世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

ニュースキャスターって「まいあさラジオ」の形式で良いと思うんですよ 「教えてもらうプロ」

まいあさラジオはNHKで朝5時からやっているニュースを中心とした番組です。

 

この番組を担当しているアナウンサーがよく言うのです。(この番組はスペシャリストがよく出演するのですが)

 

「教えていただきました」と。

 

どんなひとであっても「専門分野」があります。私の専門分野は「世俗のこと」と「抽象的なこと」です。

 

そもそも「なんでも知っている必要性はない」のです。

 

だいたいグーグル先生以上にモノを知っているひとはいないはずです。

 

「ひととしても安定感」があればニュースキャスターは「教えてもらうプロ」になればいいはずです。

 

だいたい知識を見せびらかすのはみっともないことです。

 

私は若いひとから褒められたことがあります。

 

「土本さんのインプット力はスゴイですね」と。

 

私はたぶん精神的に「おとな」です。でもある種の「成熟感」もあるのかもしれません。

 

「私に見ていて欲しい」という態度を取られたことや「私に見られていること」で安心感ももったひとも複数いるのです。

 

でもインプットはします。しかも「自分のいいように変えないでインプットする」のです。

 

ある若い女性に心底腹が立ったことがあります。

 

私がその時に「成熟」といったのです。彼女はあえて「成長」と、私の言葉を訂正したのです。

 

彼女いわく「死ぬまで成長」なのだそうです。

 

ですが彼女は私の言葉を、ことさらに訂正したのです。ということは彼女には「成長の意志がない」のです。

 

成長を違うアプローチで考えると「変化」です。

 

彼女は「自分の変化を拒むひと」でした。私がある件で彼女の失敗を(二人だけの時に)指摘したことがあります。(あえて皆の前ではしなかったのです)

 

彼女は「言い訳」をして「ひとのせい」にしました。明らかに彼女のミスだったのですが。

 

そういうひとは当然「変化」も「成長」もしません。自分のつまらない見栄にしがみつういて生きていくのでしょう。

 

こういうことに年齢や性別は関係ありません。

 

私は教えてもらうことが若い頃からずっとうまかったのですが、彼女みたいなひとは「教えてもらうのがイヤ」らしいのです。

 

そうなった瞬間にそのひとの成長はとまってしまうのですが。

 

私は観ませんが討論番組がありますよね。

 

討論番組で「その考え良いですね。私は考えを変えます」というひとがいません。

 

「私」と「私の考え」は違います。

 

「自分の考えが変わらないひと」はバカです。

 

全コラムニストがコラムの出版を嫌います。理由は「考えが変わっているから」なのです。

 

今私はこういうことを書いています。でも当然「考えは変わる」のです。

 

二回目ですが「考えが変わらないひとはバカ」です。

 

「教えてもらうことがうまいひとは優秀」なのです。