以前につきあいがあった男性はお母さんと二人暮らしでした。彼が働いて家事もやっていたのであるひとが「お母さんにも家事やってもらえば」と勧めていたのですがその時の彼の答えに私はひどく納得しました。
彼は「オフクロとは洗濯物のたたみ方が違うから」といっていたのです。
私自身にひとに家事を手伝ってもらっていた時期に(普通にかんがえればどうでも良いことに)ひどく腹を立てていたのです。
昔の3世代同居の家の嫁姑の争いにはそういう理由もあったのだと納得しました。
家事をしていく中で(しないひとにはわからないとは思うのですが)風呂掃除のやり方とか台所のお手拭きの場所とか洗濯物のたたみ方が違うと自分の人格を否定されたようなひどく侮辱だ感じるのです。
進化上そうであったと私は勝手に想像しているのですが「男は死んでもかまわない」という制度設計がある時になされているはずです。
「男子厨房にはいらず」という言葉があります。厨房というのは台所のことなのですが。
今の日本では地位が低いのだろうし今後の展開は不明ですがいわゆる家事は実はとても重要です。
でも昔でいえば「狩りをするひと」は取り換え可能である必要がかつてはあったはずです。
そこをやるのは多くの場合男性ですから「死ぬリスク」があります。
現代社会の多くではもはや違うのですが「男なる存在は死ぬリスクがある」という前提が男尊女卑につながっているのだと私は考えています。
ヘンな言い方をすると長く人間社会では「男はオプション」であり続けていたのだと私は想定しています。
「戦争」とか「政治」とか事実重要なのですがその重要度は時代が今に近づくにつれてましているのであって古代社会では「誰が王だろうがどういう政治形態であろうが」一般庶民の日常生活にはあまり影響はなかったはずです。
農耕が始まって以降であれば戦争よりも「田植え」の方がはるかに重要ですから。
日本でもシングルマザーはある時期までは普通にいました。当然今もいます。
でもシングルファーザーの一般化は最近のことです。
「男がオプションだ」という考えに基づいて「企業戦士」という考えが存在していたはずです。
「男はオプションだ」という考え方を変えないで女性が働くと社会のひずみが生じます。
私自身ずっと疑問だったのですが女が男なみに働くという前提で「女性の社会進出」を考えるのはずっと違う「感じ」がしていたのです。
たとえば「転勤」です。「男がオプション」だとすれば亭主は転勤してもよいのです。
でも働く女性が(特に子供がいる女性の)「転勤」にはいろいろな問題が発生します。
私は女性が働くこと(それがたとえば会社で)には基本異存はないのです。
ただ女性の社会進出が進んでいる社会は「ベビーシッター」や「お手伝いさん」という存在が普通の社会でしかありえないとしか私には思えません。
今の日本人は「子供が生んだ女性が子育てをする」のが当然だと思っていますがこれはかならずも「当然」のことではありません。
日本でも松任谷由実さんはお手伝いさんに育てられたと発言されていますし太宰治も自分を育ててくれた女性を懐かしんで会いにいっています。
真偽のほどは不明なのですが「三歳児神話」があります。
私自身「あなたがちゃんとしているのは3歳までがよかったからだ」と言われたことがあります。
あるひとがいっててその真偽は不明なのですが3歳までの赤ちゃんが甘える存在は女性でなければならないという説もあるらしいのです。
別に私は女性の社会進出には意義はありません。
でも女性の社会進出を実現するためにはたとえば「男はオプションだから死んでもいいよ」という考え方も変える必要があります。
あるいは「その子を産んだ女性がその子を育てるのは当然だ」という考え方にも変更が必要なのです。
どうやら時代は「大転換期」のようです。
- 作者: カール・ポラニー,野口建彦,栖原学
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