世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

萩本欽一さんは独裁者だという指摘について 「お笑い」とか関わらなくよかったなあ

萩本欽一さんは演者でもありますが、演出家でもあります。映画監督が自分の映画を監督するときには当然演出するので厳しくなります。役者出身の監督の場合は違うのかもしれません。北野武さんの「この男凶暴につき」をやっと最近観たのですが、それぞれの役者さんが生き生きと演じていました。そういうところが役者出身の監督のいいところなのでしょう。しかもある女性ともキーになる殺人者とかかわりを持つことになる3人がこの映画にはいます。普通にいえば小さな役です。この3人の顔のそれぞれのアップを映画の最後の方にいれてあるのです。そういうところが役者出身の監督ならではなのでしょう。

 

萩本さんが独裁者なのは演出家だからです。

 

これをラサール石井さんと萩本欽一さんがやっているのなら私も演出をするのですが、私は普段あることをします。時々をこれをしているひとがいるのです。

 

ここでは男子高校生数人で街に遊びに行っている場面だとします。私みたいな人が「ボチボチお昼だな」と思うと強力に考え始めるのです。顔には出さないし、言葉にも出さないのです。知らん顔をして強力に考え始めるのです。「うどんはこのひとがこの間イヤな顔をしていたし、お好み焼きはこのひとがひっくり返すのが苦手だし、ハンバーガーがもう飽きたとか誰かが言ってたし、タイ料理とか違うと思うし、定食屋さんでもいいだけど、こないだ誰かが定食屋はあんまり好きじゃないみたいに言ったよね」みたいなことを必死で、しかも知らん顔をして考えているのです。そして何気なく言うんですよ。

 

「ラーメンか牛丼でも食べない」と。

 

そうするみんなは「えー」とか当然言うのです。当然です。コッチが死ぬほど考えて二者択一にしたことをみんなはまったく知らないのですから。

 

これがおかしな話で自分が「ラーメン食べようよ」と言うは違うんです。だからと言って「なんか食べようよ」という丸投げも違うんです。

 

だからある種のひとたちは二者択一まで必死で、しかも知らん顔をして考えるのです。別にいいじゃないでか、「ラーメン食べたい」と言い張っても、あるいは「なんか食べない」という丸投げでも。ホントにそれでいいんですよ。でもある種のひとは必死で、しかも知らん顔をして考えるクセがあるんです。

 

でも二者択一にして友達に言うんですよ。そうとう疲れるんですが、こういうことをするひとがいます。そういう人同士で話をすると「コッチが二者択一まで必死で考えてるのに、そこからみんなもめるから疲れる」ということになるのです。でもコッチが必死で考えていることなど誰も知らないので、いわば勝手に疲れているだけなのですよ。理由はわからないのですが二者択一まで必死で考えるひとがいるのです。理由はわからないのですが二者択一を用意するのが好きなのでしょう。好きなんですよ。

 

萩本さんが時々「コイツは天才だ」と思って番組に読んだら実は違っていたということもあるのですが、あれも私にはわかなくもないんです。

 

私が中学か高校の時に萩本さんの番組を観ていて「コイツは天才だ」と思っいたんです。「こんな天才がうウヨウヨいるんだから自分ごときがお笑いを目指すなんて無理だ」と思ってお笑いに関わるは辞める気になったのです。もちろん私には笑いのセンスみたいなものがないのでやらないほうがよかったのでしょうが。

 

日本語は一人称も二人称もとても難しいですし、それが日本語の面白味なのでしょう。この文章はずっと一人称は「私」で通しています。でも男性の場合は「オレ」もありますし「僕」もありましし、当然「私」もありますし、ほかの言い方もあるのでしょう。二人称も「あなた」も「君」も「なんとか君」もいろいろあるのです。

 

その番組は公開収録の番組でした。萩本さんが客席に降りて中学生くらいの男の子にインタビューをしていたんです。萩本さんが二人称をどうしようと考えている場面です。「キミはっていうは違うか。名前を聞いてナントカ君も違うよね。そうだ、お母さんがこの子を呼ぶ呼び方で呼ぼう」と思って萩本さんが聞いたのです。「君お母さんからなんて言われてる」と。お母さんが子供によくわからないあだ名をつけている場合がありますよね。あれを萩本さんは狙っているんです。その子がなんと答えたと思いますか。「早くしなさいっていわれています」と答えたんです。今でもそういうことがあるのかもしれませんが、「早く学校に行きなさい」、「早くお風呂にはいっちゃなさい」、「早くご飯食べちゃいなさい」ということをしょっちゅう言われるひとが今でもいるのかもしれません。その子は実際そういわれていたのでしょう。萩本からすれば「タックンと言われています」とか「シンチャンといわれています」とかいう答えを想定しているのに、「早くしなさいと言われています」とそのひとが答えたので当時の私は「コイツは天才だ」と思っていたんです。そしてお笑いを断念したのです。ここが当時私にはものすごく面白かったんですよね。

 

