世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

「ついている頭は使いましょう」 あなたはこういう風になってはダメです

技術職の友人は「かます」と言っていました。自分がそれなりの知識や技術があるということを明確に伝えることが彼のいう「かます」ことです。技術職の場合はそういうこともあるのだなと私はおもいました。

 

ある場面で知り合いになったひとに私はちょっとした冗談を言いました。そのひとの冗談のセンスは正直言って「どうんなんだろう」というものでしたが、しょせん私はたいして面白いことがいえるひともありませんし、ただの冗談だったのですが。そのひとは私がちょっと冗談を言ったにしか過ぎないのに私を避け始めました。「かまされた」と思ったらしいのです。私が言ったのはしょせんつらない冗談だったのに。そのひとは50代だと思うのですが、オフィスでPCから音楽を流しながら働いていました。若いひとが音楽を聴きながら仕事をしたいということがあります。そういう場合でもヘッドフォンをします。そのひとはなんか変わったひとでした。この言葉は難しいのですが、ある年齢以上のひとなら当然全員が普通に知っていることをここではかりに「共通認識」と呼んでおきます。「共通認識」がそのひとにはありませんでした。

 

別の場面でそのひとが機嫌を損ねて長々話をしていることを私は実は知っていました。そこは結構えらい人です。そのひとが火災避難訓練が行われることを自分には伝えられていなかったことがイヤだったらしいのです。それはそうなのでしょう。でもそういうことで長々話をする必要などありません。必要性がないです。チャットワークで業務事項をおさえておくこともできますし、そういうことをしなくてもオフィスのホワイトボードをおいて、そこに全員がわかっておくことを書けばいいだけですから。トヨタの「改善」というのは同じ失敗を繰り返す必要はないので、何らかの失敗が発生した場合に、その失敗をフィードバックして、その組織やシステムに変革をもたらすということだと私は想像しています。それは日本の大人の「共通認識」のはずなのですが、そのひとは知らなかったようです。

 

であるとかその職場のあるひとは結構のベテランのはずなのですが、「仕事をしない(つまり業務放棄)」を日常的にしていました。援助関係の仕事のはずだったと思います。ある人のお姉さんが変わっていてご自身は幸せな家庭生活を営んで、それはそのままにして、弟さんにお母さんの世話をすべて押し付けていたのです。

 

援助職であれば、これは簡単なことです。何らかの保護措置や優遇措置を使ってお母さんに良い施設に入ってもらいます。お姉さんにも弟さんにもお母さんにもそういうカタチしかないではないですか。介護離職をされては困るのです。援助職ならそういう決断をして弟さんを説得するのは当然です。「あなたがお母さんの犠牲になるのはおかしいから」と説得するものです。でもそのひとはそのして当たり前のことはまったくしていなかったようです。そしてするべきではないことは山のようにしていました。そのひとは朝から「朝礼」なるものをしていたのですが、それは「朝礼」ではなくて業務連絡でした。「朝礼」にそのひと本人が遅刻することが多々ありましたし、そういうことなら「朝礼」など辞めればいいのです。「朝礼」には仕事に入る前に気持ちを落ち着かせるであるとか、会社によっては社員もちまわりで「3分間トーク」をさせて社内の人間関係を円滑にする目的があるからの「朝礼」なのです。そのひとは何十年働いて来たのかしりませんが、(結構いいお年だったのですが)そういうことつまり「共通認識」に欠落がありました。

 

また私はあきれましたが、その弟さんが用があって区役所に行くのに同行していたのです。援助職であればそこは本人だけ行かせるのです。ご本人が心細いとしても先々のことをちゃんと考えれば、そのひとが区役所に行って自分だけで用を済ませられる訓練の意味がそこにあるのです。だから区役所に同行するのは援助職基礎がまったくわかっていないということにほかならいのです。

 

前に書いた「くだらい言葉遊びが知的だと勘違いしている愚鈍なひと」とこの援助者が仲が良かったのですが、当然なのだと思います。

 

そのひとはあるポジションについていました。そのポジションでは面倒なひとの相手をする必要があります。ある感情の抑制がきかない状態を相手を数回して、そのひとは当然のように失敗していました。相手が怒るというか自分で自分の感情の抑制が効かなくなってしまったのです。そういう風にクライアントをさせてはいけないポジションにもかかわらずです。それは業務ミスです。つまりそのひとは「仕事がまったくできない」のです。それは別に構わないのです。仕事ができないということは業務上そこまで問題ではありませんし。あなたはそう思っていないのかもしれませんが、仕事仲間がそのひとが仕事が出来ないという理由でそのひとを嫌うようなことはありませんし、業務上の失敗は仕事をする上では当然あることだからです。誰でもなんでもできる訳ではありませんから。ただそのひとは「業務放棄」を普通にしていました。つまり「給料泥棒」を普通にしていたのです。これは問題です。実際面倒なひとがいくら面倒なひとであったとしてもそのひとは定期的に相手をするポジションにいるにもかかわらず放っておいたのです。面倒だったのか、怖かったのかは私には不明ですが。そのひとは「仕事ができる、できない以前にしない」のです。これは業務放棄ですし、給料泥棒です。また判断ミスがあまりも多いのです。ミスは構いません。誰でも失敗をしますから。ただ面倒ではないひとの相手は死ぬほどするのです。毎日のように。これは援助者としても判断ミスです。援助をするのであれば「あなたのお気持ちはわかるのですが、仕事について毎日誰かに相手になってもらうような仕事場はありません。週に一回では少ないかもしれませんから、週に二回か三回はきっちり時間を取ってお話をうかがいます。そういう風にしていきたいのですが、とりあえず週に二回で一時間ではいかがでしょうか」とプレゼンテーションをするような場面です。しかしそのひとはそういうことはしません。援助者基礎がまったくわかっていないのです。基礎的な事柄がわかっていないので、あまりに異様なミスを連発するひとです。本来なら「学校に入りなおして来い!」といわざるを得ないひとでした。ミスにはいろいろなものがあります。あまりに基礎的なミスの場合に、そのミスがどういうもので、どういう意味があるのかを説明するのが極めて困難になってしまうので、周囲はどうすることも、何かを言うこともできなくなってしまうことが多々あるのです。そういうひとでした。

 

二人は「似たもの同士」なのでしょう。

 

であるとかある精神科のクリニックがいつも混んでいてという話を聞いたのです。あなたは普通だと思ったのかもしれませんが、日本の医療制度では医師が長時間の診療が出来ないカタチになっています。そして精神科であるならば、あるは老人医療に関しても医師よりも場合によってはケースワーカーが重要な場合が多々あるのです。話を聞いてみたらそのクリニックにはケースワーカーがいないそうなのです。それでは結果いつでも混むことになります。あるいは大学での学部や意味合いは大きく違うのですが、カウンセラー2、3人と契約して「長時間話を聞く必要がある患者」にはカウンセリングを勧めると当然精神科のクリニックの混雑は収まるのです。

 

そのクリニックはそういうことをまったくしていないから、結果いつでも混んでいるのです。

 

ホントにあなたは、こういう風になってはいけません。ついている頭は使いましょう。