世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

日本人は精神分裂病だから あなたの日本人なら「自分は精神分裂病なのだ」ということは押さえていてください

精神疾患にだけつかう言葉なのでしょうが「病識」という言葉があります。「自分で自分は病気なんだという認識を持つこと」が病識です。

 

今の日本人には「自分が精神分裂病なのだ」という病識がないのです。

 

精神分裂病は治療可能は病気です。

 

私自身精神を病み自分が精神分裂病なのだ」ということを知った時にはさそど驚きませんでしたがいろいろな本を漁って打ちのめされたのを覚えています。

 

当時は精神分裂病は治らないのが定説だったのです。私は「自分は精神分裂病なのだと自己診断したのは二十歳」なのです。

 

「自分の人生には何もないのか」と思って打ちのめされたのです。

 

ところが森山公夫さんの本を知り呼んで私は驚きも喜びをしたのです。

 

統合失調症―精神分裂病を解く (ちくま新書)

統合失調症―精神分裂病を解く (ちくま新書)

 

 この本には精神分裂病統合失調症という風に名前が変わったのは精神分裂病という病名があまりに差別的だという理由だけではなく「精神分裂病統合失調症)でも治る」という学説の変更があったのだというのです。

 

私が長く「政治には近づきたくない」と思っていたことには理由がありますしそれが故に私には友達がいません。

 

精神分裂病は人格がいわば分裂している状態です。

 

日本の戦後だけに限定しても

 

Aという人格は「南京大虐殺従軍慰安婦問題をおおごとにしたがっている」としか私にはずっと思えない(考えられない感じられない)でいたし今も私はそう思って(考えて感じて)います。

 

Aという人格は「革新」とかつて名乗っていて今は「リベラル」と名乗っています。

 

Bという人格は「南京大虐殺従軍慰安婦問題をなかったことしたがっていたし今もしたがっている」としか(同じく)私には思えない(考えられないし感じられない)のです。

 

両者は(表面上)「対立しています」。場合によっては「憎しみあっている」と言ってもいいと私は見ています。

 

ただAという人格とBという人格は本来同じ人格が分裂したもので根っこは同じものだと私は見ているのです。

 

そして両者と両者の対立を私は冷めて見続けているのです。

 

この両者はある時期以降「保守」と「リベラル」に名前を変えて憎しみあっていますが。

 

私は国会中継をみません。必要な時には国会議事録を読みます。

 

その理由は「あまりに感情的」だからです。

 

あの異常に感情的であることが私には一つの人格が分裂して憎しみ合っている様子に思えてとても不愉快なのです。

 

あなたも私も日本人であれば当然精神分裂病です。

 

すくなくとのその「病識」をもっているのが良識というものでしょう。