1、養老孟司「バカの壁」
洗脳という言葉をここで使うのが適切なのかどうか不明だ。
だけれどもフロイドさんのブログを読んで「オレ洗脳されてる」と思った。
前に同年代の友人とそんな話をしていた。そういうことが自分にあったのだ。
「自分は病気してなかったら過労死してたと思うんだよね。しかも喜んで過労死してたとしか思えなくてね」と。
友人は「オレたちは洗脳されてるからね」と言っていた。
養老孟司さんが人気だ。
「バカの壁」もヒットした。
養老先生が「バカの壁」を書いた理由があるのだ。(これはバカの壁には書かれていないが)
養老先生の教え子(?)がオウム真理教にかぶれてしまって麻原彰晃が水中に長くいれることの証人になってくださいと頼まれたのだ。
養老先生は「水中にいれば当然酸素の供給が絶たれるから水中に長く居続けるようなことはありない」と思って断ったらしいのだ。
そしてその学生(の人柄に対してではないのだが)の様子が「気持ち悪く」感じたらしいのだ。
2、ジョージ・オーウェル 1984
- 作者: ジョージ・オーウェル,高橋和久
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1984年はディストピア小説だ。理想世界は「ユートピア」だがディストピアはユートピアの逆だ。
ネタバレは避ける。
1984年(まんがで読破 MD100)でも十分楽しめる。
救いのない話だ。でもこの物語の救いのなさに力がある。
1984年の影響があったのかもしれないが、ある寓話を書いていたことがある。その話はまだ書けてはいないが。
それは「チケット」という話で主人公は気がついた時にはチケットをもっている。そしてそのとてもいいチケットを使うためにガンバルのだ。最初のチケットを使ったら次のチケットを手に入れるためにガンバルのだ。チケットはとてもいいものだから。
この話を暗く終わらせるか明るく終わらせるかで悩んでしまって終わりまでかけていない。
悪い終わり方の方は「もうチケットはいらない」と思って逃げるのだが、手を見るとチケットをやっぱり持っていることに驚いて終わる。
良い終わり方の方は、チケットを捨てて生きる決意を固めて、それに成功する。体はボロボロになっているが、なんとかなると思って終わるのだ。
これは両方とも自分の実体験だと思う。
3、気持ち悪い
養老先生がその学生にたいして「気持ち悪い」と感じたという話を最初に読んだ時には正直ピンとこなかった。
でも古典的な物語だが主人公のよく知っている友人がモノスゴク変わって、しかも話がまったく通じなくなって、その友人が「主人公のことを本当に心配して、本当に考えて、しかもよかれと思って」主人公のことを苦しめたり、殺そうとするという話がある。
この話のポイントはその友人は「よかれと思って」主人公を苦しめたり殺そうとするというところだ。
しかも、その友人は主人公のことを本当に心配しているし、本当に考えいてくれるのだ。
それが悪意だったら話は違う。
そういうことは今の日本に普通にある。私が「その友人」だった時期もあるのだ。
それは怖いだけではなくて「気持ち悪い」はずだ。
今書いてみて「この話はおもしろい」と思ったので書いてはみるが。
今も私は洗脳されてはいると思う。
苫米地英人さんの洗脳や洗脳を解く話を読むと異常に苦しくなっていたのは自分が洗脳されていた時期があったからだ。
今も洗脳は続いているとは思う。
でもそういう物語が浮かぶのは洗脳されて暮らしていた時期があればこそだ。
あのままだったら自分だけではなく周囲にひどい迷惑をかけていたはずだ。
でも自分がいつ洗脳されたのか、どういう風に洗脳されたのかがわからない。
そして誰が洗脳したのかもわからない。
寓話「チケット」はこういう風に終わればいいんだ。