僕でも「このワードを使うとPVが増えるし検索でもヒットするんだけれどもそれって下品だからそのワードは使わない」と思って書いていることがあります。僕はロングテールを狙うので先輩ブロガーから「腐るワードはやめて置いた方がいい」というアドバイスもいただいていますし。
とか「ニッチ(隙間)は売上が小さいからニッチ(隙間)なんでニッチ(隙間)はやめ解けば」というアドバイスをもらったこともあります。
マクドナルドってビッグワードです。マクドナルドについて記事を書くと注目度が上がるのは僕にもわかります。
でもここ何年かでマクドナルドに関して
「外食産業はマクドナルドの一人勝ち」だとか
「マクドナルドはどうにもならない」だとか
「マクドナルドが復活してきた」だとか
という記事が普通に出ています。
「マクドナルドの一人勝ちだ」と普通に書いてあった時期に僕もとても違和感がありました。マクドナルドの一人勝ちなのであれば「吉野家」がつぶれていたはずです。「リンガーハット」も「ケンタッキー・フライド・チキン」も「やよい軒」もつぶれていたはずなのです。
でも当然そんなことがあるはずがありません。
僕はしょせん無名のブロガーにしかすぎませんがたとえばトランプさんについては基本書いていません。トランプさんは僕からみてもツッコミどころ満載なのです。僕が政治経済外交に関する十分な素養があるのならば書いても良いと思うのです。でも「枝葉末節」というコトバが指し示すように物事には本筋とどうでも良いことが混在しています。
トランプさんってどうでも良いことを書こうと思えばいくらでも書けるのです。僕はしょせん無名ブロガーです。でも僕の「良識」がそれを許さないのです。
変な言い方ですが「プロのマスコミ」が目先のPVを欲しがっているとしか僕には思えません。
僕が「ファンの恐ろしさ」を自分がある方々のファンなので感じたことが二回あります。
一回は「クローズアップ現代」の国分裕子さんに関してです。僕はファンとして国分さんにクローズアップ現代をずっとやっていてほしかったのです。でも当然国分さんにも私生活がおありになるしクローズアップ現代の最終回を観て「本当にご苦労様でした。一ファンとしてクローズアップ現代を観ることが出来てしあわせでした。あとは自由にされてください」と思いました。
同じく女性なのですが堤未果さんに私はあるタイミングで本を出してほしかったのです。堤さんの本は気軽に出せるようなものではないことはわかっていたのです。だけれども「堤さんの私生活なんかしったことではありません。あなたはひたすら本をかけばいいのです」とか恐ろしいことを僕は考えていたのです。
一ファンとして堤未果の著作を多くのひとに読んで欲しいので堤さんの本のリンクを張っておきますが。
僕は無名ブロガーだとしても「書くことの大変さ」はある程度わかっているのです。なのにそう思っている自分が恐ろしかったのです。
クローズアップ現代にしても堤未果さんの著作にしても一過性の話題を取り上げて視聴率を稼ぐとか本を売るとかそういうことの真逆にある存在だと僕は思うのです。
マスコミって「その時話題になっている物事をとりあげる」のはもちろんそうです。
僕はもういわゆるワイドショーを観ることはありません。その時の話題は北朝鮮でした。朝なんとなくNHKの朝ドラを観てそのままテレビをつけていたことがあったのです。なんとなくザッピングして驚きました。どの局も「北朝鮮ばかり」だったのです。しかも僕の低い見識からしても「とても浅い掘り」です。
それは構造上そうしかなりません。ほぼまったく知らない状況である事件がおきてその事を話題にして別の事件が起きたら同じことを繰り返しているのですから。
僕は一応ドラッカーがいう「スペシャリストであって同時にジェネラリストであるひと」です。
だから「シフトが組めないんだ」とは思います。例えばディレクターに余計な時間を与えて「普段の報道はして暇な時は好きことを追いかけてね」というシフトを組んでも良いし「この事件をやろうと思うと3年はいるし結果15分のワクしかやれないけどこれだけ3年やっていいよ。本にしなよ。印税は会社がもらうけどね」とかいうシフトを組んでもいいはずです。
無名ブロガーでも「このワードはキャッチーすぎるからやめておこう」と思って遠慮する場合があるのに「プロマスコミが目先のPVをおいかけて」どうするのですか。
もちろん私企業だから視聴率や売り上げは必要です。
だけれども私企業であろうとも国であろうとも「目標設定」は三種類です。
「短期目標」「中期目標」「長期目標」です。
現場にそれをやれ!とはいいませんが上の方が「中期目標」や「長期目標」を考えているとはとうてい僕には思えないのです。
「プロマスコミ」の皆さん僕も下品なのですが僕より下品だなと正直軽蔑していますよ。