにも広く適用例がある。自己相似を作り出す過程であり、それゆえに予測不可能な結果をもたらす場合もある。

 

あなたがあることをしたとします。ある時にはうまく行きます。ある時にはうまくいきません。そういう事を自分にとりこんで「じゃあこうした方が良い」と結論を出すのです。もちろん私自身にも経験があるのですが何をどうしてもうまくいかないこともあります。そういう事だって当然あるのです。

 

こういう場合は人のせいにした方が楽です。そういう時期はあって構わないと思うのです。でもそこにいつまでもいると成長できないのです。

 

ある友人が同じ失敗を繰り返して本人が苦しんでいます。「同じ失敗」なのです。そういうことをするには何かの理由があるのかもしれませんが私にはわからないことです。本人がそれに気がついているのかどうかも不明です。ただ彼がその事をあまりに長期間繰り返し本人が変われないのであれば友達ではなくなるかもしれません。友人としてその姿を見るのはツライことですから。

 

あるいはある職場である人が自分より若い人にいろいろ語っていました。ただその人は仕事ができないのです。その人の話を喜んで聞く人は一人もいませんでした。その人はフィードバックできない人でした。同じ失敗を何度も繰り返しますし、一二度は指摘したのですが、その後はご本人に聞く耳がないんだということがわかったので私も含めて誰もそのひとに注意する事はなくなったのです。

 

だからバカっていうのは能力があるとかないの問題ではありません。自分の失敗や成功た周囲の反応を自分に取り込む事が出来ないひとがバカです。

 

「素直さ」が大事だというのは「人の言う事をなんでも聞きなさい」という事ではありません。フィードバックしなさいという事です。今すぐフィードバックができなくてもかまいません。いつかはフィードバックできるようになりましょう。

不労所得って普通にあるんですよね 生活保護は大問題なのですが

私は長々貧乏したので、自分が基準だったんです。

 

そういう基準でしかなかったので、貧乏が普通だったのです。

 

でも普通はやはり違っていました。事情がある人たちとはいえ働かないで食べている人たちが死ぬほどいます。

 

本人たちは事情があるからと思っているのですが「働いていません」。

 

お金になる、ならないは別問題です。

 

お金になる、ならない以前に働いていない人たちが死ぬほどいます。

 

まったく悪くありません。

 

でも働いていなし、働いた経験もほぼない人たちです。

 

普通に「仕事がない」とかいうのですが職安に行ったことはほぼないような人たちです。

 

山のようにいます。

 

 

あるひとは店をやっているのです。

 

でも赤字です。

 

赤字の店を開けるくらいなら店をたたんでボーッとしていた方がましです。

 

でも親御さんのお金がある家なので平気なのです。

 

家族で商売をしているといっても本人は何もしていなかったりします。

 

小遣い程度稼いでいるだけなのに結婚したりするような人たちです。

 

本当に暇つぶしで必死なひともいますし。

 

そういうひとが死ぬほどいます。

 

あの人たちは生活の下支えみたいなものが強靭なんです。くずれない「下支え」がある人たちです。

 

あれだけ強靭な生活の下支えがあれば生活保護は必要ないのでしょう。

 

うらやましい限りです。

 

不労所得は普通にあります。

 

ウチは本当にカネがなくて、一頃生活保護を受けていたのですが、セーフティーネットが本当にない状態でした。

 

実際コッチはなんとかなっているんだけれども実家がまわってないと思って生活保護費の中から金を工面して実家に仕送りしていました。

 

ある友人はヒドクて生活保護うけてながら実家から小遣いをもらってパチンコを打っていたんです。

 

でもこの二人は今普通に働いて税金を納めています。

 

これが私にはわからないところです。生活保護者が多いのはもちろん問題です。

 

しかし生活保護を一定期間受けて普通に働きだすひともいます。

 

でも生活の下支えが強靭なのであんまり働く必要性がないので事情があるせよ働かないひともいます。

 

国の収支上どちらが好ましいのでしょうか。

 

仕事をして来ても、良い年金に入っている人であれば何等かの問題が発生しても普通に暮らせます。でも良い年金と縁がないと現代日本ではすぐ生活保護を受けるほかないのです。

 

もちろん家族や親せきが面倒を見てくれることもあるでしょう。でもそういうケースがどんどん減っているはずです。私自身も家族がお金の面であまりにも重かったのです。私が言う家族とは私の両親のことです。変な話し両親がもっと早くに亡くなっていればお金の面で私はずっと楽でした。でもオヤに早く死んで欲しいとも思えなかったのです。介護離職も他人事ではありませんでした。母親に問題がおきたときにもケアマネジャーと二人で走り回ってなんとかしましたし。たまたま私に介護の知識や人脈があったからできたことです。介護の知識や人脈がなかったらお手上げ状態に陥るほかなかったはずです。

 

こういうことを情とかそういう事ではなくて、国の収支上どうなのかという冷めきった視線で考えてほしいのです。

 

もちろんそんな冷めきった視線だけではダメです。一つはそういう冷めきった視線が欲しいのです。私にはそんな冷めきった視線は持ちえませんから。

 

