世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

杉田議員のLGBT発言から考える

杉田議員の生産性がないという趣旨の文章が問題になりました。

 

1、結論ありきはやめようか

 

杉田議員の文章は一言でいうとレベルが低すぎるのです。

 

立場を問わずそういうことはよくあります。

 

「結論ありき」なのです。「結論ありき」で話を展開すると訳がわからくなるのです。

 

杉田議員の場合は「LGBT(というよりLGBTの権利運動をしている人々)をぜひとも叩きたい」という結論がまずあって、そのために文章を書いています。

 

そういうことを認めるとしてもちゃんと勉強して書いているのであれば当初筆者が想定いしていた結論が揺らぐのを読者を楽しむこともありえる。だけれども杉田議員の文章はひたすら下品なだけでなんの魅力もありはしない。

 

私は障害を持っていますが「精神障碍者の地位向上を目指す」という結論からスタートした論が時々あるのです

 

そういう論者はたとえばある統計を持ち出して「精神障碍者の犯罪率は低い」とか話を持っていくのです。(たとえばです)

 

「安倍さんを批判する」という結論からスタートしている場合もありますし「朝日新聞を糾弾する」という結論からスタートしている場合もあります。

 

でもそもそもこういう論者はあらかじめ自分のなかに結論があるので論がどうしても歪んでおかしくなるのです。

 

今回の杉田議員の文章も結論ありきです。

 

そのひとがどういう立場であれ「結論ありき」はやめようか。

 

2、ヘイト報道もやめようか

 

そういう言論状況があるので今私は新聞を取っていません。

 

中立的な報道をしてほしいわけではないのです。

 

ヘイトスピーチの問題がありました。事実ああいうことをしてもらっては困ります。

 

批判は必要です。でもそれが保守であれリベラルであれ大手の新聞記事に「憎しみ」を感じることがあるのです。

 

「憎しみ」を英語では「ヘイト」といいます。

 

だとすれば大手新聞が「ヘイト報道」をしているというになります。

 

全マスコミがそうだというわけではないのです。

 

そういうことには完璧に飽きています。

 

ヘイト報道もやめようか

 

3、マナーは尊重しよう

 

たとえば食事のマナーがあります。テーブルにヒジをつかないとかです。

 

日本社会では会釈をしたりオジギをしたりします。名刺交換をする人たちもいます。

 

「そういうことではなくてそのひとの実力が問題だ」という考えもあるでしょう。

 

でもどういう職種であっても気配りができないひとがいくら有能でも職業人としてはダメです。

 

たとえば「このひとのごはんの食べ方はキレイだな」ということは職業人としてとても重要なことです。

 

4、ルールがない状況はないから

 

世の中のありとあらゆるものにはルールがあります。

 

もし今のルールが気に食わないというのであれば(私はそういう人たちは日本社会にそうとういると考えていますが)そういう人たちが目指すことはルールの破壊ではありません。

 

新しいルールの創造です。

 

「デフォルトスタンダード」(結果として事実上標準化した基準)が重要になっています。

 

このことには問題が山のようにあります。

 

でも国際規格がどうであれ良い規格(つまりルール)であれば実質上の国際標準になりうる時代なのです。

 

違う時代状況ならこういうことはありえないのです。

 

LGBT云々というのは勝手だが(たとえば)基本的な人間関係の基礎とその前提になりうる思想を構築し、それを言語を用いて説明し、国際的なデフォルトスタンダードにしているという努力をするのは今の日本で政治にかかわっているものであれば当然の仕事なのです。

 

彼らが信じている基本的な人間関係(それは婚姻や恋愛も含むのだが)のあり方の正当性を主張したいのであればディするのではなく「自分たちの考えはこういう思想に基づいており、こういう合理性があるものなのだ」ということを冷静に丁寧に主張すればよいのであって、誰かや何か(この場合はLGBT)を口汚くののしる必要は最初からないのだ。

 

そのひとがどういう立場であれ自分が実現したい(あるいは守りたい)存在の根拠や優位さを主張すればいいだけのことだ。それがデフォルトスタンダードの実現にもっとも効果的な方法だ。

5、かっこ悪いなることの価値と意味

 

「ディする」ことが時代の流れの中でダサくなっていっています。

 

それは「悪いこと」というより「ダサイこと」(かっこ悪いこと)になってきているのです。

 

前に書いたことがあるのですが「男前」という褒め言葉があります。性別を問わず使う言葉です。

 

「男前」って見た目ではなくて、振る舞い方(たとえば酒の席や食事の席でうまくもてなせることのような)のようです。

 

性別を問わず「男前か男前じゃないか」ということはとても大きな問題です。

 

ネット上でも「その振る舞いは男前かどうか」ということが問題になる段階が訪れています。

 

政治家も財界人も当然「その振る舞いは男前かどうか」がとても重要です。

 

 いろんなことがステップではあるのでしょうが、いろんな言動は記録されていので責任は持つよりほかないでしょう。

 

たとえば酒の席で問題を起こしたひとに言葉としては「あれは酒の席のことだったから」とはいいます。でもだからと言って多くの人たちはその件を忘れたわけでも許した訳でないものだというイヤミは言っておきます。

 

6、杉田議員の発言内容だけを問題にしている人たちは心底バカだね

 

今回の騒動は今の日本の問題を表している。発言内容以上に杉田議員のたたずまいや振る舞いやニュアンスやセンスが問題なのだ。

 

たとえば「杉田議員はそんな意味で生産性という言葉を使っていないではないか」というバカがいるのだが、こういう話題にも関わらず「生産性」という単語を選ぶような杉田議員のたたずまいや振る舞いやニュアンスやセンスが問題なのだ。

 

別に楽な恰好で近所のコンビニに行くのは全然かまわないけれども、それなりの場所に行く時はそれなりの恰好をしていくものだ。

 

別に立派な場所であったとしてもTシャツとジーンズでも別に構わないといえば構わない。

 

立ち居振る舞いのコードっていかルールみたいなものがさっぱりわかっていないひとは仕事が出来ないひとでしかない。

 

そのひとの考えや勉強や思想や、つまり中身がどうであれ、職業人としては失格なのだ。

 

「あの言葉をこういう意味で彼女はつかっている」というようなことだけを問題にしているような人たちは「自分は仕事がまったくできません」と大声で言っているようなものだ。

 

日本中に本当に仕事が出来ない人たちが本当に多いようだ。