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世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

パーソナルブランドの時代~「ひと」と「信用」の時代

前に私はある会社と付き合いを持つことを決めました。ちょっと危ないといえばあぶない資金運用の問題があったのです。その時の決め手になったのは「ひと」でした。Hさんという「ひと」が信用できると私は踏んだのです。そのHさんは仕事ができるひとでしたが、それ以上に「信用できるひと」だと思えたのです。

 

ある友人は銀行とつきあうときには支店長と友達になるといっていました。

 

ネット社会だといわれていて事実そうです。

 

新聞でも記名原稿が始まっています。

 

商売でも情報でも「信用できるひと」かどうかが問題なのです。もはら大企業の偉いさんだという理由で「信用できる時代」は終わったのです。そういうことで信用してしまうと痛い目にあいます。これは今だけのことではありません。「大企業の偉いひとだから信用できる」時代の方がどちらかといえば珍しい時代だったと考えるのが筋だと私はふんでいます。

 

昔なのですが、ある本を読んでいて「そうだったんだ」と思ったことがあります。ある女性が商売上のことで保険に入ろうと思ったのです。その時に安田生命の保険に入ったのですが。その理由が現代的なのです。その理由とは「社長が安田さんなら信用できる」というものです。

 

大企業の調子が悪いのですが、あれは大企業の中に入ってしまうと「個人」ではなくなってしまうという理由があるのではないかと私は想像しています。

 

ネット社会以前の問題としてネタを仕入れるときに「誰のリポートなのか」を問題にする必要があります。大新聞が悪いとは思わないのですが大新聞や大手のテレビ局であったとしても「誰の記事なのか」「誰のリポートなのか」を明示するのが筋です。その記事やリポートについて新聞社やテレビ局は一部責任を持つべきでしょう。しかしすべての責任を持つという発想やシステムの中では良い記事やリポートは生まれないと想像しています。

 

読者や視聴者も新聞社やテレビ局を「信用」しないで「ひと」を信用するのが筋です。

 

私は町山智弘さんのアメリカリポートをユーチューブで聞くためにネット環境をつくりました。アメリカリポートでは冷泉彰彦さんの在野のリポートや(今は日本が大変なことになって日本のことをやっていただく必要があるのですが)堤未果さんの詳細なデータ分析に基づくアメリカリポートが重要です。

 

大手新聞や大手テレビ局の記者が無能だと私はおもいません。でも「自分としてはこう思うのだが局や社の立場上言えないし、かけない」という場合が多々あると思うのです。

 

日本国内でもオジキこと須田慎一郎さんのリポートが重要です。

 

須田慎一郎のリポートで私は笑ったのですが森喜朗さんが理由なく現東京都知事小池百合子さんのことがとにかく嫌いらしいのです。小池さんが女性だとか元ニュースキャスターだとかそういうこととは無関係にとにかく嫌いらしいのです。それでひところ余計なことばっかり言っていたのです。

 

そこでも「誰のリポートなのか」が重要になっています。

 

会社でも同じで「誰が社長なのか」が重要です。私はライフネット生命のお世話になっていますが、これはライフネット生命の社長が「信用できるひと」だと私がふんだからなのです。

 

ネット上で匿名の記事がとびかっています。一万の匿名の記事よりも一個の名前を出した記事が(そのひとが有名、無名を問わず)強いのです。

 

ツイッターのアカウントを私は持っていますが基本みません。あそこは匿名だからです。もちろん本名ではやりづらい場面もあります。ケースバイケースではあります。

 

しかし「本名」には力があります。私はあの方々のお考えにはそんなに共感しませんが櫻井よし子さん(さくらが旧字なのが素敵です)も「信用できるかた」だと私はふんでいます。あるいはもう政治家をやめられましたが橋下徹さんも「ひととして信用できる」とふんでいました。事実「櫻井さんはこう言っているけれども」であるとか「橋下さんはこう言っているけれども」とほとんど間違いを指摘するためであったとしてもよく発言が引用されていましたし、櫻井さんの発言は今でもよく引用されています。

 

今のジャーナリストや企業家は「自分の名前で勝負をする」のが筋なのです。「どこかの会社の部長だ」ということにはほとんど意味はないのです。

 

それが「パーソナルブランド」の時代だということですし、「ひと」と「信用」の時代だということです。