世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

宗教ってそうとう大きいですよ 誰にとっても 「死」とか考えようか

原始キリスト教がそうであったのかどうかは不明です。

 

ただキリスト教のある種の原理として「子をなさないセックスはすべてダメだ」という考えがあるのです。

 

この原理に従うと

 

マスターベーション

・避妊

・人工中絶

・同性愛

 

はダメになります。

 

バチカンはいわばキリスト教の総本山なのでそういうところは「どうしても押し通さなくてはならない部分」と「時代とともに変化していくことを受けいる部分」の両方が必要です。

 

現実問題としてマスターベーションも避妊も人工中絶もダメだという主張には今の世界においてはそうとう無理があります。

 

確かにバチカンの法王の判断には人道的見地も含まれていたはずです。

 

ですが「子をなさないセックスはすべてダメだ」という原理原則にあまりに固執することの方が現代社会では危険性があるのかもしれないという判断もあったはずです。

 

ジェレド・ダイアモンドさんが(こういう言い方に私は抵抗があるのですが)未開社会の女性について書こうとされたことがあったらしいのですがあまりに女性の地位が低いので辞めたという件があったらしいのです。

 

ある集団を維持するためには女性の数が重要になります。

 

男の浮気はどこか許されるのに女の浮気に世間が厳しいのもこの理由によるものだと私は考えています。

 

日本には世界史上類をみない一夫多妻のシステムがあります。「大奥」です。

 

そういう漫画も映画(?)もあったのですが逆大奥は存在しません。

 

男性が複数の女性と関係を持つと出産の可能性が上がります。

 

しかし女性が複数の男性と関係をもっても出産の可能性はたいしてあがらないのです。

 

人類学の研究で女性が「贈与」の対象になっていたことが明らかにされています。

 

これが男ではダメなのです。

 

女性の絶対数があればその集団に子供が産まれる可能性が上がるのですが男性の絶対数が増えても子供が生まれる可能性はたいしてあがらないのですから。

 

というようなことを書くと女性たちが激怒されると思うので(これは杉浦日名子さんがテレビでおっしゃっていたことの引用なのですが)江戸の長屋の未婚女性のあり方にも言及しておきます。

 

江戸という街は圧倒的に男あまりの街でした。そういう街だから遊郭も盛んだったのです。

 

そして江戸の長屋に未婚女性がいる場合にはそういうひとは複数の男性と関係を持つことが普通だったようです。

 

江戸という街には女性の絶対数が少ないのですから。

 

そしてそういう女性が子供を産むと(当時は当然DNA鑑定などありませんから)彼女と関係を持ったすべての男性が「あの子はオレの子かもしれない」と思って周囲の大人連中からとてもかわいがられてよく育っていたそうなのです。

 

データ主義という言い方があるのですが印象には残るのだが事実とは異なる数字のイメージが一人歩きしている例があまりにも多いのです。ですから「普通にデータを知って事実を知りましょう」という意味がデータ主義という言い方の背景にはあるのです。

 

これは総務省統計局の人口のデータのコピペです。

第1表   男女別人口 (各年10月1日現在) - 総人口(大正9年~平成12年),日本人人口(昭和25年~平成12年)
                 
Table 1.    Population by Sex (as of October 1 of Each Year) - Total population (from 1920 to 2000), Japanese population (from1950 to 2000)
                 
(単位 千人)             (Thousand persons)
                 
      総 人 口        Total population 日本人人口       Japanese population
 年  次   男女計 男女計
Year    Both sexes Male Female Both sexes Male Female
                 
