「今の自分はダメだ」とあなたが考えているとします。
そういうときにどうしますか。
もし何もしていないとしても気持ちが穏やかではありません。
穏やかな気持ちにはなれないです。
その時に気持ちがざわついているはずです。
その気持ちのざわつきが実は重要です。
「行動にならない」ことも多々あります。
でもあなたの「気持ちのざわつき」が本当に重要なおです。
その不愉快でしかない「気持ちのざわつき」があるからこそ多くのひとがずっと後になって結果を出しています。
焦りは当然あります。
「自分はダメだ」と思うことはツライことですし、「焦り」ます。
でも「気持ちのざわつき」や「焦り」があるひとこそが結果を出すひとなのです。
そういうものがないとしたら「何かを吸収する気持ち」にはなりえないのです。
よくinput,outputといいますが。
inputするためにはinputするための「必然性」が必要なのです。
その「必然性」が必要だから「気持ちのざわつき」や「焦り」が重要なのです。
あなたがだいたいこのコンテンツを読んでいるのはなぜなのでしょうか。
あなたには「必然性」があるのです。
だから自覚はないのかもしれませんが、inputしているのです。
時間はかかると思います。
しかしあなたが今こうやってこのコンテンツを読んでいるということはinputしていることにほかなりません。
それがいつなのかは私には不明です。
しかしinputしたからこそのoutputです。
outputのカタチは私には不明です。
でもあなたがこうやって時間を費やしてこのコンテンツを読んでいるということには理由があります。
今の自分ではダメだと思い、それをなんとかしようとあがいているのです。
そうでなければあなたはこのコンテンツをそもそも読んでなどいないのです。
それはとりなおさずinputの必然性があなたにはあるということです。
それがどういうカタチになるのかは私は不明です。
しかし今あなたがinputしていることの原因は「気持ちのざわつき」や「焦り」にほかならないはずです。
私自身でもあれはシンボリックな存在ですが、「相棒」の再放送を観ていた時期があります。
「相棒の再放送が待ち遠しいようではダメだよね」と思っていた時期があるのです。
でも今から思うとああいう時期は内心つらくはあって、しかもほかのひとからみればいい身分だったと思います。
でもたいていのひとにはそういう時期が何らかのカタチで、長い短い、あるいはどういう年齢かどういう状況かは別にしてあるようなのです。
「気持ちがざわつく」であるとか「焦る」であるとかがあればこその成長なのです。
もしあなたにこれが当てはまるとしたら、それは「成長痛」だと思って構いません。
伸びているときには「痛み」があります、しかもその「伸び」は場合によってはずいぶんあとになって出てくるものなのです。
ですから、その「痛み」を今あなたが感じているとしたら、それはとりもなおさず「伸びている」ということですし、その「伸び」がカタチになるのはずいぶんあとになること多々あるのです。
だから「落ち着いてください」であるとか「焦らないでください」というつもりはありません。
そもそもあなたはそういわれても「落ち着けないでしょうし」、「焦るから」です。
でも実際はその時が「伸びている」時です。
結果が出たときには、今のあなたは忘れているのかもしれません。
「最近なんか調子が出てきた」ということだけである場合も多々あるのです。
ただ「最近なんか調子が出てきた」とあなたがある時思ったとすれば、それは当然「調子が悪い時期を経験した」ということにほかならないではないですか。
そうですよね。
だから「これはダメだ」とわかっていればなんとかなるのです。