私は攻撃的なひとではないので田中康夫さんみたいなケンカは売りませんが。
世の中には「俗物」としかいえない人たちがいます。
誰の定義なのか明解にしたいので新明解国語辞典第二版を今めくりましたが。
「俗人 1、高邁な理想を持たず、すべての人を金持と貧乏人、知名な人とそうでない人に分け、自分はなんとかして前者になりたいと、そればかりを人生の目標にして・暮らす(努力する)人。 2、天下国家の問題、人生いかにして生きるべきかということに関心がなく、人のうわさや異性の話ばかりする人 3、高尚な趣味に関心や芸術などに関心を持たな人」
「俗物 俗人をさらに、さらに軽蔑していう言い方」
見坊先生の定義なのでしょうか。
実際に私がネットリアル問わず「この人には困る」とか「付き合いたくない」と思うのは「俗人」「俗物」です。
「金持ちになりたい」と願うのは当然です。だけれども1の定義の通りに「そればかり」のひととは私はおつきあいはしません。
ただ私自身長年「仕事バカ」で通してきて本も読まないし映画も見ないし音楽も聴かない時期もあったので3の定義に関してはちょっと判断がつかない部分もあります。
事実「仕事ってこうですよね」という話が通じないひとの方が私には苦手だったりもするのです。
「仕事ってこうですよね」という話には定義2の「人生いかにして生きるべきかという」事柄が含まれていると私は思うのです。
私が一番苦手で嫌いな人たちには定義2が抜けています。「職場の人間関係って大変だよね」とか「お金を稼ぐって楽じゃないよね」という事柄が定義2の「人生いかにいきるべきか」という問題に含まれると私は思うのです。
定義2がなくて高尚な趣味や芸術に関心を持っている人たちがいます。
思想家の内田樹さんはシングルファーザーで子育てをされていたのですがご自身の子育て期間中にはろくに本も読めないし論文もかけなかったのだけれども子育てがひと段落して本を読んでみると「昔は難解すぎてわからなかった内容がスラスラわかって最初不思議に思ったのだけれども思想って生きるとか死ぬとか暮らすとかに関する学問である訳だから実生活で経験を積んだ後に昔難解だとしか思えなかった思想書がわかるのは当然なんだと思った」とどこかに書いていらっしゃいました。
「人生いかにして生きるべきか」ということには「職場の人間関係ってなんだろう」とか「このひとは本当に面倒くさい」ということは当然含まれます。
そういうことを抜きにして「高尚な趣味や芸術に関心を持っているひとたち」がいます。
今も昔もそうです。
そういう人々に「高尚な趣味や芸術」がわかるはずがないと私は信じています。
「人生いかにしていきるべきか」という問題からどこか逃げて「高尚な趣味や芸術」を作っていたり鑑賞しているようなひとをここでは「知的俗物」と呼んでおきます。
田中康夫さんの若き日の姿をもうご存知ないひともいると思うのですが。
「ブランド」であるとか「イタリアン」を愛する「俗物」のように見ていたひとが多かったのです。
ですが私の読みでは「あんたらはあの出版社から本を出したとか何とかっていう賞をもらったとかそういうことで明らかに喜んでいるよね。その意味って成金がロレックスとかメルセデスとかで喜ぶのと一緒でしかないよね。オレはオレックスやメルセデスで喜ぶようなことをあえてするけどそれってあんたらがなんとっていう出版社とかなんとかっていう賞で喜んでいる姿と一緒でしかないわけよ。せいぜいオレを嫌うだね。あんたらがオレを嫌うっていうのはあんたらが自分を嫌うってことでしかないわけよ」というケンカを売っていたのだとずっと信じています。
「人生いかに生きるべきか」ということには「どうやって食べていくのか」という問題も当然含まれるのです。
そこが難しいところで「食べていくためには自給自足ではない状況ならお金が必要になる」のです。
私自身「お金が好き」なのです。
だからといって定義1の「そればかり」なのかと自分で考えてみるとそれは違う気がします。
もちろんお金はあった方がいいのです。
重要な話なのですが(これは吉本隆明さんの考えです)「お金の意味」と「知識の意味」はほぼ同じです。
彼とのつきあいがあまりにツラクて縁を切ったのですが彼が「フランス語と英語の単語が似ている」とかいってある場所で喜んでいたのが私にはあまりに恥ずかしったのです。
お金持ちは「自分は事実カネを持っている以上カネを持っていることを(自分が意識しなくても結果として)見せびらかすようなこともありうるのでそういう配慮をする必要が自分にはあるのだ」とわかっています。
でも「成金」にはその配慮がないのです。
経験上「半端に知識があるひとだけが自分の知識を(配慮なく)見せびらかしている」のです。
そういう人たちは当然嫌わます。当然です。彼らは「知識の成金」だから。
みなさんこういうことは大事なので気をつけましょうね。
はっきり書いてしまいますが実生活で何の苦労もなく日々くらしていて村上春樹さんの小説がわかるはずはありません。
それは頭が良いとか悪いとか以前の問題です。