発達障害という名称自体もおそらく変更されるのでしょう。「障害」という日本語はどこか発達障害にはなじみませんから。
発達障害を抱えているひとの多くは「得意分野」と「不得意分野」が発達障害を抱えていないひとと違うだけである場合がとても多いだけですから。
ただ発達障害の勉強を始めて今私の中で強力にいろいろな過去や今の出来事が解け始めています。
「あれもこれも自分のせいじゃなかったんだ」と納得できているからです。
私が発達障害を抱えているとすると納得できることがとても多いのです。
ある時に私は「これってあっているよね」と思ってあることをいっているのですが相手が許してくれたからよかったもののそのひとはそうとう怒っていました。
あるいは小学校にあがって私は毎朝罵倒されていました。自分でも不思議だったのですがその日学校に持っていく持ち物がどうしても見当たらないのです。当時自分でも謎だったのです。毎朝毎朝普通に学校に持っていくものを自分は失くしてしまうんだろうと思って。
あるいは片づけです。子供の頃からどうしても片づけられないのです。
「もしドラ」で有名になったのかもしれませんが私はドラッカーも発達障害を抱えていたのではないかと疑っています。
ドラッカーの「感じ」がわかるのです。
これはドラッカーがフィールドワークをしていた時の有名なエピソードです。ドラッカーがある機械の前で何時間もただ立っている女性工員に質問しています。
「あなたは何をしているんですか」と。
そうすると女性行員は「私はこの機械のオペレーターなんですよ。私はこの機械が動かないと仕事ができないんです。私ずっと機械の修理係に来てくれるように頼んでいるだけれども来てくれないんですよ」と答えたのです。
この「感じ」が私にはわかるのです。
ずいぶん私が年を取ってドラッカーを読んだ時に私はそうとう驚いています。
私が小学校高学年で「こうするものだ」と決めていたことをドラッカーがより詳細にかいていたのです。
私は小学校高学年の時に「問題はいつも複数あるのだけれども体が一つしかないので問題に優先順位をつける。そして優先順位一位のことだけをする。それが終わるまでは他の問題には手をつけない。優先順位一位の問題が終わってからほかの問題に手をつける」と考えていたのです。
ドラッカーは「優先順位一位の問題は終わった後にまた問題をあぶりだしてまた優先順位を付け直す。そして優先順位一位の問題だけをまたやる」と書いていたのです。
ある種の発達障害を抱えているひとはシングルタスク(一度に一つの問題しかできない)のです。発達障害を抱えていないひとはマルチタスク(一度に複数の問題に取り組める)なのです。
ドラッカーがそういうことを書いているということはドラッカーも発達障害を抱えていた可能性があります。
ただ私は小学校高学年の時にすべてがスムーズに行き始めたのですがそのスムーズさに私はあり得ないほどの恐怖を感じたのです。
そして40年以上の間「わだかまっていて」「こんがらがっていて」「混乱して」「混濁し続けて」きました。
そしてごくごく最近やっと数十年ぶりに何もかもスムーズに行き始めて来ています。
考えも本当に混乱していたのですがその混乱混濁から50歳を越えて抜け出しつつあるようです。
私は本当に発達障害の研究にカネをヒトを使って欲しいのです。そういう人たちの中から次の日本を作り出すひとが出てきます(それが私だと本当にいいのですが)
この全員が発達障害を抱えていたといわれているのですよ。
漱石の「坊ちゃん」の主人公(そういう登場人物を書いたということは漱石にも発達障害の疑いがあります)、野口英世、坂本龍馬、ジョンFケネディ大統領、発明王エジソン、スティーブンジョブスとビルゲイツ(この二人は可能性のレベルですが)、哲学者ヴィトゲンシュタイン
ひとによっては人類の進歩は発達障害を抱えているひとによってなされたといえるというほどなのです。
日本人に多数の発達障害を抱えているひとがいるというのは日本の大きな可能性なのです。