世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

坂口杏里さんについて 依存adictionの基礎解説

坂口杏里さんの事件が世間で話題になっています。この件についての詳細は私には不明です。

 

依存の発見

 

ただ「依存adiction」に対する一般の理解が薄いのでこの機会に軽く解説をしていおきます。

 

おそらく1970年代のアメリカ西海岸だったと記憶しているのですが「依存の問題」があることがわかりました。

 

当時パートナーが酒におぼれてひどい目にあっている女性を助ける動きが出たのです。女性たちが暴力を含めてヒドイ被害をあっていたので助けようとしたのです。実際シャルターのような場所を作ってなんとかヒドイパートナーから彼女たちを連れ出すことに成功した場合も多々ありました。当時はそれで十分だと思われていたのです。

 

しかしそうはいかなかったことが「依存は問題なのだ」ということがわかるキッカケになったようです。

 

彼女たちの中に「あの人は私がいないとダメなの」と言ってわざわざ本当に好意の人たちが必死に酒におぼれているパートナーの被害にあっている女性をシェルターに連れてきて種々の援助をした人々を裏切るように酒におぼれているパートナーのもとに帰る女性たちが多くいたのです。

 

その事実に「これはいったいなんだろう」と思ったことが依存が問題化するキッカケになりました。

 

「彼女たちはなんでわざわざヒドイ目にあうことがわかりきっているのにパートナーの元に帰るのか」というが当然疑問だったのです。

 

当時の結論は「酒におぼれて女性にヒドイことをする男性」と「その男性に耐えながらその男性の世話を焼く女性」は共犯関係にあるのではないかというものでした。

 

そういう女性の生育環境を調べていると父親がやはり酒におぼれていたことも分かったのです。

 

依存者と依存者のセルフイメージ

 

依存者については「こういう人たちだ」ということは指摘されています。それは「寂しいひとたち」だということです。

 

そして私も依存を抱えているのでわかるのですが依存者は「自分は意思のチカラが弱いダメなヤツだ」というセルフイメージをもっています

 

ではなぜ依存者がそういうセルフイメージを持つのでしょうか。これはあくまでも私の経験上の事柄です。

 

依存は何に出るのか不明だということもある時期以降はコンセンサスになっているのですが対象がここでは酒だとしましょう。酒が好きだというひとであっても暑い夏の日に「この喉の渇きをこのままにしてビールを飲んだらうまいだろうな」であるとか「良い音楽だな。この音楽には酒があうよね」という程度の「酒(依存の対象)への欲望」しか持っていないのが普通です。

 

しかし依存者は年がら年中とはいいませんが「日常的に酒を飲みたい。それも浴びるほど飲みたい」と強く思っているのです。そしてその欲望を自分の意思のチカラで抑えているのです。でもあまりにその欲望が強いので時々欲望に負けて酒(依存の対象)におぼれていまうという構造があるのです。

 

そういう構造上依存者のセルフイメージが「自分は意思のチカラが弱いダメなヤツだ」ということになります。

 

パチンコ依存とブレインサイエンス

 

以下は引用です。URLだけはって飛ぶようにしようかとも思ったのですが長いのですが引用します。「パチンコ依存症の治療法」というウェブからのコピペです。

 

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パチンコで脳に起こる変化

パチンコ依存症は精神科の分野ですが、精神と言っても実際には肉体、特に脳では物理的な変化が起きています。

脳内で肉体を制御している代表的な神経伝達物質として、行動を活性化させるドーパミン、行動の維持に必要なノルアドレナリン、行動を抑制するためのセロトニンがあります。

あるパチンコをする実験では健常者と比較して、依存者の脳内ではドーパミンノルアドレナリンが過剰な活動をしており、逆にセロトニンの機能低下が観測されました。

つまり、依存者はパチンコで必要以上の過度な興奮をし、持続性も非常に高く、ブレーキが利かなくなっている状態だと判断できます。

また、脳内の中にエンドルフィン類という物質があります。これはモルヒネと同じような働きをする物質で、「脳内麻薬様物質」とも呼ばれています。

エンドルフィン類の中でもβ-エンドルフィンは、好きなことをすると分泌され、体をリラックスさせ、心を落ち着かせる感覚を与えます。一方、なくなるとイライラし、体がβ-エンドルフィンを欲するようになります。

