私だってそれなりには「努力」していますし「苦労」も多分しているのでしょうし「不幸」もあったのかもしれません。でもそういうことを「口にしません」。あなたもそうでしょう。そういうことをひという人たちがいます。迷惑です。
例えば「睡眠時間があの頃3時間でした」であるとか元運動部で「元旦しか休みがなかった」であるとか「全国クラス」だったとか「有名大学を出た」であるとかです。
そういう話題は口にするものではありません。
申し訳ないのですが、事実私も睡眠時間3時間だった時期もありますし、仕事で年中無休だった時期もありますし、勉強で全国クラスだった時期もありますし、有名大学は出ていませんが、その程度の学力はありました。
とか書くと自慢話です。そうです。こういう話は「自慢話」でしかないのです。
そして私には元トップアスリートの友人がいて、彼は普通に甲子園に行っていますが、そのことに触れることは基本ありません。あるいは有名大学出身の友人もいますが、彼もそのことに触れることはないのです。
彼らは事実トップアスリートですし、事実有名大学出身です。
でも「それは普通だ」くらいにしか思っていませんし、当然「努力」もしたのでしょうし、「苦労」もあったのでしょうし、場合によっては「不幸」もあったのかもしれません。でも彼らの中で、そういうことは「普通」でしかないのです。私もそうです。
「普通」のことでしかないのです。だから「言う必要性がない」のです。
だから私たちは「言わない」のです。
「言う必要性がない」のです。「普通のことでしかないから」です。
「基準」という言い方があります。「どこが基準なのか」という話です。前にも書いたのですが、私も私の友人も「タール便」が出ていた時期があります。「タール便」は胃潰瘍かガンの症状です。お互い高ストレス者だったのでしょう。その程度のストレスを抱えて働くことは当時の私たちにとっては「普通」でした。そういう「基準」だったのです。こういう「基準」を私たちが誰かに押し付けることはありません。ただお互いそういう時期だったのだろうということだけです。
申し訳ないのですが、「努力」とか「苦労」とか「不幸」の自慢をするひとは「基準が低い」のです。
「自分だけがこのレベルの努力をし苦労をし(場合によっては)不幸を経験した」と「勘違い」してます。それは「勘違い」でしかありません。冗談でそういう自慢をする分には構わないと思います。
そういう「自慢」をしている人たちのほとんどは「努力」も「苦労」も「不幸」もレベルが低いのです。たいして「努力」していないですし、「苦労」もしていませんし、「不幸」も経験していないのです。
繰り返しになるのですが、私たちにとっては「普通のこと」でしかないのです。
あるいは仕事場は仕事をするところですよね。だから私たちは仕事場で仕事をし、仕事の話をするだけのことです。もし「言う」としても「仕事場ではいいません」。違う場所で、違う人をあいてにして、そういうことを「言う」だけです。
そういう人たちがいます。私はひそかに軽蔑して、かかわりを持たないだけですし、あなたもそうしたほうがいいです。
本当に「かかわりを持たないほうが良いひとたち」なのですから。「ハイ、ハイ」と思って聞き流して、ひそかに軽蔑するようなひとたちです。
マジメな話なのですが、「人は人をかえられません」。そうなんです。「人が変えられるのは自分だけ」です。
ですから「あなたが何らかの不満がある場合」に「変えられるのはあなた自身だけ」なのです。厳しいようですが「あなたが変わるほかの道」はないのです。「自分を変える」のです。「自分には自分を変えることが出来る」のです。
これはとても大きな可能性で「自分は自分を変えられる」ことはとても大きな可能性です。
アマゾンのリンクを張っておきますが、脳にも可塑性があります。
世界のエリートがやっている 最高の休息法――「脳科学×瞑想」で集中力が高まる
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脳に可塑性があるというのは、脳にある種のダメージを受けた場合に、訓練で脳を作ることが出来るということです。ですから「脳は絶対ではない」のです。
あなたは自分の「脳」でさえ「変えることが可能」なのです。
場面、場面で「ひとのせい」にしたり、「社会のせい」にしたり、してもまったく構いません。そういう時期を過ごしてもまったく構わないと私は思うのです。ただ、そこは永遠にいる場所ではないということを心のどこかに留めておいて欲しいのです。
また「社会変革」が必要な場面に「社会変革」をおそろかにしてもなりません。
ただ「社会変革」が必要な場合に「社会変革」をするのは誰なのでしょうか。
あなたなのです。
いわゆる「自己責任論」に私は組みしませんが、「自分は自分を変えられる」ことは「事実」です。そして「社会変革をなすのはあなた」なのです。「社会変革」は誰かがやってくれるものでは決してありません。
きれいごとになってしまいましたが、「事実」そうなのです。
こういうことは書くのはイヤなジジイなのですが、私事実イヤなジジイなので書きます。