「祈り」は現代日本人にとっては縁遠い存在なのでしょう。
実際にやってみるとわかることですし、実際にしてほしいのですが、できれば3分、あいては誰でもいいです、あるいは「日本」とか「世界」とかそういう抽象的な存在に大してでもいいです。
3分間目を閉じて祈ってみてください。
「3分間祈る」とその3分は異様に長いのです。
ぜひやってみてください。
God bless you!というのは神の祝福があなたにありますようにという意味なのですが、結構あなたも実はそう「祈っています」し「祈られて」もいます。
なんかうまくいえないんだけれども気にかかるひとがいますよね。
でもたいてい言えないでしょ。
私はそれが「祈り」だと考えています。
あなたは「この人なあ、違うんだよね、でもそれを言うのはなんか違うし」とか思うでしょ。
であるとかあなたは「この人にはなんか訳がある。それはなんかあるよ。でもそこをイジルのは違うし」とか思っているでしょ。
私はそれは「祈り」に入れていいんだと考えているのです。
当然逆パターンもあります。
若い頃にある職場を去る時に普通に辞めさせてもらっています。
「普通に辞める」くらいとあなたは思っていると想像するのですが、「キレイにやめる(辞職する)」のはそうとう難しいことです。
「首を切られる」方が楽だという場合もあるのです。
「首を切る」ほうだって、そうとう言いづらいものです。
だから「キレイに辞める(辞職する)」のは相当難しいのです。
「普通に辞めさせて」もらったところの一か所とは、まだお付き合いがあります。
良い関係です。
本当に私は感謝しているのです。
「普通に辞めさせて」くれて。
であるとかこういうときに捨て台詞をいうひともいるかもしれませんが、「いつでも戻ってきてください」と言われることもあります。
そういう時に内心切れていても、大人として「そういうときにはまたお世話になります」というものです。
実際私はそういうやりとりをしたことがあります。
いくら内心切れて辞職しているとしても、そういってもらえるんだから良いと私は思うのです。
そういう場面に私は「祈り」があると思うのです。
それがGod bless you!(神の祝福があなたにありますように)です。
「神」とかは嫌いな方もたくさんいると思います。
でも「このひとは」ってなんか思うでしょ。
「いいよう」がない場面って多々あるじゃないですか。
「ここは言えないよね」という場面。
そこでいうひとも、そういうことに気が付かないひともいるのでしょうが、
でも「言いたいんだけれども、ここでいうのは違うか」とあなたが思ったり、思われたりしているのであれば、そこにはやはり「祈り」としかいえない何かあるんだと私には思えるのです。
あれは「祈り」でしょ。
あなたもそう思われているでしょ。
それは「祈られて」いるということだと私は思います。