昔「週間欽曜日」だったかなTBSで萩本さんが番組をやっていたんですね。その番組に佐藤B作さんで何を思っていたのかしりませんが出演していたんです。B作さんは当然演出家ですし、出ないほうが良いのに当時私は思っていたのですが。萩本さんとB作さんのある場面がものすごく印象に残っています。全然面白くはありません。その番組で「欽ちゃんバンド」というのがあったんです。萩本さんがB作さんに課題を出すです。その課題は「欽ちゃんバンド」を面白く言うと課題です。まず萩本さんがやるのです。「キン、チャン、バンド」と身振り手振りを加えて萩本さんが面白くやるのです。そしてB作さんに「こうでしょ」といってB作さんが「キン、チャン、バンド」とやると萩本さんが「違う、違う、こうだよ」と言ってまたやるのです。「キン、チャン、バンドじゃない。B作さん違うよ」とこのやり取りが数分あって私はまったく笑えはしないのですが、そのウチにB作さんが脂汗を書き始めるんです。B作さんは本当に困っていたんでしょうね。私は笑えませんでしたが、強力に印象に残っています。

 

「お笑いの演出ってこうなんだ」と思っていたのかもしれません。「こんな世界に関わりを持つのは死んでもイヤだ」くらいの印象が当時ありました。

 

萩本欽一が一年間仕事を休んだことがあったのです。その後に夕方の帯の番組を、多分初めています。この番組が私にはとても面白かったので、「欽ちゃんはやっぱり笑える」と思っていたのですが、途中で終わったんです。多分視聴率が上がらなかったのでしょう。もちろん視聴率は大事です。でも視聴率は「結果」です。番組は明らかに面白かったのです。だからテレビ局に「待つことができれば視聴率は上がっていました」。そうです。当然です。だって番組の内容(コンテンツ)が良いのですから。

 

余計なことを書くとテレビ局は「良い内容(コンテンツ)の番組を目指すべき」です。結果視聴率が上がるという当然のことです。

 

萩本さんに限らず説明能力が高いひとが私は好きです。島田紳助さんがやはり説明能力が高いひとですね。サンデー毎日に連載をもっていらした時期があります。

 

いつも心に紳助を

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「いつも心に紳助を」です。今アマゾンで検索をかけたらこの後本が二冊ででいました。アマゾンのリンクを張っておきます。

 

新 いつも心に紳助を

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いつも心に紳助を ファイナル

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コラムなのですが、このコラムを当時読んでいて「これって紳助さんが書いているのかな。それとも紳助さんが話したものをライターがまとめているのかな」と思って結論がでなかったのです。文章がうまいんです。でも紳助さんは「話すひと」ですから「こんなに文章がうまい」とは信じられなかったんです。でも「新いつも心に紳助を」と「いつも心に紳助を ファイナル」があるということは「紳助さん自身が書いた」のでしょう。偉そうで申し訳ないのですが「文章がうまい」ですよ。内容も当然良いですし。いわゆるイジメについてのNGラインに関して私は前に書いているのですが、それは紳助さんの記述がどこか残っていたからです。紳助さんは「いつも心に紳助を」のなかでいじめられっ子がお年玉をもらって、それをもっているときに、そのお年玉をいじめっ子連中が使うのはヒドイことなのではあるがイジメはそこまででしかなかったと当時書いています。でも明らかにそのNGラインをこえたイジメがあるからなくなっているひとがいるのだという指摘で、これはとても重要です。せっかくもらったお年玉をいじめっ子連中がつかい果たすなんてヒドイですよ。でもイジメはそこまでのものなんだと紳助さんは書いているのです。重要な指摘です。

 

ついでに書くのですが、紳助さんが「感動もの」をやってスタジオで泣いていた時期があります。あれを紳助さんは「引いた目で見ていたはず」です。「オレが感動ものやってスタジオで泣いてるのを見て皆わらってんだろうな。オレかておかしいもん。オレが感動ものやってこと自体がおかしいやん。でもやってまうねん。ほんでオレ泣いてるやんか。オレこんなんやったらあかんひとやんか。オレが感動ものなんかやってる場合ちゃんねんけどなあ。やってんねんなあ」と。引いた目で見て泣いている自分を笑っていたはずです。「感動ものやってることが大笑いだ」くらいのひとですよ。そういうところが大好きなのです。

 

萩本さんに話を戻すのですが、筑紫哲也さんの「ニュース23」に萩本さんが出演していたことがありました。それを見て「そうなんだ」となんとなく思ったのを覚えています。「ポイントを6個くらい入れないと客は笑わない」という発言なのです。

 

その後にコント赤信号の師匠が渡辺正行さんが出演している番組にVTR出演していたのです。その師匠が「あの人たちは勉強していてお笑いを難しく考えていて、ものすごくこまった」という内容のことをおっしゃっていました。そして師匠はお笑いってこういうことでしかないのにといってちょっとやってみせたのです。

 

書くと面倒くさいのです。首を曲げる(1)、目を大きく見開く(2)、口をあける(3)、両手を開いてみせる(4)、片足を上げる(5)、他にもあったのでしょうが、私にはよくわかりませんでした。こういうことが萩本さんがいうポイントなのでしょう。本当にお笑いの演出は難しいんだろうなと思います。

 

私はお笑いに関わらなくて本当によかったのですが、あの二者択一まで必死で考えるのを萩本欽一さんとラサール石井さんがやっているのなら演出はしてみたいのです。