「知識人」のことを欧米の言葉で「インテリゲンチャ」といいます。それを省略して「インテリ」なのですが。
半端に知識がある人たちは死ぬほど世間で語っています。死ぬほど普通に知識をひけらかしているひとはほとんど知識が偏っているかそもそも知識が足りていない人たちです。
私はどうやらインテリらしく「知識がある」のです。そういう私からみると(わかりたくはないのですが)世間でペラペラしゃべっている人たちの知識の間違いがわかったりします。
でもそこでしゃしゃり出るのも違うなと思っているので普段は黙って流していてこういう場所で発散させているのです。
基本「好きじゃないと何事も続きません」が本人に(たとえば私に)「それが好きだ」という自覚がない場合もあります。あるいは「こんな無意味なことは辞めたいのだが」と思っている場合もあるのです。
ですがここまで私が続けてきていることでたぶん私はご飯が食べられます。
たとえば姜尚中さんの「悩む力」が出版されるはるか昔に私は自分の欲望を押しとどめることがどうしてもできずに悩んでいました。
これはコトバ遊びではないのですが当時の私は「悩みたかった」ので。
そして「悩むなんて意味のないことはとっとと辞めたかった」のですが「悩むような意味のないことにどうしても心惹かれて悩むことをやめられなかった」のです。
考えてみれば私は「悩むことが好きだった」のです。
結果インテリになってしまったのです。
私は好きでインテリになった訳ではないのですが悩むことも考えることも好きだった訳ですし結果としてインテリになるよりほかなかったのです。
お願いだからひがまないでください。