知らないふりは良いのですが パスはやめましょう

会話上のパスを出してくるひとがいます。それが私にはわかるので乗りませんが。

 

それってたとえば料理の話をしていてナツメグという香辛料があるんですよ。ナツメグは肉の臭い消しなのです。自分が覚えていても「あの肉の臭い消しが、なんだったかな」と降ると料理を普通にするひとが「ナツメグ」というのです。

 

これはパスです。

 

知らないふりは良いと思うのですが、こういうパスを出す知人がいるのです。

 

これは私ももうしないし、やめたほうが良いと思います。

 

知らない振りは構わないと思います。

 

でもこのパスはやめましょう。

 

もうやめていいですよ。

 

やめるべきです。

あの発想はケガレだったもかもしれない 「暗闇祭り」

 

現代霊性論 (講談社文庫)

現代霊性論 (講談社文庫)

 

 

内田樹さんと釈徹宗さんの「現代霊性論」を再読しました。靖国神社の問題があります。稲田防衛相が参拝されたそうです。

 

news.yahoo.co.jp

 

この問題は私ごときは解読できません。ただ靖国神社がなんらかの意思表示をしなければならないような状況に立ち至っているのです。靖国神社がなんらかの意思表示をしなければならないような事態になっていることこそが問題なのです。

 

そこは言及しません。

 

釈先生みたいな方におまかせします。

 

イヤな記憶なのですが1995年にオウム真理教地下鉄サリン事件がありました。イヤな記憶です。日本中がおかしかったのです。そういうことを普通にいう人がいくらでもいたようなのですが「アイツは麻原彰晃と対談しているから問題外だ」とかいうひとがいたのです。人がなくなっているような事件をそういう人は娯楽ととらえているとしか思えなくて心底不愉快でした。

 

釈徹宗先生の話を読んで「あれはケガレの発想だったのかもしれない」と考えるようになりました。

 

民俗学の研究だと思うのですが日本では「ハレ、ケ、ケガレ」の三種類の状況をあると考えるのです。

 

「ハレ」と「ケガレ」は非日常です。

 

「ケ」が日常です。

 

「晴れ着」というのは特別な日に着る服のことです。

 

「ケガレ」はもともとは気枯れというエネルギーな枯れた状態や毛枯れという農作物か枯れた状態だったらしいのです。

 

釈先生の話を聞いて「なるほど」と思ったのですが、日本では「ケガレ」はうつるのです。(概念上そうだということです)「蝕穢」(そくえ)という考え方があると釈先生は指摘されています。これは「触ると穢れがうつる」という考えかたです。

 

麻原彰晃と対談したからアイツはダメだ」という発言には「麻原彰晃はケガレていてあいつの側にいたアイツもケガレているんだ」という発想があったと想像しているのです。別に麻原彰晃と対談しかからといって本来格別の問題はないはずなのですが当時はそうではありませんでしたから。

 

ついでに書くとこれは保守とかリベラルとかはまったく関係ないのでぜひやって欲しいことがあります。「暗闇祭り」です。季節が良いことですから春と秋に一回ずつで年に二回です。計画停電です。夜の6時から翌朝の6時まで警察・消防・電話以外の電力を停めるのです。病院、医療機関は別です。日本中を真っ暗にします。危険なようですがドロボーしようと思っても真っ暗なのでできません。凶悪事件も真っ暗なのでできないくらいの「闇」を日本中に作るのです。これは「ハレ」の日です。そうとういろいろなことを許します。この「暗闇祭り」は日本全体にとってとてもいい祭りになります。犯罪は減るでしょう。これは「祭り」です。「祭り」なのです。昔の大晦日にそういう要素がありました。普段子供は早く寝るのですが大晦日は逆に子供が起きていても良いし、むしろ起きているものなのだと考えられていたのです。そういう日を作ることにはそれほどのお金は必要ありません。しかもワールドカップなみの盛り上がりを見せるはずでう。なおかつ日本中が平和になるのです。ぜひやって欲しいのですが。

 

「暗闇祭り」を実施しましょう。日本中あかるすぎます。

DOとかBEとかなんとかしましょう 理屈はどうでもよいのです

「言う」人たちがいます。本当に「言う」人たちです。「言うだけ」の人たちです。もうそういう人たちの相手はしません。疲れたのです。

 

「言う」のは簡単です。素晴らしいことをおっしゃる皆さんです。

 

ただ本当に「言うだけの皆さん」です。

 

「ああ言えばこう言う」のです。

 

「行動がすべて」ではありません。

 

「あること」も重要です。

 

でも「しない」し「自らを変えること」もイヤな皆さんです。

 

もう私は本当にかかわりになりません。

 

疲れました。

 

「いうことは立派」なのです。

 

でも「していることがひどい」皆さんなのです。

 

「あること」は別に良いのですが、「自分を変える」気がないようです。

 

結果「あること」もひどいことになっています。

 

本当に言うのは簡単です。

 

でもああいうひとたちは「言うだけ」の人たちです。