大正9年 1920 1) 55,963 28,044 27,919           -           -           -
  10年 1921   56,666 28,412 28,254           -           -           -
  11年 1922   57,390 28,800 28,590           -           -           -
  12年 1923   58,119 29,177 28,942           -           -           -
  13年 1924   58,876 29,569 29,307           -           -           -
  14年 1925 1) 59,737 30,013 29,724           -           -           -
  15年 1926   60,741 30,521 30,220           -           -           -
昭和2年 1927   61,659 30,982 30,678           -           -           -
  3年 1928   62,595 31,449 31,146           -           -           -
  4年 1929   63,461 31,891 31,570           -           -           -
  5年 1930 1) 64,450 32,390 32,060           -           -           -
  6年 1931   65,457 32,899 32,559           -           -           -
  7年 1932   66,434 33,355 33,079           -           -           -
  8年 1933   67,432 33,845 33,587           -           -           -
  9年 1934   68,309 34,294 34,015           -           -           -
  10年 1935 1) 69,254 34,734 34,520           -           -           -
  11年 1936   70,114 35,103 35,011           -           -           -
  12年 1937   70,630 35,128 35,503           -           -           -
  13年 1938   71,013 35,125 35,888           -           -           -
  14年 1939   71,380 35,226 36,154           -           -           -
  15年 1940 2) 71,933 35,387 36,546           -           -           -
  16年 1941   72,218           -           -           -           -           -
  17年 1942   72,880           -           -           -           -           -
  18年 1943   73,903           -           -           -           -           -
  19年 1944   74,433           -           -           -           -           -
  20年 1945 3) 72,147           -           -           -           -           -
  21年 1946   75,750           -           -           -           -           -
  22年 1947 4) 78,101 38,129 39,972           -           -           -
  23年 1948   80,002 39,130 40,873           -           -           -
  24年 1949   81,773 40,063 41,710           -           -           -
  25年 1950 1) 83,200 40,812 42,388 82,672 40,514 42,158
  26年 1951   84,541 41,489 43,052 83,997 41,184 42,814
  27年 1952   85,808 42,128 43,680 85,247 41,815 43,432
  28年 1953   86,981 42,721 44,260 86,406 42,402 44,004
  29年 1954   88,239 43,344 44,895 87,652 43,020 44,632
  30年 1955 1) 89,276 43,861 45,415 88,678 43,533 45,145
  31年 1956   90,172 44,301 45,871 89,573 43,974 45,599
  32年 1957   90,928 44,671 46,258 90,327 44,342 45,985
  33年 1958   91,767 45,078 46,689 91,162 44,749 46,413
  34年 1959   92,641 45,504 47,137 92,033 45,174 46,858
  35年 1960 1) 93,419 45,878 47,541 92,841 45,566 47,275
  36年 1961   94,287 46,300 47,987 93,724 45,998 47,727
  37年 1962   95,181 46,733 48,447 94,613 46,430 48,183
  38年 1963   96,156 47,208 48,947 95,580 46,901 48,679
  39年 1964   97,182 47,710 49,471 96,597 47,399 49,199
  40年 1965 1) 98,275 48,244 50,031 97,681 47,928 49,753
  41年 1966   99,036 48,611 50,425 98,443 48,297 50,147
  42年 1967   100,196 49,180 51,016 99,603 48,866 50,737
  43年 1968   101,331 49,739 51,592 100,737 49,425 51,312

 

この数値の最小単位は千人です。このデータによると日本の人口が一億人を突破したのは1967年か1968年です。

 

以下のデータは栗本慎一郎さんの「幻想としての経済」からの引用です。(アマゾンのリンクを張っておきます)

 

 

 

栗本先生の大学院時代の師速水融先生の研究をこの本で栗本先生が引用されています。

 

江戸前期(ということは1600年頃から1720年くらいまでの間)に日本の人口は4倍に増えている可能性があるのです。江戸前期の日本の人口は500万人から1800万人の間だと考えられているようです。

 

8代将軍吉宗が3千万人程度でその後明治6年の3千4百万人という人口統計に至るまでほぼ横ばいです。

 

栗本先生は慎重にこの謎の日本の人口増加については結論は出されていないのですがその後の研究でこの謎がとけているのです。

 

 

はじめたばかりの浄土真宗 (角川ソフィア文庫)

はじめたばかりの浄土真宗 (角川ソフィア文庫)

 

 

この日本史上異常な日本の人口増大は宗教上の理由です。

 

代表が浄土真宗の影響です。昔は避妊の技術も人工中絶の技術もなかったので産まれた赤ちゃんを「間引く」ことは普通に行われていたらしいのですが浄土真宗の倫理観を持った人々が「間引く」ことをしなくなったことが大きな理由なのです。

 

明治にはいって海外に移民している人たちがいます。私の親戚もブラジルに移民していますし前に知り合いだったひとの親戚もカナダに移民しています。

 

一番有名なのがハワイに行った今の広島の人たちなのですが。

 

広島は浄土真宗が盛んなのです。あるいは今の大阪で商売をしていた人たちの中に「近江商人」がいます。彼らは浄土真宗の倫理観で商売をしていたのです。

 

そして浄土真宗一神教的なのです。

 

遠藤周作の「沈黙」という小説があります。

 

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

 

 

 

 

