50代の友人と話をしていた時に彼が「父親も普通に死んだし、母親も普通に死んだんだんで自分も普通に死ぬんだと思った」と言っていました。
若いひとにとっては「死」はどこか暗いものだと想像します。私がそうでしたから。でも50代に入ると何故か「死」が身近になって「暗く」感じなくなるようです。この感覚を伝えることは難しいのですが、そうなんですよ。
また年長の友人の中に定年退職をするひとが出始めます。それが最初は驚きだったのです。私はどこか「驚いて」いました。でもやがて「自分が永遠に働く訳ではない」と気が付き始めるのです。
当然のことなのです。「自分が永遠に働くこと」などありえないのですから。ただ40代までは「自分はずっと仕事をする」とどこか思っていた気がします。
そしてなんとなく思うのです。そういう人とお互い若い頃から友達なので、「君づけ」なのですが、「なんとか君も定年退職するか。そしたら一緒に旅行でも行こうかな」とか思うのです。
たぶんお互いガムシャラだった時期はおそらくあります。その一山をお互い、長年会っていなくても、お互い終えた気がしているのです。「趣味を充実させるかな」とも思いますし。同じことをしていてもどこかに「余裕」があります。
ガムシャラな時期はおそらく大多数のひとにあるのでしょう。それが終わった気がするのが50代です。
繰り返しになるのですが、「同じことをしていたとしても」です。
私もしていること自体には大して変化はありません。ただ気持ちは明らかに違います。
会ったことがなくても、ある業種で若い頃にガンバッタ人にはとても共感します。私が経験した業種とかぶっていればなおのことです。
そういうことが「暗く」感じないのです。
あなたもそうですよね。50代にはいると、そういうことが「暗いない」のです。
余計なことを書くと、若い時に友達が結婚するとどこか残念な気持ちがありました。「新婚さんだからしばらく会わないほうがいい」と思うからです。そしてしばらくたつと「子供が生まれた」という報告が来て、「お子さんが小さいウチは遠慮したほうが良いかな」と思って、だんだん縁が薄くなっていくからです。
私より若い友人に「自分には友達がいなくて」という人がいます。彼は仕事を家庭でいっぱいいっぱいなので、それ以外の人間関係があまりないんだけのことです。
ここからが本当に余計なことなのですが、実際新婚の友達に連絡を取っても「今度の休みは子守りで」と1、2回言われると「連絡するのは違うかな」と思い始めます。これは男性の友人なのですが。
マジメな話、そういうことがいわゆる「浮気」であるとか「不倫」をどこか押しとどめていると私は想像しているのです。
ずっと年を取って、「趣味」とか「旅行」とか思うのです。正直自分がそんなことを思うなど想像もしていなかったのです。
「余暇」であるとかそんなヒマは正直なかったのです。みんなそうだと私は勝手に想像しているのですが。これは日本社会だけのことなのでしょうか。ちょっと前まで年長のひとに食ってかかっていたこともあるのです。
私が「働いてますか」とかと言って。そういうときまって「働いているよ」と余裕をもって言われてイライラしていたんです。
逆に「君元気なの」とか言われてどこかムキになって「元気ですよ」と答えていました。
年長者のどこか抜けた感じって、私が勝手に言っている「50代のスイッチ」が入った後の感じなんだろうと思うのです。
特に私は零細の社長とのつきあいが多いので、余計にそう思うのでしょう。
組織の中に入った人も、50代に入ったら、「気持ちを抜いた」ほうが良いです。
50代にはったら「気持ちを抜く」んです。仕事は抜かないでもいいです。「気持ちは抜きましょう」。
気持ちを抜くんですよ。
仕事が抜かなくても良いんです。
気持ちを抜くんです。
気持ちです。
50代になると、これができるんですよ。
「気持ちを抜きましょう」。