私は出来るひとではありません。でも「するひと」です。この文章を読んでいる人にも「するひと」がいますよね。苦しいでしょ。「しないひと」が多数います。経験上分かっていますが「しないひとは文句をいうひと」です。
こっちは「する」のです。彼らは「しない」で「文句を死ぬほど言う」のです。
不満があるのはわかります。でも私は長年「している」のです。「しないひと」から「死ぬほど文句を言われながら」です。
これが苦しいのです。
わかりはします。「するひと」は「文句をいう前に何かするひと」です。だから「文句をいう暇がありません」が。でも「文句を言うひと」は「文句を言ったこと」でひどく満足されているのです。結果「文句を言うだけで何もしなく」なります。
私は長年そういう「文句を死ぬほどいわれながらしてきた」です。私はほぼボッチでいるのはそういうことに疲れているからなのです。
あなたもそうでしょう。「文句をいうひとは何もしないで文句だけいってご満悦です」よね。私が「する」ことに不満はあるのでしょう。でもああいうひとは「しない」で「文句だけをいう」のでコッチはつらいのです。
「満足感」みたいなものなのでしょう。「文句を言うと満足できる」ような心理状態があるようです。
だから私みたいに「する」ひとが「しない」ひとから「死ぬほど文句をいわれながら」苦しんでいるのです。もうそういうはいらないと思っていますが。私は完璧に飽きていますし、そういうのに疲れました。もう「文句だけ言ってしないひと」とのお付き合いは遠慮します。もうそういうのはいいです。コッチもつらいし。