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世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

昭和、平成時代の分岐点 2020年東京オリンピックの意味

また読もうと思って松任谷由実さんのインタビュー集の「ルージュの伝言」と釈撤宗さんと内田樹さんの「現代霊性論」を読みました。

アマゾンのリンクをはっておきます。ともにとても面白い本です。

 

ルージュの伝言 (角川文庫 (5754))

ルージュの伝言 (角川文庫 (5754))

 

 

 

現代霊性論 (講談社文庫)

現代霊性論 (講談社文庫)

 

 

日本が戦争にボロ負けしたのが1945年です。一応のカタチがついたのが(おそらく)1955年なのだと想像しています。聞いたことがあると思うのです、「55年体制」という言葉を。「55年体制」というのは社会党が「憲法さえ変えなければ良い。あとは自民党に任せておく」ということをおそらく決めた年です。旧社会党の側に朝日新聞に代表されるマスコミもついたのです。一方には当然自民党を中心とした勢力がいて、こちらの発言は基本少ないです。でも力はあります。こういう「構造」を「55年体制」と呼ぶのです。

 

次が1960年です。「全学連」と呼ばれる当時の大学生が「安保闘争」をしたのです。「日米安全保障条約」をやめろということではあるのですが、当時の状況が「反権力」のシンボルが「日米安保条約」だったのです。当時の「アメリカ」が持っていた、誰もあこがれるようなライフスタイルであるとか、アメリカンドリームであるとか、アメリカ的な考え方には違和感があるのだけれども、それもうまく表現できないような状況でした。そこで必ずしも日米安保条約に反対ではないのだけれども「安保反対」といわざるを得ないところがあったのです。

 

次は1970年です。「全共闘」運動がありました。このあたりになると大学紛争はもっと一般化しますし、ある種の先鋭化もあったのです。また大阪万博がありました。

 

次は1975年です。オイルショックが起きるのです。またベトナム戦争でアメリカが負けた年でもあります。

 

次が1980年です。1980年には大きな変化がありました。

 

次は1995年だと思います。阪神淡路大震災とオウムの地下鉄サリン事件があったのです。またTBSラジオの「たまむすび」に時々出演している作家の岩下尚史さん(この人と同郷なのが私はイヤなのですが)「バブル」というと決まってジュリアナ東京の浮かれ騒ぎが放送されるのですが、そこは岩下さんの的確さで「ジュリアナ東京の浮かれ騒ぎはバブル崩壊後だ」と指摘していました。バブル崩壊はウィキによれば1991年なのですが、日本人はバブルが崩壊しても大したことはないと信じていたのです。1995年になって「これはそうとうなことなんだ」と気がついたのです。おかしいようなのですが、そうです。

 

私は2020年の東京オリンピックのような出来事を待っていました。私の観測では「東京一極集中」は終わっています。実際トヨタ自動車はある時期に本社機能を「豊田市」に移しています。ソニーの苦境とパナソニックがなんとかやれていることに関しても「本社」を問題にすると見えてくるのです。ソニーの本社はウィキによれば東京港区です。パナソニックの本社は同じくウィキによれば 大阪府 門真市です。また問題の責任を取るためにトップが辞職した電通の本社はウィキによれば同じく東京港区です。

 

東京人で「自分は田舎者が嫌いだ」と言う方がいるのですが、あれは彼らにとっての地元をよその人が荒らすのがイヤだということだと想像しているのです。「自分の地元で好き放題されるのはイヤなんだ」ということです。

 

熊本でよそから来たひとが結構水前寺に住みたがるのです。別に水前寺は特別な町ではないのですが。熊本の全然大したことがない繁華街にオフィスを持ちたがったりもしまう。なんか地元でもないのですが、これが私には恥ずかしいのです。

 

別に東京港区が悪いということではありません。港区に本社を置きたがる精神性に問題があるのです。

 

おおきな潮目が変わった時には一部の人しか気がつきません。

 

二冊本を紹介します。似たようなタイトルです。

 

 

 

まだ、都会で貧乏やってるの?

まだ、都会で貧乏やってるの?

 

 

イケダハヤトさんは四国在住です。吉住裕一郎さんは九州在住なのです。都会や東京が悪いということではまったくありません。東京や都会にいる必要性があるのかということです。「必要性」の話なのです。もちろんインターネットの存在は大きいです。大きな潮目はインターネットがあろうがなかろうが変わっていたはずなのです。

 

余計な話なのですが、私は「二次インフラ」という概念を勝手に使っています。ウィキからのコピペです。

 

インフラストラクチャー (英語: infrastructure) とは「下支えするもの」「下部構造」を指す観念的な用語であり、以下の意味がある。
国民福祉の向上と国民経済の発展に必要な公共施設。本項で詳述。
企業などの主幹となる設備。
日本ではしばしばインフラ (infra) と略称されるが、インフラストラクチャー (infrastructure) が「下の (infra) 構造 (structure)」を指す通り、本来インフラ (infra) は「下」「未満」を意味する接頭辞で、「下にある」「低い」を意味するラテン語 inferus に由来し、スーパー (super) の対義語である。

は、学校、病院、道路、港湾、工業用地、公営住宅、橋梁、鉄道路線、バス路線、上水道、下水道、電気、ガス、電話など

 

インフラのわかりやすい例として「水道」をあげます。蛇口を開くと飲める水が出るのですが、これが画期的なことなのです。飲める水がそんなにたやすく手に入ることはとてもありがたいことです。「水道」が実現していない地域からすると「夢のような話」なのです。

 

インフラのわかりやすい例として「水道」をあげました。蛇口を開くと飲める水が出る状況をつくるためには水道管を日本中に張り巡らす必要があります。これを実現するためには多額の費用と人材が必要ですし、「水道」を維持するためにもやはり多額の費用と人材が必要になります。

 

私が「二次インフラ」と呼んでいるものの代表はマクドナルドです。マクドナルドはどこに行っても基本同じ味です。吉野家もそうです。日本中どころか世界中で同じ味ですし、ほぼ同じ接客です。蛇口を開くとどこに行って同じような水が出ることと基本同じことです。

 

そうとう曖昧なのですが、ある県にスターバックスコーヒーが一軒もない状況を同県のひとが問題にしていました。スターバックスコーヒーは「二次インフラ」なのです。だからその県にスターバックスコーヒーがないことが問題だったのです。

 

地方に仕事がないというのはウソです。これは東京に観光に来た外国人観光客がどこに行きたいのかという話をきけばわかることです。彼らは「東急ハンズに行きたい」と決まっていいます。

 

熊本と友達と話していて「東急ハンズができてくれて助かった。あとロフトが出来る助かるな」と言っていました。つまり東京ハンズもロフトも「二次インフラ」なのです。なくても生活はできます。だけれども「二次インフラ」が整っていない町には魅力がありません。

 

東京一極集中は終わっています。でも多くのひとが気がついていないのです。バブル崩壊と同様のことです。

 

そのカタチは不明なのですが、日本人が2020年の東京オリンピックを経験して、「あっ、東京にいる必要性はもうないんだ」と気がつくはずです。

 

ただ東京人で前の東京オリンピックを経験したひとは今だに不愉快極まりない思い出として東京オリンピックをとらえているようです。「オリンピックのためだ」と無理をおしつけられたり、東京の都市風景があまりに変わったので「オリンピックの前の東京に戻してほしい」という気持ちがあるようなのです。

 

ただそうだとしても次の東京オリンピックの最大の意味は「東京に住む必要性は田舎者にはもはやない」と気がつくことなのです。

 

東京の大学にすすむことはあっても良いのです。ただその後地元で就職するだけのことです。それは普通のことです。