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世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

編集の時代 署名原稿 メリル・ストリープのスピーチ トランプさんのツイッター

フィクション(創作物)や信頼できるジャーナリストの著作はとても勉強になります。

 

新聞を今僕は取っていません。でも取るとしたら3誌は取らないととも思うのです。「地方誌」と「リベラルな論調の新聞」と「保守的な論調の新聞」の三誌です。

 

今は「国会議事録」も読めます。だけれれども僕はジャーナリストではないのです。

 

最近で「オレ何してるんだろう」と思ったことがありました。

 

メリル・ストリープがトランプさんのCNNの記者の対する態度に対する抗議の意味のあるスピーチをしたと聞き「メリル・ストリープのスピーチ全文をユーチューブで見た」のです。あるいはトランプさんの演説全文をやはりユーチューブで見ました。

 

僕はジャーナリストではありませんしこういうことを僕にさせないで欲しいのです。

 

僕はそこいらにいるオジサンなのです。ジャーナリストではありません。

 

批判は当然です。だけれども「紹介」して「解説」して「評論」でしょ。

 

池上彰さんや佐藤優さんは「解説」してくれますし「評論」(批判が多いのですが)もあります。でも「紹介」してくれるひとというかワクがとても狭いのです。

 

「ワイドショーってすごいな」と思ったことがあります。出先でテレビがついていたのです。小池百合子さんの演説を長々流していました。東京は大都会で日本の首都ですが小池さんは地方都市の一組長さんにすぎません。

 

僕はそんなに応援していませんがそういうことをするくらいなら安部さんの演説を聞きたいのです。「紹介」という意味です。識者の「解説」も「評論(批判が中心になるのでしょうが)」も読みたいのですがまず「紹介」をしてください。

 

ネット上のまとめサイトを僕はみません。まとめたひとの「主観」が入るからです。

 

メリル・ストリープの「強さ」を僕はそんなに楽しめませんでしたが「マンマミーア」を観て「そうだったんだ」と思いました。彼女は女性に愛されるスターです。

 

マディソン郡の橋を観て僕にはさっぱりわからなかったのですがあの映画は中年女性が見てうっとりする映画なのでしょう。性別男の僕には「意味がわからなかった」のは当然でした。

 

トランプさんがツイッターで過激な発言を繰り返しています。

 

僕はトランプさんをそんなに応援していませんしCNNの記者に対する態度はいかなる理由があってもしてはいけないことです。

 

だけれどもCNNはリベラルな論調のテレビ局ですからトランプさんにすれば「CNNはオレが何を言っても何をしても悪口しかいわない」と切れてしまったのでしょう。繰り返しになりますがいかなる理由があるとしてもあのような言動は取ってはなりません。

 

また「個人」でツイッターを使ってもなりません。もしSNSを使うのならば「大統領府」まで落としてFacebookをやるのが筋です。

 

何故なら「トランプさんは公人だから」です。

 

「公人」とは「そもそもとても居心地の悪いもの」なのです。「居心地のいい公人なの原理上存在しない」のです。

 

それは昔からわかっていることです。ある童話があります。「王子と乞食」です。(僕は貧困問題を放っておけという意味でこの童話を取り上げるのではありません。貧困問題は想像以上に深刻なのです)

 

王子は自分が王子だということにうんざりしています。乞食の少年は当然乞食なんてイヤです。たまたま姿が似ている二人は立場を入れ替えるのですが「王子ってこんなに大変だったんだ。乞食ってこんなに大変だったんだとお互い思い知る」という話です。

 

ただ僕が暇人だからトランプさんの演説全文もいくつか聞きましたが「こういうニュアンスだったんだ」とは思いましたよ。(今は英語も日本語も堪能なひとがいくらでもいるので翻訳がネット上にあるのです)

 

僕自身そういうことを試みて失敗したことがあります。「嫌韓」のムーブメントが強まった時に「韓国人の友達を作りたいな」と思ったのです。あるいは「在日」ってよくいいますよね。あなたの友達に「在日韓国人」あるいは「在日朝鮮人」がいますか。

僕は知人に一人いるだけです。

 

メリル・ストリープのスピーチはとても効果的なものでした。ハリウッドの著名人を次から次へと上げていって「あのひとはどこ出身です。あのひとはどこ出身です」とずっとやっていったのです。つまり全員「移民だ」ということです。

 

トランプさんはよく「移民」と言っていました。僕の想像ではUSピープルの中で「移民」という言葉はとても抽象的なものでしかなかったと思うのです。それがメリル・ストリープのスピーチで「とても具体的になった」のです。クリエーションに対する見解も素敵でした。

 

でもあなたはそういうことを知らなかったのではないですか。

 

「編集の時代だ」ということは間違いありません。

 

だからこそ「編集したひとは責任を持つのが筋」なのです。

 

具体的にいうと「安部さんがこういったと土本クニシゲが書きました」という構造をはっきり見せる必要があるのです。

 

「トランプさんがこういったとCNNの誰それが言っています」という構造です。

 

メリル・ストリープのスピーチはこうでしたと土本がまとめました」という構造です。

 

新聞にも署名原稿が増えています。

 

ネット上の記事で僕が「これってテイストが似すぎているんだけれども」と思ったこともあります。全部違う記事でした。でも「これだけテイストが似ているということは同じひとが書いている可能性がある」としか思えなかったのです。

 

雑誌ではこういうことは昔からありました。ある一頃司会者もしていた音楽家がよっぽど腹に据えかねたのでしょう。ある番組でそういう話をしていました。

 

そういうことをことさらにいうひとではありません。でも本当に腹に据え変えていたからこその発言だったと思います。

 

音楽家の男性がある女優とつきあっていたとその女優の名まえを出していました。そしてその女優のファンのライターが二人が付き合っていることを知って二人を別れさせるために音楽家のスキャンダルを(全部ウソだったそうなのですが)雑誌に書き散らしていたそうなのです。ダテにライターではなくウソなのですが読むとリアリティがあったそうでその件が原因でその女優と別れたそうなのです。

 

あるいは室井佑月さんが妙に自分の悪口が雑誌にのると思って調べてみたら二人のライターが室井さんの悪口をアッチコッチに描き散らしていたらしいのです。

 

ネットも「匿名だからダメなんだみんな本名でやろう」という提言があります。

 

プロマスコミは新聞だろうと雑誌だろうとネットだろうと当然署名原稿でしょ。

 

「編集の時代」なのだから当然ですよね。