世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

グレー(灰色)な世界の必要性 プロアスリートの世界、芸能界

伊丹十三さんが警察で暴力団対策をやっている女性を主人公にした映画を撮りました。その映画の出来栄えに関してではなくこの映画の考え方について当時いろいろな考えがあったのですがその時に私の考えも不明確なままでした。

 

その後(ああいうことにはなったのですが)プロ野球の選手かプロ野球の世界にはいろうとしているひとが性犯罪を犯す事件があった時に清原さんが「そういうヤツこそプロ野球の世界にいれるべきなんだ」と発言されていたのです。その時にもまだ私の考えは不明確でした。

 

ただ木村太郎さんが芸能界は犯罪者にたいしてあまりにも甘いという趣旨の発言をされているのをよんでやっと考えがまとまりました。

 

暴力団という存在はマフィアとはおそらく違うのです。チンピラと呼ばれる人たちには無知なひとがいます。そういう理由で「あのひとはいい年をしてチンピラをやっている」と悪口を言われるのです。

 

でも暴力団である程度以上の立場の人たちは「法律」にとても詳しいのです。たとえば「この言葉を言ったら恐喝にあたる」とか「この映像が残っていたら自分は逮捕される」であるとかです。

 

私はサービス業をやってきて何回か店員を土下座させるという事件がありましたがあの事件の前に同じくサービス業をやっている友人と話をしていたのです。

 

彼が「怖いひとが店内で大声を出して怒鳴り始めたらどうする」と聞いたので私は「その場で土下座するよ。裏にまわったらダメだし。その場でオレが土下座しえているということはオレがほぼ恐喝を受けているということだからわかっているひとなら逃げちゃうから」と答えたのです。

 

店員を土下座させることがどういう罪に当たるのかは不明ですが理由はともかくそういうことを客がさせればその客は法的処分を受ける可能性が大です。

 

だからそういうことが分かっているひとであれば逃げるのです。でもそういう事件が何回かあったということをそういう知識がない人たちがそうとういるということなのでしょう。

 

(この主語は本来使ってはいけないのですが)人間だれもがどこかに「自分でもよくわからない暗がりのようなもの」をもっています。それはおそらく誰もがそうです。

 

そういう「暗がりを持っている」からといってそういう「暗がりに基づいた行動」をすると法に触れる場合があります。

 

昔つきあいがあった男性が彼はいわゆる性風俗でチカンプレイをしてみたいといっていたのです。

 

性風俗の問題も私にはなんともいえない世界です。

 

ただいわゆるAVが普及して性犯罪が減ったという話は聞いています。

 

たとえばAVにレイプ物といわれる暗い世界があるのですが実際に女性をレイプするのは当然犯罪です。しかしレイプ物のAVを観るのは犯罪ではないという意味で性風俗も(売春は本来違法なのですが)AVもグレー(灰色)の世界だということは可能です。

 

誰もが「暗がり」を抱えているとするならばその「暗がり」とともに生活する必要があります。

 

自分がもっている「暗がり」をある世界の人たちが実際にやってくれると世間一般の人たちはそういう報道に触れることで自分が持っている「暗がり」と折り合いをつけることができるはずです。

 

そういう世界の人たち全員がそうではないのですが「プロアスリートの世界」や「芸能界」のひとたちがするある種破天荒なことに接して世間一般のひとたちが自分が抱え込んでいる「暗がり」とうまく折り合いをつけることができるという意味でプロアスリートや芸能人のある種のスキャンダルは社会の安定に寄与していると私には思える(考えられる感じられる)のです。

 

私は基本テレビを観ませんし芸能人のスキャンダル情報にも疎いのですが。

 

私の場合は小説でひどく残虐な話も読んでいます。たとえばスティーブンキングの小説であるとかドストエフスキーであるとか。

 

私の場合はそういう小説を読むことで「自分の暗がり」と折り合いをつけているのでしょう。

 

誰もが「暗がり」のようなものを抱えていてそれを折り合いをつけながら生活をする必要があるとするとある種の違法行為や不道徳な行為に私たちは定期的に接する必要が

あります。

 

今の日本で多くそれを引き受けているのは芸能人とプロ野球選手のようなプロアスリートなのだと私は考えているのです。だから芸能界やプロアスリートの世界が犯罪にあまいことは事実そうだとしてもそういうことは日本社会全体の安定に寄与していると考えざるを得ません。

 

そういう構造がある以上芸能人の犯罪に芸能界があまいのは日本社会全体の安定を考えてみると必要なことだといわざるを得ないのです。