ちょっとウィキってイヤな思いをしたのですが今だにどの作曲家がWW2に協力的だったとかいう記述があったのです。
(そうとうあいまいな記憶ですが)服部克久さんが「オヤジ(服部良一さん)の作風に軍歌があってなかったといっていた」とおっしゃっています。
作曲家は芸術家なのでかならずしも(今の日本でもそうですが)その時の国策に賛成とか反対とかそういうことで仕事をするものではないはずです。
今の日本は「クールジャパン」を押していて「クールジャパン」の代表はアニメなのでしょうがだからといって日本のアニメ監督やアニメ業界が今の日本の国策に賛成しているとはいえません。
だからたとえば「軍歌を作ったから戦争に協力的だった」などという発想はあまりにも愚かです。そういうことで芸術家を批判するようなことはもうやめていただきたいと私は思っています。
一般には「ジャズの服部良一演歌の古賀政男」という言い方をしてこの二人はいわば日本のある時期のポップミュージックの二大巨頭ではあります。
私の世代のひとは嫌いな言葉であったのですがほかにいいようがなかったので「ニューミュージック」という言葉を使っていました。
「フォーク」でもなく「ロック」でもなく「歌謡曲」でもなく「演歌」でもないような音楽で今なら「Jポップ」「Jロック」を呼ぶのでしょうが当時は言いようがなかったのです。
「ニューミュージック」を始めたのはユーミンです。彼女の音楽はフォークでもありませんでしたしロックでもありませんでしたしだからといってアメリカンポップスでもありませんでしたし歌謡曲でもなかったのです。
ただ「ニューミュージック」という言葉はしばらくの間は使われることになりました。
やはり「ニューミュージックなのだ」とされていたのが「さだまさし」さんなのです。
さださんもやはり「フォーク」でもなく「ロック」でもなく「アメリカンポップス」でもなく「歌謡曲」とも違っていたのです。
私はさだまさいしさんは山田耕作の系譜ではないかと考えています。
これはウィキからのコピペですが。
野薔薇(作詞:三木露風)
唄(作詞:三木露風)
歌曲集「AIYANの歌」(作詞:北原白秋) - 「NOSKAI」「かきつばた」「AIYANの歌」「曼珠沙華」「気まぐれ」の全5曲からなる。
からたちの花(作詞:北原白秋)
蟹味噌(作詞:北原白秋)
この道(作詞:北原白秋)
かやの木山の(作詞:北原白秋)
六騎(作詞:北原白秋)
鐘が鳴ります(作詞:北原白秋)
松島音頭(作詞:北原白秋)
中国地方の子守謡(編曲)
ロシア人形の歌(全5曲、作詞:北原白秋)
愛する人に(An die Geliebte、作詞:エドゥアルト・メーリケ)
漁師の娘(Das Fischermädchen、作詞:テオドール・フォンターネ)
紫(作詞:深尾須磨子)
童謡[編集]
赤とんぼ(作詞:三木露風)
兎のダンス(作詞:野口雨情)
お山の大将(作詞:西條八十)
七夕(作詞:川路柳虹)
砂山(作詞:北原白秋)
かえろかえろと(作詞:北原白秋)
酢模の咲くころ(作詞:北原白秋)
ペチカ(作詞:北原白秋)
待ちぼうけ(作詞:北原白秋)
あわて床屋(作詞:北原白秋)
さださんの音楽は「童謡唱歌」の世界を引き継いでいるもので「抒情的」なのです。
余計な話ですが山口百恵さんにさださんは「秋桜(こすもす)」という曲を書いています。私が勝手に当時そう思っていただけなのですが百恵さんは「秋桜(こすもす)」あが当時気にいっていなかった気がします。
当時の百恵さんは谷村新司さんの影響があってシャンソンを聴いていたらしいのです。シャンソンが好きなひとたちに「シャンソンの汚さがいい」という人たちがいます。
秋桜(こすもす)は母と娘の物語なのですが抒情的で「キレイ」なのです。百恵さんは当然女性ですし「母と娘がこんなにキレイな訳がない」という不満を抱いていても不思議はないのです。さらにシャンソンも聴いていた訳ですし。
ただ長い年月を経て百恵さんは「やっぱり秋桜(こすもす)は良い歌だった」と思うようになったようです。
もちろん服部良一も古賀政男もいい曲をたくさん作っていますが山田耕作もやはりいい歌をたくさん残しています。
さださんの日本のポップミュージックの世界での位置の不明確さはさださんが山田耕作のラインの音楽家だからなのだと私はずっと考えているのです。