パチンコも好きなことであるので、好きなことをすればβ-エンドルフィンの増加します。パチンコに打ち込めば打ち込むほど、β-エンドルフィンが増え続け、得られる快感も大きくなっていきます。

やらなければ、β-エンドルフィンを欲します。一定のラインを超えるまで、β-エンドルフィンを欲する状態は持続します。

β-エンドルフィンの分泌と同時に、脳の興奮を沈静するためにコルチゾールという抑制物質も分泌されますが、パチンコで強い刺激を与え続けると脳の興奮、大量のコルチゾールによって一気に沈静化します。

しかし、逆に脳には快感を得たいという記憶が残っているために、欲求が生まれ、衝動が抑えられなくなるのです。

パチンコのようなギャンブルは急激な興奮状態を得ることから、抜粋された記憶が残りやすく、中毒性が高くなり、抜け出すことが比較的に手間がかかるとされています。麻薬と同じ感覚に陥るとも言えるでしょう。

パチンコ依存症は病気なのですが、表面上は身体的異常が見受けられないために、自覚するまで時間がかかります。自分で診断する場合は依存症の特徴を当てはめていくのが良いでしょう。

ある物質や行動への渇望、物質摂取や行動の制御の困難、禁断症状、軽度の不眠などの離脱症状、掛け金の増加、行動頻度の増加などの耐性、物質摂取や行動以外に対する関心の低下、障害を認知しながらの行動の継続が依存症の症状です。

軽度でも重度でも趣味から度を超えていると自覚したときには、すでに何らかの依存症状に当てはまっているはずです。

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この記事でわかるのはパチンコに依存している状況は覚せい剤を常用している状況とほぼ同じだということです。覚せい剤を常用しているひとに「覚せい剤はやめろよ」というひとはいません。

 

私はなんでもかんでも依存のせいにするつもりはまったくありませんが「依存は病」です。ですから「治療が必要」なのです。

 

依存とお金

 

依存者は依存の対象に大金が必要になります。以前から(だから安くしろという意味ではまったくないのですが)依存者は大金が必要になるという指摘がありました。

 

名前はいちいちだしませんが芸能人やアスリートで薬物やギャンブルに依存しているだろう人々がワダイになりました。だけれども彼らがお金持ちだったために表面化しなかったのですがたとえば覚せい剤は当然高価です。

 

私は「だから安くしろ」というつもりで書いているワケではまったくありません。ただ現実問題として「依存者には大金が必要になる場合が多々あります」。

 

パチンコでも一日で10万すってしまうことは十分考えられるのです。

 

依存者は大金が必要だという理由で「平気でウソをつく」「借金をする」「親をだます」ことがよくあってそういう理由での破滅の事例もよく報告されています。

 

杏里さんの事例

 

杏里さんが依存者かどうは私には不明です。ただ彼女がしていることをなんとなく眺めていると彼女がしていることは「坂口杏里は頭が悪い」というレベルのことではありません。「坂口杏里は頭がおかしい」というレベルのことなのです。

 

これは彼女への悪口ではありません。彼女の行動がそこまで異様だという指摘です。

 

依存は対象が何になるのは不明なのです。

 

これは仮定なのですがもし杏里さんが依存者であるならばなんらかの治療が必要なのです。

 

そういうことがあるので精神科医の先生方が強く非難されることもあるのですがたとえば覚せい剤の常用者は「犯罪者」です。しかし精神科医にとっては「患者」なのです。ですから精神科医の元に覚せい剤の常用者が相談に来ても通報する義務が医師にはありません。

 

坂口杏里さんは「ホスト依存だ」といわれています。普通にかんがえばただのバカです。

 

