世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

テレビの悪口

かつてテレビはお茶の間のものでした。お茶の間というととても安全で穏やかな存在だと思われるかもしれませんが、そうではありません。お茶の間は一触即発の人間関係が存在する場だったのです。そういう危険なお茶の間という存在をなんとか持たせるという意味でのテレビの存在意義があったのです。

 

今は一人でテレビを観るかたが多いと私は考えています。そもそも一人でテレビを観る必然性があるのでしょうか。私にはとてもそれは疑わしいとしか思えません。実際そういう世間話はいくらでもあるのです。

 

ある年長者とあるテレビ番組を観ていた時の話です。昔は色のパターンというのでしょうか、ただ静止画で色を何種類か映している時間帯がありました。その番組を観ながら「こんな番組を観るよりは色のパターンを観ている方がましですよね」と二人で言っていました。あるいは「なんで日曜日に民間放送はやっているんだろう、オレたちは日曜日にテレビなんか観ないよね。NHKは公共放送だからやるだろうけど、日曜日に民間放送を流していたってオレたち日曜日にテレビなんか観ないのに」と話していたこともあります。カンタンにいう「テレビも適当に休んでくれればいいのに」ということです。若い友人も「子供がいるから子供番組はつけているけど他は全然見ないですね」といっています。

 

ただ彼と話をしていて「そうだな」と思ったのは、仕事が終わって家に帰って風呂にはいってすぐ寝るのはなんか違うので、「ちょっと自分の時間が欲しい」ということです。一人でゲームしたり、ユーチューブを観たりして、その自分を時間を過ごして寝るのです。OLさんが仕事が終わって、家に帰って風呂に入って、ちょっと恋愛ドラマでも見ようと思って、それを観て寝るということでテレビの恋愛ドラマが必要なようです。

 

「顧客のニーズ」という言葉も今いうは笑ってしまう言葉ではあるのですが、テレビ局関係各位は「顧客のニーズ」がさっぱりわかっていないようですね。

 

ついでいうと「テレビでワーワーキャーキャー」言っているひとの中で「自分は知的だ」と思っている方がいるようです。もちろん的確な素晴らしい発言をされている方も多数いらっしゃいます。ただ申し訳ないのですが、たいていは「ワーワーキャーキャー無意味に騒いでいるだけの方にしかすぎません。そういう方は失礼なのですがみっともないです。

 

家にそもそもテレビがないという家もいくらでもあります。

 

そういう事は、ネットがどうだということではどうもないようで、テレビは斜陽産業なのですが、そういうことをあなたはわかっていますよね。