世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

「悪い意味で体育会系」が良いのは30代中盤まで 「大人になる」

別に「体育会系」のすべてのひとがダメな訳では当然ありません。

 

文科系だろうと理数系だろうと、一部のひとは正直言って問題があります。

 

前にも書いたのですが、それは「職業には貴賤はないが、職業の中には貴賤があるということなのでしょう。

 

「体育会系」のひとの一部があまりにわかりやすいので、ここでは例にあげます。

 

そういう人がたとえば予備校にいたとします。

 

当然「講師」ではありません。

 

営業や宣伝やいろいろなことをこなす立場です。

 

ここではわかりやすい例として、あげています。

 

このひとは当然のようにできます。

 

同僚には一流大学を出たひともいるのに、そういう人たちよりもはるかにできるのです。

 

同僚の一流大学を出た人たちは実はできない訳ではありません。

 

自分が一流大学を出ているし、一流大学なるものがいかなるものかも知っているし、場合によっては「日本の教育とは」であるとか「受験産業の存在意義は」であるとかを考えているから、その時は「わかりやすい」結果が出ていないだけです。

 

経験上30代中盤に入ってです。

 

この「できる」ひとが伸びなくなるのです。

 

このひとが「コイツら一流大学を出てるのに」とバカにしていたひとが伸び始めるのです。

 

ただこういう事例は本当に山のようにあることです。

 

これは仕事以外でもあることです。

 

「わかりやすい」結果を出せないことには理由があるのです。

 

言い方は難しいんのですが、「現場」にいるとしても、「現場」以外のことを考えているようなことです。

 

あなたがたとえば新入社員だとします。

 

そういうひとを実際に知っているのですが、彼は「上司の立場ではこうだ。それはそうしかならない」、「部長の立場ではこうなる」と考えていて、自分の仕事もこなしているひとでした。

 

彼は「わかりやすい」結果も出しているようでしたが。

 

あなたが学生だとしても同じことです。

 

「この先生の授業はつまんないんだよね。でもこの先生の寒いギャグが好きなヤツもしるしね。オレはイヤなんだど」とか思っているとしたら、それはいわば「現場」以外のことを考えているということです。

 

そういう「思考」や「発想」があれば伸びます。

 

「わかりやすい」結果が出せていないひとは実は「複数の視点」で自分の置かれている状況を読解しているのです。

 

それはたとえば「ひきこもり」であっても同じことです。

 

あなたが「ひきこもって」いたとしても、例えば「オヤからすればね、オレの引きこもりが心配で仕方ないくらいのことはわかってはいるよ」とか「同級生は今頃頑張ってるだろうな」とか「同年代で働いているひとだって山のようにいるのに」ともし思えているのであれば、それは「複数の視点」が持てているということです。

 

そういうひとが「今はわかりやすい結果」が出せない場合が多々あります。

 

もちろん、「複数の視点」を持つことができて、なおかつ「わかりやすい」結果をだせるひとも一部いるようです。

 

ただ「複数の視点」を持ったひとは、「複数の視点」を持つことだけで相当のエネルギーを消費しています。

 

別の言葉でいえば「大人」です。

 

「大人」は「複数の視点」をもっているのです。

 

だから子供からみるとたいてい大人はまだるっこしいのです。

 

悪い意味で体育会系のひとは実は子供だから伸びないのです。

 

今は体育大会系の例をあげましたが、ほかのカテゴリーにはいる人でも同じことです。

 

子供はいわれたことを素直にしますし、それは子供としては良いことです。

 

でもそれはそのひとが子供だから良いことなのです。

 

もしあなたが年齢上「大人」なのであれば「複数の視点」を持ちましょう。

 

今どうであれ「大人になる方法の一つとして複数の視点を持つこと」をお勧めします。

 

「今わかりやすい結果が出ていようと、そうではなかろうと」です。