友人にコピーライターになって欲しくてコピーライター絡みの本を数冊読みました。
あの人たちは「写経」なるものをしているようです。いいコピーをひたすら書く作業を「写経」と呼ぶらしいのですが。
体に入れるのでしょう。
「読書百遍義自ずから見る」という言葉があります。私は好きな文章なら100回くらいは読みます。
そうすると「体に入る」のです。
余計なことをいうと林真理子さんは弟さんを尊敬させていた時期があるようです。理由は簡単で「弟さんが本を読まない」からなのです。
読書家にはそういうことが多々あります。本を読まないひとを尊敬することが多々あるのです。
しょせん好きでやっているだけのことですから、意味も価値もないと信じているのです。
ある席で若いひとに安部公房を勧めたら「ちょっと安部公房はわからいづらいんじゃないですか」とたしなめられました。
安部公房も私にとっては「娯楽でしかなかった」のです。
あるいは夏目漱石が10代後半から20代前半に妙に好きで漱石ばっかり読んでいた時期があります。
あれはおそらく「文体」だったのでしょう。
漱石がそんな年でわかるはずはありませんから。
ここからが本題なのですが、あるカフェで「見ないでキーボードを打てるひとがいるよね」という話をしている人たちがいたのです。
私は昔の人なので英文タイプを女性の講師と生徒に嫌われながら習っているのです。
男の友達はもっと若い世代なので、ワープロ検定の勉強をしています。
だからブラインドタッチが出来るのです。
それが商売でも人間関係であってもいきなりできるはずがないのです。
みんなそれをいわないだけのことです。
そういうことを変にうらやましがらないで欲しいのです。
いうと自慢にしかならないのでコッチは言いたくないのです。