スコセッシ監督で映画にもなっています。これはキリスト教の感覚と日本の感覚の間で揺れた遠藤周作ならでは仕事です。いわゆるキリスト教圏のひとにとっては教会や教団とは無関係なキリスト教の在り方という意味もあるのでしょう。

 

私は「沈黙」に流れている感覚は日本的なのだろうし浄土真宗の信徒で生長の家師友の私の感覚にとてもシンクロするのです。

 

ご利益っていいます。あれを雨の日の雨みたいにとらえるのです。たとえばオチョコで雨を集めるのはコップで雨を集めるのかバケツで雨を集めるのかはそれとも集めないのかは自分次第なのです。

 

私はご利益をそういう感覚でとらえているはずです。

 

浄土真宗は「他力本願」なのですが。私は「自分には光を生み出す力が備わっていないが日光はいつも降り注いでいる」というイメージがあるのです。

 

「沈黙」にもそういう肌触りがあるのです。もっとも遠藤周作は日本と日本人の宗教観にはキツイことをずいぶん書いているのですが。

 

データ主義に話をもどしますが日本の総人口が1億人をこえているのは1960年代以降の数十年間だけです。

 

もし本気で日本の人口を1億人以下にしたくないのなら「移民」を入れるのが最適解だと私は考えています。

 

移民国家アメリカでは普通のことなのですが移民一世は地位の低い仕事につくのが普通なのです。そして二世はそういうところから抜け出すために頑張るのです。

 

これは東京や大阪のような大都会に出て行った地方出身者を思い浮かべればわかりやすいと私は考えています。

 

ただ日本人が外国人に日本語を教えることに慣れていません。移民を受けいるのであれば日本語教育が絶対必要です。

 

そして日本の社会規範のようなものを伝えるためにはこの本が良いと私は考えています。新渡戸稲造の「武士道」です。

 

 

武士道 (岩波文庫 青118-1)

武士道 (岩波文庫 青118-1)

 

 

私はまだこの本は読みかけです。ただこの本を私がずっと読まないでいたのには理由があります。この本のタイトルがイヤだったのです。私が武士道と聞いてイメージするのはハリウッド映画の「ラストサムライ」だったのです。

 

映画「ラストサムライ」も日本人が見るととても面白いのです。どこがかというと映画「ラストサムライ」では渡辺謙さん演じる頼りがいのある重臣をまだ若き天皇陛下が重大な決断を下す時に頼る場面があるのですが「天皇」は「皇帝」や「王」ではないということがわかっている日本人にはその描写に違和感を覚えるはずです。

 

天皇は意味でいうとバチカン法王に近いはずです。天皇バチカン法王だと考えると意日本史がわかりやすいのです。

 

同じハリウッド映画なのですが「ラストエンペラー」は今でいう中国とアメリカやヨーロッパで「皇帝」や「国王」という概念conceptが共通しているためにそこまでの違和感を今の中国のひとが観ても抱かないはずです。

 

話がそれましたが「武士道」という本は新渡戸稲造がベルギーの法学者から「日本では宗教教育を行わないと聞いたのだが宗教教育を行わないでどうやって社会規範やモラルは成立するのかわからない」と聞かれてその答えとして書いた本なのです。

 

新渡戸の答えは正しいかどうか私には判断がつきません。ただこの本にある社会規範やモラルが「宗教によるものではないこと」が重要なのです。

 

余計な話ですが「日本人が宗教に寛容だ」というのは間違いです。これは日本人の宗教論理によるものなのです。

 

これは本居宣長の「神」の定義を今の若者言葉を使って私が勝手に現代語訳したものなのですが日本語でいう「神」とは「やばい存在すべて」です。「やばっ」と思うものは「神」です。

 

それが「良い存在であるとか悪い存在であるとかは無関係」なのです。

 

たとえば「七福神」というめでたいとされるう7つの神様がいますがこの中には外国の神様もいます。

 

日本人の宗教論理を使うとこれを「十二福神」にしてお釈迦様もイエスさまもムハムマッド氏も法華経阿弥陀様にも入っていただくことが可能なのです。

 

そういうことは日本人は日本人の宗教論理上可能なのです。こういう宗教論理を持っているので日本人が宗教に寛容だと勘違いされているだけなのです。

 

事実創価学会が非創価学会員には死ぬほど嫌われています。学会員の友達が宗教上の理由で結婚できなかったと前にいっていたのを覚えています。

 

創価学会は「十二福神」になりづらい宗教体系を持っているから多くの日本人から差別をうけています。

 

