世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

死刑論議ってまだやってたんだ 「終身刑の導入と死刑廃止の議論はパックのはず」

死刑を存続するのか廃止するのかという議論をまだやっているようです。

 

私は「死刑廃止」と「終身刑導入」はパックで考えるのが筋だと考えています。

 

確か杉浦日名子さんがテレビで発言されていたのですが時代劇で「遠島3年の刑に処す」というは間違いなのだそうです。

 

というのは「遠島(つまり島流し)」は終身刑であったからです。

 

終身刑以外の「遠島(つまり島流し)」はなかったのだそうです。

 

ある場所でストーカーの果てに凶悪犯罪をおかして幸い被害者の命は無事だった事件があったのですがその犯罪者の法廷での様子をみると(すくなくとも私には)「コイツが反省することはない」としか思えませんでした。

 

もちろんそういう凶悪犯罪者であったとしても「反省して罪を悔いる」可能性は否定できません。

 

ただ「反省して本当に罪を悔いる」ことはあくまでも可能性としてしか存在しません。

 

私は今(2017年)に生きる日本人なのですが私の「感覚」では「死刑」よりも「終身刑」の方が重いとしか感じられないのです。

 

そういう日本語のいいまわしがあります。「いっそ一思いに」というやつです。

 

少なくとも現代日本を生きる私にはやはり「死刑」よりも「終身刑」が重いとしか感じられないのです。

 

私の議論のよりどころは不明なのですが多分「凶悪犯罪者が本当に反省して罪を悔いる可能性」が一つの論点になっているようです。

 

その可能性はゼロではありません。

 

でもさっき上げた凶悪犯罪の被害にあわれた女性は心底おびえておいででした。

 

一部マスコミが殺人事件の遺族の方から「死刑にしてほしい」というコメントを取ってくることに私は怒りを禁じえません。

 

お身内をなくされた直後のご遺族の方の心情がそんなに簡単なものであるはずがないからです。

 

もちろん「犯人を死刑にしてほしい」というお気持ちもあるでしょう。だけれども(それがどんな一言であったとしても)身内が殺された方が「一言」でお気持ちをおっしゃることはもとより不可能であるはずです。

 

こういうコメントを取ったマスコミはそういうコメントを取ったという責任があるのですからご遺族の方に10年20年いやもっと長く寄り添うべきでしょう。

 

そしてもう一つの論点は「冤罪」です。

 

警察関係者であれば「冤罪」の可能性は否定できないと感じていらっしゃるはずです。

 

「犯人の反省の可能性」と「冤罪の可能性」をかんがみるとやはり(すくなくとも私には終身刑の方が死刑よりも重いとか感じられませんが)「終身刑」の導入を進めるとともに「死刑」の廃止を進めるのが筋だとしか私には思えないのです。