世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

2ちゃんねるが昔元気だったのですが ネット民もたいてい静かです 「サイレントマジョリティ」なのです 「炎上」ってありますよね

これを書くのは怖いのですが、最近でいうと「炎上」騒動があります。あれは「炎上」される元が悪いというより「火元」なんです。「火元があるから炎上」しているのです。そういう意味では「火元」になるようなSNS上等での発言に非常に問題があるといえます。しかし「炎上」させている方々はネット民の中ではマイノリティのはずです。サイレントマジョリティという言葉があるようにマジョリティは「静かなもの」です。どの時代でも、どういう状況でも「マジョリティは静かなもの」なのです。

 

2ちゃんねるが元気だった頃に、一般のネット民は「2ちゃんねるに関わりを持たないほうが良い」という感覚をもっていました。「2ちゃんねる」が悪いということでないのです。うまく書けないのですが「2ちゃんねる」に関わりを持つと誰もが問題発言をしてしまような何かがあったのです。

 

私はそこそこ英語が出来るのですが、いわゆる「コメント欄」でイヤな気持ちになる英語のコメントを見たことは一回しかありません。ホントに一回だけです。「叩く」とかそういうことをそのひとはしていて、しかも私は英語のニュアンスみたいなものがわからないので「このイヤな気持ちの元がよくわからないな」と思って余計に不愉快でした。でもその不愉快なコメントに絡みたくはなかったのです。

 

「炎上」させている人たちもおそらく同じだと想像しています。「この発言はイヤな気持ちになるんだよね。このイヤな気持ちはどうしたらいいんだろう」と思うと「炎上させる」という事にしかならないと想像するのです。一個人だけで「炎上」させることが不可能です。という事はそうとうの人が、SNS等の発言に触れて「イヤな気分になっている」はずです。「多くのひとがイヤな気分になった」結果として「一部のひとが(多くの場合)匿名で絡んで炎上」しているはずなのです。

 

日常的に「イヤな気持ち」になることは誰にでもあります。そういう時の対処法もあるはずです。マジメな話です。

 

「お風呂にはいる」とか

「お酒を飲む」とか

「友達にグチる」とか

「一晩寝てみる」とかです。

 

そういう対処法を取っても、まだ引きずることも当然あります。ネットとは無関係にそういうことが私には普通にあります。ネット以外のメディアでも普通にあります。本を読んでイヤな気分になるであるとか、テレビを観ていてイヤな気分になるであるとかです。

 

普通にありますよね。普通にそういうことがあります。テレビはわかりやすい例だと思うのですが、「わざわざテレビ番組を観て腹を立てるくらいならテレビを消すなり他のチャンネルに帰ればいいだけ」です。でもある番組を「わざわざ最後まで観て腹を立てていたこと」が私には普通にありました。リアルな人間関係でも「この人と会うとイヤな気持ちにしかならないのだけれども縁を切るのは違う」と思ってつきあってひとがいまう。今はほぼボッチなのですが。テレビも基本観ませんし。

 

私がある年齢をこえて「もうイヤな気持ちは良いや」と思ったのでボッチでもありますし、リアル、ネットをとわず「絡まない」ことにしているのです。「絡んでもイヤな気持ちにしかならないひとや事柄」が山のようにあるのですから。私自身わからないのですが、ある年齢までは「あえて絡んで、あえてイヤな思いをしていた」としか思えないのです。マゾヒズムではなかったと思うのですが。こういうことは誰もが経験していると思うのです。

 

「絡んでもイヤな気持ちにしかならないことは100も承知なのだけれども、絡んでしまって、案の定イヤな気持ちになって苦しむ」ことです。

 

誰にでもあると想像しています。

 

だから「炎上」ってそういう観点が必要だと想像しています。