こういうことはよくある。当たり前のように信じられていることが間違っている場合だ。「村八分」も同様だ。
ここから説明が必要なのだが昔の地域共同体は「公(おおやけ)」の要素ももっていた。それは警察だったり消防だったり市役所だったりだ。これは地域共同体が地域の治安も守っていたし火事が出た場合の消火も行っていたし市役所が今行っているゴミの問題であるとかも担当していたという意味だ。
だから「村八分」という過酷な状況に追い込んだとしても葬式と火事の場合の対応はしたのだ。
私自身家族と親戚と近所のひとの世話になって祖父の葬儀を上げたこともある(それは自宅での葬儀だったが)。その経験の後斎場での通夜と葬儀を経験した。斎場での通夜と葬儀は本当に楽だった。昔の日本家屋はそうとう広い。あれは自宅で(昔の言葉でいう)「お客さん」を開くことが前提だった。
昔の日本社会はどこか「パーティ社会」でもあった。「お客さん」というのはある意味「パーティ」だった。
それぞれうっとうしいものでもあるのだが法事とか結婚式とか葬儀とかとにかく地域共同体がかかわるできごとがそうとうあったのだ。
そしてそういうことをしないで済む「都会」へのあこがれもあったのだ。
ただそういう村落共同体とそこに所属しているメンバーにとっての絶対的な指針がなかったと思う。
「あのひとは心底うっとしいけどね」と言われているひともいたのだがそういうひとを排除するわけでもなかったのだ。
そのひとはもう亡くなったのかもしれないが刑務所に服役して帰ってくるひとを地域がうまく受け入れてくれる仕事をされていたと聞いた。
よくも悪くも「なあなあ」だったのだ。
今の日本社会は全然違う。普通に「絶対許さない」ということがあるからだ。
江戸時代の刑罰に百叩きというものがある。ひどく野蛮だ。百叩きを喰らった後はボロボロになっていたという話だ。でも原始的ではあるが「納得感」はある。ただこれを推し進めると「石を投げつけて殺す」という刑罰もありうるのだ。
今の日本社会では憎悪は飛び交っている。でもリアルじゃないのだ。