しかし彼女がもし依存者であるならば彼女は「病者」であり「治療が必要」なのです。

 

おそらくそういう風にみている精神科医も多数いるはずです。

 

これは精神疾患にだけ使われるコトバなのですが「病識」という言葉があります。「病識とは自分は病んでいると自分で認識すること」です。

 

ある友人は明らかに精神を病んでいましたが彼は「自分はニートかもしれない」と言っていました。そうではありません。彼は病んでいて治療と休息が必要なだけだったにも関わらずです。

 

私も「病識」がない時期の方が多かったのです。

 

依存に対する決定的な治療法はまだ確立されていませんが坂口杏里さんの行動をマスコミを通してみていると私には「坂口杏里には治療が必要だ」としか思えないのです。

 

治療的司法

 

再びコピペです。これは成城大学のウェブからです。

 

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治療的司法研究センターについて

 治療的司法という言葉は英語のtherapeutic justiceの訳語ですが、刑事司法制度について犯罪を犯した人に対して「刑罰を与えるプロセス」と見るのではなく、犯罪を犯した人が抱える「問題の解決を導き、結果的に再犯防止のプロセス」と捉えようという考え方、すなわち治療法学(therapeutic jurisprudence)に基づく司法制度を指します。
 既に諸外国では、こうした考え方に基づいて実際の刑事司法がデザインされていて、そうした裁判制度は「問題解決型司法(problem solving court)」と呼ばれています。具体的には、薬物依存症者を対象にした「ドラッグ・コート(Drug Court)」や精神障害犯罪者を対象にした「精神障害者コート(Mental Health Court)」、DV加害者を対象にした「DVコート(Domestic Violence Court)」などが有名です。
 犯罪を行った人の中には法律で禁じられた行為に至るまでに、その生活で何らかの原因(各種の依存症)や生活上の問題を抱えている場合が少なくありません。そうした原因・問題を除去することができなければ犯罪を繰り返すこと、再犯に容易に至ってしまいます。もちろん刑罰による犯罪抑止効果を否定するものではないのですが、現在、世界各地で刑罰では抑止できない行為を色々な科学的知見に基づく治療法や解決法によって抑止する機会を司法制度の中に取り込む工夫が進められているのです。それこそが、治療的司法という考え方です。
 本センターはこうしたtherapeutic justice/therapeutic jurisprudenceについて調査や研究を専門に実施するわが国で初めて設立された研究機関です。
 また、本センターは、単独で調査研究を進めるだけではなく、治療的司法の考え方に賛同し、共通する価値観を持った問題解決支援者や依存症離脱支援者等の様々な団体やグループと連携してネットワークの構築を進め、多様な依存症(嗜癖や嗜虐)を抱える人々を支えることのできるセーフティネットとなるような社会の仕組み作りに参画します。

注記
 本センターは調査研究機関ですので、依存問題や法律問題を抱えられている方々の回復支援業務や問題を解決するための相談活動を行っておりません。そうした問題を抱えている方々やご相談の必要のある方々のためには、関係機関や支援団体等のリンク集を別に用意していますので、それらを参考にして頂きますようお願いいたします。
治療的司法研究センター連絡先
送付先(研究機構事務室宛)
〒157-8511 東京都世田谷区成城6-1-20研究機構事務室内治療的司法研究センター宛

 

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「奴らは犯罪者だろ。刑務所にいれればいいじゃないか」という考えが一般的なのだと思います。そうかもしれません。ただ問題は「再犯」なのです。

 

わかりやすい例が覚せい剤です。覚せい剤に依存しているひとを刑務所に入れても彼らの依存の治療が行われない限り彼らが再び覚せい剤に手を出してしまう可能性がとても高くなります

 

それがギャンブルや他の依存であっても同じことです。

 

私は杏里さんには治療的司法が必要だとしか思えません。このブログの読者の方で杏里さんを治療的司法につなげてくれるひとがいればいいと私は願っています。