まだ霊感商法をやっているのか不明ですが統一教会は私が勝手にいっている「十二福神」にいれやすい宗教体系ですし幸福の科学の宗教体系も「十二福神」に入れやすいのです。

 

日本人の宗教論理に当てはまりやすい宗教体系には日本人が寛容なのだということに過ぎないのです。

 

話を元に戻しますがもし日本が移民を受け入れるのなら徹底した日本語教育新渡戸稲造の「武士道」のモラルの教育が重要になるはずです。「武士道」は非宗教の倫理を説いた本なのですから。

 

 

定本 葉隠〔全訳注〕 上 (ちくま学芸文庫)

定本 葉隠〔全訳注〕 上 (ちくま学芸文庫)

 

 

これは「葉隠」なのですがこの本の中で一番有名な言葉は「武士道というは死ぬことみつけたり」という言葉です。

 

これは私の曲解である可能性がとても高いのですが若い頃に何かの本で読んだ内容に私が影響を受けてしまっているので普通に読めないのです。

 

私の曲解は「人間は誰もが明日死ぬ可能性があるのだから一瞬一瞬をおおきな喜びとともに生きるのは筋なのだ」という意味で「武士道というは死ぬこととみつけたり」と書いているというものです。

 

これは禅の発想だと思うのですが「今ここ」のことだけを考えて生きるのがベストです。ですが誰もが隣の部屋のことも明後日のことも遠い昔のことも考えてしまいます。

 

座禅には「今ここのことだけを考えるトレーニング」という意味もあります。

 

未来悪いイメージに苦しむ習慣があるひとに「あなたが思う最悪の未来を想像してください」と言って「その最悪の時にあなたはどうしますか」という風に考えてもらうということがありうるのです。全員ではないしすべての状況に対応できるわけではありません。でもなんとなく最悪の状況をクリアにイメージしていない人が(実は)多いのです。そういうひとが「最悪の未来」をクリアにイメージすることで楽になることもあるのです、。「葉隠」の死にはそういう意味もある気がしています。

 

 

そういう曲解を長年続けている私にはある本の内容が衝撃的でした。孫引きなので元の文章とは大幅に違う可能性がありますが。

 

あした死ぬかもよ?

あした死ぬかもよ?

 
あした死んでも後悔しないためのノート

あした死んでも後悔しないためのノート

 

 

その本には「あなたは病院のベッドで横になっています。点滴のチューブが手に突き刺さっています。あなたはもうすぐ死ぬのです。あなたはこういう時に何を考えて何を後悔するのでしょうか」

 

私はこの本からの引用を読んで「これって一つの現代の葉隠だ」と思って驚いたのです。

 

今の日本社会は「死を隠蔽している社会」です。立ち合い出産で「誕生」の瞬間に立ち会うひとがそうとういるのに「死」の瞬間に立ち会ったひとも「死」の瞬間に立ち会う仕組み作りもなされていない社会ですから。

 

当然ですが人間誰でも死にます。でも「老けない方法」に関する情報は山のようにあるのに「キレイに死ぬ方法(自殺という意味ではありませんん)」に関する情報は極めて少ないのです。

 

「キレイに死ぬ方法」というと「自殺」という風に話が飛んでしまうのです。ヘンな言い方ですがあなたも私も自殺しなくてもいずれ死にます。当然でしょう。

 

今の日本社会は「死を隠蔽している社会」なのです。

 

引用元が不明確なので書けませんが橋爪大三郎さんの本だった記憶があります。橋爪先生はその本で自分が使っている単語をいくつか定義しています。不明確なのですが「政治を自分はこうとらえます」という風にです。

 

こういうことはとても大事です。

 

 

いきなりはじめる仏教入門 (角川ソフィア文庫)

いきなりはじめる仏教入門 (角川ソフィア文庫)

 

 

釈徹宗先生が宗教の定義を試みています。そして「それは厳密にはできない」とことにはなります。

 

今の人類はホモサピエンスで一つ前がネアンデルタール人なのですが、ネアンデルタールはすでに埋葬をしていたらしいのです。そこから考えると「死と向き合う存在が人類だ」ともいえるのです。別に葬式仏教でいいという意味ではありません。だけれども宗教の一つの大きな意味に死と向き合うということがあるはずです。違う言い方をすると「死と向き合わない存在は人類ではない」ともいえます。

 

もめまくっている靖国神社も戦死者の方と向き合うところです。

 

宗教の中の死と向き合う要素を重要視するのであれば人類と死と宗教というつながりでの宗教が見えてくるはずです。