方言なのでしょうか。「半知既(はんちき)」という言葉があります。
「半分既に(すでに)知っている状態やひと」が「半知既(はんちき)」なのですが。
おもえば私は高校生の時にはすでに「半知既(はんちき)」連中に苦しい思いをしていましした。
ネットが一般化して以降なのでしょうか「論破」という言葉が普通に使われているようですが。
「半知既(はんちき)」連中を普通に論破しようと思うと異常に高度な知識や論理を構成する能力が必要になるのです。
私は論破できた場合も事実ありましたがたいてい「このひとがいっていることって全然違うだけれども」であるとか「このひとは誰とかいう思想家の名前を出しているんだけれどもその思想家の考えがこのひとには全然わかってないし」と思いながら流してきました。
世間では気軽に「論破」とかいっているようですが日本は勝負を明解につけてその後「ノーサイド」というお国柄ではありませんから当時の私に「論破が可能だった」としても「この後のこのひととの人間関係に差し障りがでるしこのひとのプライドを自分がいたく傷つけるのもいかがなものなんだろう」とも思っていましたし。
当時の私に十分な知識や論理を構成する力がなかった場合もあるのですが。
これは釈徹宗さんが書いていたか内田樹さんとの対談でおっしゃっていたのですが日本の普通のカレンダーには「友引」とか「大吉」とか書いてありますよね。役所か何かが配ったカレンダーにも書いてあったらしのですが「これは政教分離の原則」に反しているのだというひとがいたらしいのです(そうとうあいまいな引用ですが)。
「私レベルでも論破が可能なほど愚かなクレーム」です。日本で『月曜とか火曜とかあってこの曜日は7個あるのですが、これはキリスト教やユダヤ教の聖書の教えに基づていて「神様が天地創造を始められて7日目に休まれた」という記述にもとづいています。あなたがそんなに宗教性が嫌いなのだとしたら曜日という概念も否定してください』という論破は私にも可能なのです。
私は基本「角を立てる」のが嫌いなのです。
(ここでは女呼ばわりしますが)ある職場である女性に"I don't know"というクセみたいなものがあったのです。それに関してある若い女が何故か私に「ネイティブ的には"I don't know"は違うんですよ。"I have no idea"なんですよ」と超偉そうにいっていました。
そういう場面で「私には英語圏出身のお前がいう英語のネイティブスピーカーの友達がいてそういう連中が"I have no idea"とかいうのは聞いたことないけど」とかいうと私がものすごくイヤなヤツになるでしょう。だから黙っていましたが。
ぺらぱら自分の知識をひけらかしている連中ほぼ半知既(はんちき)」だから。あなたは違いますよね。
あなたも思っていますよね「半知既(はんちき)連中頼むから消えてくれ」と。
私は子供のころから「論理的一過性」や「論理的整合性」がとても気になるひとだったのですよ。