世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

サヨナラ 反論するための反論 揚げ足取り

あるひとが「反論のための反論」をしていると思った。

 

物事には筋道がある。

 

「1、自分はこう思う」。これが必要だ。

 

「2、コイツはこう考えている」。これがあったとする。

 

「3、自分の考えとコイツの考えには違いがある」。これがあったとする。

 

そうすると「4、自分の考えとコイツの考えのここはあう」「5、自分の考えとコイツの考えのここはあわない」。 これも生まれる。

 

そして「6、二人の考えを総合してみるとこういう結果になる」に至る。

 

でも彼は「B、コイツはこう書いている」からスタートしていたとしか思えなかった。

 

この場合も「A、コイツはどういうことが言いたいのか」という読解は可能だ。

 

もちろんAの読解が難しくないように書くことは必要だが。

 

発言や文章には前段階がある。それを無視して発言されたものだけや書かれたものだけを問題にして反論したつもりになっている人たちがいる。

 

心底見苦しい。

 

そして話には「その話で重要なポイント」がある。そうではないどうでもいいことをつついて知的なつもりになるのもぜひやめてほしい。

 

もちろんそういうことをするのはそういう人々の自由だ。

 

だけれども私はもうそういう人たちとはSNSでもリアルでもつきあわない。

 

私はそういう人たちとかかわってイヤな思いをすることに完璧に飽きた。

 

アンタらは似たような人たちとそういうことをしていればいい。私はもうかかわらない。